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2019年2月26日火曜日

(連鎖5)5-3予定調和として「始まりと結末は同じ」







ここまでの「次元理論」をまとめると、
次元世界におけるすべての概念は
「無の集合体」である。


これは実体であり、
「存在するもの」ではない。



もともと「無しか存在しない」この世界において、
すべてが「無の集合体」という現実は
当然の結末である。




さらに言えば、
無がその集合体としてどれほど集まろうとも
(完全無の概念)、無は無でしかなく
「存在する無」に変化はない。



世界の現実(無)が変化しない理由と、
存在する無としての実体に
全ての概念があてはまることは確定的である。




こうしてモナド(実体)は予定調和として
この世界を理解する。






0次元世界には「無」しか存在しないため、
その「次元世界の起点(実体)」は
同じ「無」である。


しかし1次元線世界では、
線の概念における「点」が
その「次元世界の起点(実体)」としての役割を担う。


「線」を生みだしたのは永久につづく
「点(ないのにあるという無の概念)」である。
すなわち線世界は
永遠に連鎖する「完全無」である。



そして2次元「面の概念世界」では
「次元世界の起点」は「線」であり、
3次元世界「空間概念」では「面」が、
それぞれの「次元世界の起点(実体)」である。



このように「無限大に連続する線世界」が同じものとして
「面の概念世界」であり、
「空間概念」を創りだしたのである。



同じものであるはずの実体(無)が
連鎖することによって(完全無であること)構築する、
「存在の概念が異なる」いくつもの多重次元世界。



こうして同じものでありながら
「異なる次元世界」は、
その概念においても
無限大の連鎖を重ねていく。




従ってこれら全ての「次元世界の起点」は、
呼びかたこそ異なっても等しく「無に部分を置く同じ概念」であり、
ゆえに「無」、「点」、「線」、「面」のいずれもが、
各々の次元世界における「無」と同義としての
実体(モナド)である。


無(実体)しか存在しない世界。



無が完全無を生み出す原理が「世界原理」である。
これが世界の実像として
「実体の無限大の連鎖」(無の連鎖する力学)なのだ。





次元世界におけるすべての「次元世界の起点(実体)」は、
それぞれの次元世界における「存在する無」であり、
それぞれが同時に単独で実在する。


この実体の無限大の連鎖によって
それぞれの概念世界は構築され、
それらは同じひとつの完全無として
「単独の同じ存在する無」である。



実体がある理由、
次元世界が生まれる理由、
それはこの「存在する無」である。



全ての存在する概念は
同じものとしてひとつである。



無と完全無が同じものであること、
全ての実体が同じものであること、
これは個(無)と全(完全無)を同一とする
「世界原理」なのだ。

「この世界には何も存在しなかった」
という世界の唯一の前提、「世界原理」。




ここに同時に
個(実体)が全(実体は無限大に連鎖する)へ向かう
「力学」が生まれている。



これは「無が無であり続けようとする」
ただ一つの力学である。




つまり「存在する無」は、
それ自体が「無限大の有」という
拡大する為のエネルギーなのだ。



これが「存在する無」の力学であり、
その正体である。
ここに全ての存在とその力学は集約される。











このことによって我々は、
この世界が多重次元構造をもちながらも
「実在する無」よってつくりだされた、
「ただひとつの同じ概念世界」であることを
理解できるだろう。



「次元世界の起点」となる全ての実体は、
いかなる場合においても「実在する無の概念」であり、
すなわち「0次元世界」の昇華した(同じ)姿である。



このようにあらゆる存在が「存在する無」である以上、
この宇宙がいまだに「完全無である」という「世界の実像」は、
決して変わることのない現実として
世界にありつづけるのである。




「この宇宙には何も存在しなかった」


これが始まりであり、その解答である。
そして始まりが与えられれば
結論も確定する、これが本当の科学である。


2019年2月19日火曜日

(連載5)5-2連鎖する点「空間世界」




「完全無(点)」が「1次元宇宙(線)」と同時に存在するように、
一方向のみにベクトルが存在するという「長さの概念」も
やはり単独では存在しない。


つまり他の方向にも「概念がある(ない)」としてひろがる
「面の概念」と同時に存在しなければ、
線世界もまた実在はできないのだ。



このように「線世界」は
「面世界の概念の一部分」(同一のもの)である。
したがって「線世界」が存在するのであれば
「面世界」も同時に実在する。



これが実体の存在に対する分岐、
多重次元構造である。



全ては「無が存在する」という
「実体(全ての世界)があること」と等しい。



線の概念世界は「存在する無」の部分として、  
同時に面積の部分を持たない面の構成要素として、
同じひとつの実体である。



これが1次元線世界における「次元共有の大原理」である。



「線の概念世界」の実在(現実にあること)は、
「面の概念世界」を実在へと引きこみ、
ここに平面世界「2次元宇宙」が誕生する。



このように「無が存在する」とは
点の実体が存在することと同じである。
これが同じ概念として
線が存在する、
面が存在する、というそれぞれの現実である。
これが次元世界であり、
その全てがひとつの実体によって成立する。



前述のように「1次元線世界」は、
「存在する無(点)」の無限大の連鎖による
「完全無(直線世界)」である。



そして「2次元平面世界」は、
今度は「線の概念(存在する無)」の無限大の重なり
「完全無(平面世界)」なのだ。


「無」が「存在する」ためには1次元概念が必要であり(無と同じもの)、
そして「線の概念」が存在するためには
今度は「面の概念」が必要(完全無と同じもの)という、
いずれも概念としての話である。



けれども「完全無」は
世界の大前提であり唯一の「実体」なのだ。



そのために1次元概念や2次元概念も
共に実在する宇宙、
「1次元世界」そして「2次元世界」である。




この「2次元面世界」においては、
1次元「線の概念」が
「存在する無の概念」であり、
すなわち2次元世界のすべてを構築する
「平面世界の起点(連鎖する実体)」である。



従って2次元平面世界の構成要素は
「線と、その線を構築する点」の2つである。
この構成要素を2つだけ持つ世界、
これが2次元世界である。



このように次元世界の前に付けられる数字は、
その世界の構成要素の数によって決められている。



宇宙物理学の一部で扱う
空間を折り畳むことによって増加するベクトルなど
この世界には存在しない。


空間は常に外側に向けて拡大する。
だがそれが相対的には内側に見えているだけである。
(遠ざかる太陽)
世界はもっと純粋なのだ。





今度はその「2次元平面世界」が実在した結果、
「平面世界が実在するための必要十分条件」として
「3次元空間世界」は出現する。



そして平面世界もまた、空間概念の中でのみ
その実在を保つ世界である。



つまり線世界が平面概念の一部分(原因)であれば、
「平面世界」もやはり「空間概念」の一部分である。



空間における面積(広さ)は「存在」ではなく
空間概念の一部分として、
空間の構成要素(原因)である。



このように平面概念が実在する以上、
やはり空間概念も同時に存在する。



この同時に存在することが
「同じものであること」の証明であり、
枠組みが異なる「実在する無の概念」が
ひとつであり続けるその力学である。




つまり空間概念も、
この同じ実体である。




「存在する無」の無限大の連鎖として
「完全無」が存在するのと同様に、
面(存在する無)の概念世界は無限大に重なり
同じ完全無として空間である。



これも「個は全と同一である」という世界原理であり、
空間世界も0次元の一部分として
無と同じものである。




こうして今、我々の宇宙には
「実在する空間概念」が広がる。




しかしこのように「空間概念が存在する」としても、
この空間はあるのかないのか特定することができない
「面の無限大の連鎖」としての「実体の集合体」である。


そしてこの「面の概念」にしても
もとは「線の集合体」であり、
この「線の概念」は
こんどは「点」である「無の集合体(完全無)」にすぎない。


無の連鎖が完全無と同一であるように、
実体の集合体も同じ実体である。



したがって例え「空間概念」が実在するとしても、
「3次元空間世界」は結局のところ
「0次元世界」である「存在する無」である。



そして「無」は「無限大の概念」とも同義であり、
それゆえ空間は最初から
「無限大の広がりをもつもの」として誕生する。




この3次元空間世界の発現において、
世界はいよいよ「あらゆる方向へ」と
その無限大の連鎖を広げる。



そして「実体のあらゆる方向」への連鎖を超える、
「あらゆる概念方向」への連鎖によって
時間世界が生まれる。



2019年2月12日火曜日

(連載5)5-1実体の連鎖


第5章 時間と空間






この世界には何も存在しなかった。




「無が存在する」ということは、
「この世界は完全無である」というひとつの概念である。



これは
「存在する無」という「個の概念」が
「完全無」という「世界の概念」を同じものとする
単純な世界原理である。

(個と全は同一のもの)



このために「存在する無」としての
点の概念(個・0次元世界)は、
線の世界(全・点の無限大の連鎖・1次元世界)と同じものとして
同時に発現する。

(点も線も、存在を持たないのに存在する実体の
無限大の連鎖として、ひとつの同じ概念である。)



こうして次元世界の異なる概念は同時に発現する。
「点の無限大の連鎖」と「線」は「同じもの」だからだ。


しかし点と線は、それぞれが「異なる概念」であり、
同じ概念世界に同時に存在する訳ではない。

つまり線の中に点は存在しない。


「同じもの」なのに異なる存在を与えられた実体、
このそれぞれが連鎖することによって
異なる概念宇宙、次元世界が生まれる。


これが我々の宇宙が「多重次元構造」を伴う理由であり、
ひとつの始まりが宇宙を統括する
その原理である。


無や完全無、
点や線、
線と面、
面と空間、
これらは実体として「同じもの」である。



この同じものが
「どのベクトルの中に」存在するのか、
その力の概念が異なるだけである。



これも全ての実体が「存在する無である」という
世界原理(次元共有の大原理)である。




世界はひとつであり、その理由もひとつである。
これが「この世界には何も存在しなかった」
から始まる世界と、同じ現実である。




無が生みだした無限大につづく点の概念世界、
それが「1次元線世界」である。
「線世界」もまたそれでのみで完結する世界だが、
今度は1次元世界が2次元概念を生みだす
「次元共有の大原理」がはたらく。


次はその原理を追ってみよう。


線の世界は存在しない。
この線の概念世界も(1次元世界における)
無(点)の無限大の連鎖として完全無である。


すなわち線の世界も
「存在する無」として実体なのだ。


「存在する無」は無限大に連鎖して
「完全無」の世界を創り出す。
これは「個(無)と全(完全無)が同一である」為に生まれた
最初の力学(次元共有の大原理)である。


無が無であり続ける力。


この力学において、
線世界の概念(存在する無)はさらなる実体として
無限大の連鎖を続ける。


これは点の概念が線の世界を創り出したのと同様に、
「存在する無」として
永遠に連鎖する線の概念世界の発現である。


それが「2次元平面世界(完全無)」である。




無限大に連鎖する線世界と「同じもの」でありながら
面積の概念を持つ新しい次元世界。
この面積の概念は、
広さの概念として既に線(長さの概念)とは異なる宇宙である。


こうして平面世界は
新たに面積の概念を持って発現する。


広さとは、線の概念の無限大の連鎖によって
「つながった線世界」であり
それは既に「長さ」ではない。


これによって面積の世界に「線は存在しない」。



面の世界に存在するとは
面の部分を持つことであり、
すなわち「面積を持つこと」である。


このとき無限大に連鎖を続け、
面の概念を創り出したはずの線世界に
面積(広さ)の概念はない。


広さの概念における長さは「存在する」ものではなく、
概念としての面積の構成要素であり、
既にそれは面積の部分(同じもの)である。



このように長さの概念は「存在するもの」ではなく
「実在する概念(実体)」なのだ。


この時点で線(長さ)は、
広さと同じものであり
面積の部分を持たない(面積を持たない)モナドである。




面世界における線は実体であり、
存在する無、点、と概念を同じくする
「存在する無」である。



2019年2月5日火曜日

(連載4)4-11全と個、個と全




数学の基本となる「数列」は、
「0を起点とする
無数の点が存在する線世界がある」
ことを、その「前提」として始まる。



それが我々の「科学のはじまり」であり、
同時に「約束された認識」であった。



人々はその約束事が
あらゆる現象の理解に役立つことを知り、歓喜した。


けれどもそれは人間の「発明」と「道具」であり、
我々は何を「点」と名付け、
何を「数列」とよんだのかは知るよしもなかった。



しかし我々はいま「完全無」を理解して、
「1次元世界」を知る。



「0」や「数列」は、
「知識」の本当のはじまりではなかったのだ。



それらは単に「実在する無の概念世界」を模倣した
人間の作った「ものさし」にすぎない。




数学は0を置く数列を作らなければ、
始めることができない。
これは合理的ではあるが、人間の哲学(考え方)である。


対して現実では、
全ての点が0なのだ。


これが真に科学的な理解である。






「完全無」を理解する「次元理論」だからこそ、
その理解が成りたつのである。




つまりこれまで「点の持つ概念」のなかで、
人間が都合良く理解したのは「ある」という部分だけである。

人間は数列の中に「ない」を探して、
世界のバランスを保とうとしてきた。

けれども「点の概念」の真意は
「体積も面積も持たない(存在を持たない)」という
もう一つの側面にあり、
点はそれ自体で「ある」と「ない」とを共有する
「完全な世界」である。



欠落した部分が存在を生み出すという
これまでの科学的が必要とした哲学。


対して実体は
それ自体が存在でありながら存在しない、
こちら側の視点が本当の科学である。


世界を区分けしようとして失敗したのは
我々なのだ。





そしてこの実体が「存在する無」である。







いかがだろうか。
我々はこれまで「数式が世界を統合する」ことを、
かたくなに信じてきたではないか。


かたくなに信じること、
それを人間は「信仰」として定義する。


けれども、なぜそれがそうなったのかを「理解すること」、
それが「本当の科学」である。



このように我々の知識は
「無を理解すること」によって
初めてそこから始まる。



我々は今後も数式は信頼して良いのだ。
けれどもその信頼を
信仰へと変えてはならない。



我々は先立つものを取り違えてはならない。



「無」が「有」と同一であることは、
数式では理解することができない。
しかし我々がこの現象を理解できれば、
その必要もまたないことである。



これらはまだ「存在する無」という大前提から派生した、
知識の前提部分に過ぎない。



したがって次元理論は、
「この宇宙には何も存在しなかった」
という世界の大前提からつづく、
知識の根幹である。


そしてその結末も
「この宇宙には何も存在しなかった」
以外にはあり得ない。



これが「実体に対する理解」であり、
実体の連鎖として次元世界が分岐する
その理由である。



この数式ではあらわすことのできない次元発生のメカニズムを、
私は以後「次元共有の大原理」(共有される世界原理)として記述する。



これは

「次元世界においては
実体とその実体が創りだした概念世界は同一のものであり、
全ての次元世界は単独では存在できない。
ひとつの次元世界は前の次元世界を土台として
必ず次の次元世界を生みだしながら、
概念を共有する(部分を持つ、部分を与える)ことによって
その共有世界を共に実在させる。」

という、次元世界が存在するための基本原理である。


これは要するに、
例えいくつもの次元世界に分かれても
実際の世界はひとつしかない、という事実確認である。


「全体にして個であり、
個は全体である」
これが世界の現実である。





次元共有の大原理は、
次元世界が実在するための「必要十分条件」のことである。


そしてその全てが「存在する無という同じ世界」であり、
「ただひとつの無」が「全ての概念世界に同時に存在する」状態である。





無が存在する以上、
「完全無」と「無限大に続くあるのにない」の概念は
同時に継続する。

無が存在する以上、
「無限大に続くあるのにない点の概念」は線世界であり(個は全)、
線世界は広さにおける面積を持たない実体である(全は個)。


無が存在する以上、
「無限大に続く線世界」は面積の概念であり(個は全)、
「永遠に存在しない実体」は空間世界における体積を持たない
面世界である(全は個)。



全にして個、個にして全、
全ては同じひとつのものである。



「あるのにない」同じものの
無限大の連鎖、存在は力学。
このことによる等価原理の成立。



後述とさせていただくが「次元共有の大原理」、
これこそが科学者たちが探し求めた科学の真理であり、
宗教家たちのいう神の奇跡である。


次元世界が新しい次元世界をつくりだす節目、節目において、
この「次元共有の大原理」は働く。
ただ一つの同じ「存在する無」の純粋な構造として。



そしてこの大原理が、
あらゆる次元世界に共通する「同じ力学」である。
これも後述とするが、
全ての力学は等しく無の連鎖する同じ状態である。



このように我々の世界は、
ただひとつの次元世界(あるいは宇宙)によってのみ
構成されるものではなく、
いくつもの次元世界が必然的に概念を共有し、
その上で全ての宇宙(ひとつの世界)が成立する「多重次元構造」をもつ。



この世界に絶対的に存在するものとは「存在する無」しかなく、
この「完全無」もまた、
単独ではその存在を保つことができない。



全てを無とする完全無には
「全ての概念」が必要なのである。



そのために「完全無」の概念を支える同じ世界「次元世界」が出現し、
「次元世界」が実在するための必要十分条件として
「次元共有の大原理」は存在する。



この大原理を理解すること、
それが「無から始まる世界を理解する」ことであり、
あらゆる存在を理解する最初の知識である。




『「存在する無」と「完全無」は「同一」である』(個は全)
『「完全無」と「点の概念」は「同一」である』(全は個)



この知識は
世界原理の主軸であり、
内側と外側が同じものである、永遠の広がりを
我々が認識することにつながる。



もしもこの章までにこの現実を理解することが出来なければ、
それは私の伝え方に問題がある為かもしれない。
私は今後、多くの皆さんの手によって次元理論が研磨され、
複数の新たな書き手によって
この科学が磨かれていくことを望む。


だがそれまではどうか
私の拙い文章ではあるが、辛抱強く付き合って頂きたい。


願わくば、これが夜明け前のひとすじの光となることを。