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2019年1月15日火曜日

(連載4)4-8等価原理





力学も
物理法則も
物質も
存在するものは全てが「存在する無」の連鎖である。


このことを「同一である」と記す。


「万物が同一のものである」こと、
それが等価原理の真意である。



存在も力学も
意思やエネルギー、
空間も物質も時間も
全てのものが等価。



つまりそれは
この世界の全てが
「ひとつの同じ現実」から生まれたことを示す。



しかしこれは当然のことであり
自然なことであり、
それが科学であり、
一元論の成立、すなわち大統一理論である。


始まりの異なる複数の世界や
異なる原理や法則があること自体
都合の良すぎる解釈である。


「ないも存在しない」という唯一の理由から
この世界は始まらなければならないのだ。
(理由のない「存在する」から
科学を始めてはならない!)










『無が点であり、線の世界が存在するだと?
これでは「何もない」という世界の大前提に
反するのではないか?』
という当然の疑問が生まれる。



だが決してそうではない。



何故なら「点も線世界も存在しない」からである。


点は既に述べたように実体であり
「存在するもの」ではない。


点が体積も面積も持たない実体だからこそ
点の存在には永遠にたどり着くことが出来ない。
ここに「永遠に何も存在しない」という
状態世界が生まれる。


これが点であり、
点と無は同一である。




そして「面積を持たない」線の概念も、
面世界では「存在しない実体(無)」である。


面の概念に存在するとは
面の世界に自らの部分をもつこと、
つまり面積をもつことである。


しかし「存在する線の概念」には
面世界に占有する面積はなく、
線は面の部分を持つものではない。


従って線も「面の中に存在するものではない」。



線は面世界の中で
「確かに存在するのに何処にも存在しない」
実体としてのみ実在するのである。



これも線が「存在する無」だからである。





無と同じものとして生まれた点、
その無の無限大の連鎖として生まれた線、
つまり線も無と同じものとして
「存在しない実体」なのである。


つまるところ実体とは
その全てが「存在する無」と同一の
「存在しない無(実体)の連鎖する世界」である。




このように線の概念は
「存在を続ける無(同一のもの)」として
その連鎖によって一つの「完全無(面世界)」である。



さらに追求すれば
面の概念の無限大の連続は
「同じもの」として空間の概念世界である。


線の概念(無と同じもの)と同じ
完全無という無の無限大の連鎖。


この完全無の概念が
連鎖する面世界「3次元空間宇宙」である。





このように線の概念はその無限大の連鎖として
「面積の概念世界を生み出し」、
けれども面世界での存在(面積)は持たない
実体(存在する無)である。



このことが
「線が無の部分を持つ(存在する無)」ということであり、
無と点、あるいは完全無と線が同一となる
「世界のはじまり」から続く「等価原理」である。




「存在する無(個)」は
「永久に存在し永遠に連鎖する無の概念(全・完全無)」として
そのままで「無限大の概念」と同義である。



そして全ての存在が「無の部分を持つ」事、
それによってこの世界は
「存在する無」として永遠に、
無限大にあり続けることが出来たのだ。




これが「(世界が)存在する」という全てのはじまりであり、
「無と完全無」に対する理解からはじまる次元理論である。




「完全無」は「1次元世界・線宇宙」と同時に出現する。

1次元線世界は
2次元面世界の概念と同じものとして実在する。


2次元面世界も3次元空間概念に存在(連鎖する面世界)を与え、
自らは実体となる。


3次元空間も4次元世界・時間世界に存在を与え、
自らは実体として無(これが存在しない今という時間)である。
(つまり今という空間の連鎖が時間世界である)



このように世界は同じものとして等価であり、
同一のものとして
同時に存在している(存在しない)。


全てが無と「同じもの」なのだ。


従ってこの宇宙には未だ
「無と完全無」の概念しか存在しない。


これが全ての回答である。



全ての世界は「存在する無」と等価なのだ。




あなたが考える「存在するもの」の全ては
実際は存在する無の連鎖である。


そして存在する無の本当の姿は
あなたが理解する「存在するもの」の全てである。






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