「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2019年1月29日火曜日
(連載4)4-10未分割の世界
0次元世界の構造は、
1次元世界に「無限大」(永久に続く、あるのに存在しない)
の概念をあたえた。
無限大とは無ゆえの
終わりの来ない状態を指す。
したがって「1次元宇宙・線世界」は、
「無の概念(点)」が
果てしなく連鎖するだけの世界である。
存在する全ての世界の正体が
この無の無限大の連鎖である。
これを「完全無」という。
そして完全無であることが
連鎖、継続、拡大の概念であり、
これが実体が実体であるための
「存在する力学」の始まりである。
このように0次元世界と1次元世界は同一のものであり、
「この世界には何も存在しなかった」という原始の現実に
変化は起きていない。
1次元世界は0次元世界の同じ部分であり、
この両者はひとつの「存在する無の概念」を共有した
同じ実体である。
このように「存在する無」は
「存在を持たないのに存在する」実体として
「点」の構成要素だけでなく、
全ての概念世界の構成要素である。
これによって成立するのが等価原理であり、
モナドが世界をひとつの同じモナドとして統括する
その理由である。
線世界の起点は、
数列の「0」ではない。
線世界を構成する「すべての点」が
0と等しい「ないのにある」という起点である。
この線世界に「マイナス概念による存在(プラス)の固定」は必要なく、
存在する線自体が、
存在しない面世界の新たな実体となる。
こうしてたしかに存在する1次元線宇宙であっても、
「線世界」は0次元世界の部分として生まれ
存在を持たない(面積のない)
無の延長線上に実在する実体である。
1次元世界はこれまでも
科学的にとりあげられる機会はあった。
しかし1次元世界が実在するものであり、
その概念が「無」によって創られたという
「現実の無」を理解できる理論は
これまで存在しなかったのである。
「完全無」が実在する以上、
「1次元世界」も同じものとして
同時に実在する。
そしてそのためだけに1次元以降のすべての次元世界には、
「無と無限大の概念」が
同じものとして与えられたのだ。
(全ての存在は無の部分を持つ実体である)
(実体としての無は、無限大に連鎖する実体の力学である)
点を構築する要素は「存在する無」である。
点は無の部分によって存在する
無と同じ実体である。
こうして1次元宇宙「線世界」は、
その全てに「0次元世界」を含むことによって成立する。
実体としての「線」を支える存在は
「無の概念」をもつ「点」以外にはなく、
この「点の概念」の実在が
「無が実在することの証明」なのである。
このように点が存在することにも原因があり、
そこには宇宙の原理が働いている。
我々の宇宙に「理由を持たないもの」は存在しないのだ。
したがって「点」は
無の概念を宿した「存在する無」である。
けれどもそこに現れた「無」は、
既に「0次元世界」に「存在する無」ではなく、
それはすでに1次元世界に現れた
実体としての線世界である(無は点の部分を持たない)。
そして次元世界では、
2次元以降のすべての次元世界でも
点の概念をその世界の「構成要素」として含むため、
現在、数字や数式は万物をあらわす尺度とも
成り得たのである。
このことでさえ人類は、
これまでは「経験論」で判断するしか
方法をもたなかった。
点のもつ本質は「存在する無の概念」であり、
全ての実体の存在は
0次元完全無の概念に回帰する。
「この世界には何も存在しなかった」という「実在する無」は、
同時に「1次元世界以降のすべての次元世界が存在する」
という概念と同じ意味である。
すなわち無の部分としての実体は全て同一のものであり、
それが「実在する(存在する)」の本質である。
存在と実在は
同じ実体の異なる側面にすぎず、
それは無の持つ二面性が
そこに同じものとして現れただけである。
無が完全無と同一である原理、
無が無限大に世界にあり続ける状態、
これが「宇宙の原始の力学」であり
存在と力学が分けられるまえの
未分割の世界の状態である。
ライプニッツが
実体(モナド)が「存在する力学」だと理解した理由も
ここにある。
「存在する」とは
もともと力学だったのだ。
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