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2019年1月29日火曜日

(連載4)4-10未分割の世界




0次元世界の構造は、
1次元世界に「無限大」(永久に続く、あるのに存在しない)
の概念をあたえた。


無限大とは無ゆえの
終わりの来ない状態を指す。


したがって「1次元宇宙・線世界」は、
「無の概念(点)」が
果てしなく連鎖するだけの世界である。


存在する全ての世界の正体が
この無の無限大の連鎖である。



これを「完全無」という。



そして完全無であることが
連鎖、継続、拡大の概念であり、
これが実体が実体であるための
「存在する力学」の始まりである。




このように0次元世界と1次元世界は同一のものであり、
「この世界には何も存在しなかった」という原始の現実に
変化は起きていない。


1次元世界は0次元世界の同じ部分であり、
この両者はひとつの「存在する無の概念」を共有した
同じ実体である。


このように「存在する無」は
「存在を持たないのに存在する」実体として
「点」の構成要素だけでなく、
全ての概念世界の構成要素である。



これによって成立するのが等価原理であり、
モナドが世界をひとつの同じモナドとして統括する
その理由である。




線世界の起点は、
数列の「0」ではない。
線世界を構成する「すべての点」が
0と等しい「ないのにある」という起点である。


この線世界に「マイナス概念による存在(プラス)の固定」は必要なく、
存在する線自体が、
存在しない面世界の新たな実体となる。





こうしてたしかに存在する1次元線宇宙であっても、
「線世界」は0次元世界の部分として生まれ
存在を持たない(面積のない)
無の延長線上に実在する実体である。



1次元世界はこれまでも
科学的にとりあげられる機会はあった。


しかし1次元世界が実在するものであり、
その概念が「無」によって創られたという
「現実の無」を理解できる理論は
これまで存在しなかったのである。


「完全無」が実在する以上、
「1次元世界」も同じものとして
同時に実在する。





そしてそのためだけに1次元以降のすべての次元世界には、
「無と無限大の概念」が
同じものとして与えられたのだ。

(全ての存在は無の部分を持つ実体である)
(実体としての無は、無限大に連鎖する実体の力学である)



点を構築する要素は「存在する無」である。
点は無の部分によって存在する
無と同じ実体である。


こうして1次元宇宙「線世界」は、
その全てに「0次元世界」を含むことによって成立する。



実体としての「線」を支える存在は
「無の概念」をもつ「点」以外にはなく、
この「点の概念」の実在が
「無が実在することの証明」なのである。



このように点が存在することにも原因があり、
そこには宇宙の原理が働いている。


我々の宇宙に「理由を持たないもの」は存在しないのだ。




したがって「点」は
無の概念を宿した「存在する無」である。

けれどもそこに現れた「無」は、
既に「0次元世界」に「存在する無」ではなく、
それはすでに1次元世界に現れた
実体としての線世界である(無は点の部分を持たない)。


そして次元世界では、
2次元以降のすべての次元世界でも
点の概念をその世界の「構成要素」として含むため、
現在、数字や数式は万物をあらわす尺度とも
成り得たのである。


このことでさえ人類は、
これまでは「経験論」で判断するしか
方法をもたなかった。



点のもつ本質は「存在する無の概念」であり、
全ての実体の存在は
0次元完全無の概念に回帰する。




「この世界には何も存在しなかった」という「実在する無」は、
同時に「1次元世界以降のすべての次元世界が存在する」
という概念と同じ意味である。




すなわち無の部分としての実体は全て同一のものであり、
それが「実在する(存在する)」の本質である。



存在と実在は
同じ実体の異なる側面にすぎず、
それは無の持つ二面性が
そこに同じものとして現れただけである。




無が完全無と同一である原理、
無が無限大に世界にあり続ける状態、
これが「宇宙の原始の力学」であり
存在と力学が分けられるまえの
未分割の世界の状態である。



ライプニッツが
実体(モナド)が「存在する力学」だと理解した理由も
ここにある。


「存在する」とは
もともと力学だったのだ。



2019年1月22日火曜日

(連載4)4-9科学の意義




ここまで見てきたように、
全てはシンプルな原理において発現した
「世界の多重次元構造」である。


次元世界の分岐。


この「多重次元構造(次元世界)」を示し
その原理を解明する科学、
それが大統一理論としての「次元理論」である。



この「完全無」から始まる「世界の持つ多重次元構造」。
この構造がやがて
我々の物質世界や、人間の精神世界の発現にもつながる。



我々の宇宙では
全てが「同じもの」として
同じ無の概念を持ちながら同時に拡大するのだ。






たったひとつの事実から生まれて
全ての現実に広がる宇宙。


その理解をもたらすものが
正しい科学である。


全ての科学の間に
隔たりはない。


結果と原因が同じであるという
間違いのない正しい科学。


今ある全ての現実が
この宇宙の原始にある
「存在する無」(実体)である。





「(全ての)存在を持たないものが確かに存在する」




この無の概念は、
意外にも我々の身近にある「点」の中に
最初に発現した。


点は始まりの実体であり、存在し続ける無である。


あらゆる概念のカタチを持たず、
けれども確かに「存在する」もの。


「(面積も体積も)全てを持たないものが確かにある状態」としての
「存在する無」、
この「存在する無」をその構成要素として
点は生まれたのである(つまり存在しない)。




こうして「存在しない無」と「存在する点」は
同じものとして同時に存在し、
その連鎖の方向性によって
概念世界は分岐する。




我々が当然のように存在すると考えてきた
線世界でさえ、
実際は面積を持たない「面世界における実体」であり、
これも無(点)の無限大の連鎖として
「完全無(線世界)」と同一である。



点だけでなく線世界も
「存在しない(実在の)世界」なのだ。


これによって全ての存在する世界も
実体の連鎖、
つまり存在しない概念世界である。



無から始まった
永遠に続く完全無。


これが世界の正体である。





実のところ、
これまでの我々の科学は
この0次元にたどり着くことが
その目的であった。



世界は何故存在するのか、
何故人間は(私は)存在するのか、
その探求の先にある終着点が
「存在する無」だったのである。


無を理解すること。


そしてそれに対する明確な解答が
次元理論である。




だからこそ皆さん、
これからは新しい科学を始めよう。



無を理解する科学「次元理論」は
これまでとは逆の思考で0次元世界の理解から始まり、
世界の構造とその存在する理由とを明らかにする。



原理や法則の探求が科学本来の目的ではなく、
本当の科学とは、
その原理や法則が何故そこに生まれたのかを
我々に理解させるべきものである。



科学はその目的を取り違えてはならない。



人間は自然から学び、世界と共存する生き物である。
自然を拡大し、
世界を拡大させるための生き物なのだ。



科学は世界と人間を結ぶ。



「存在する無」は実体として、

点として
線として
空間として
時間として
物質として
命として
人間として、

現実に我々と同一のものである。



この「無」が
世界に「存在する」理由を与え、
人間の本当の姿も映しだすことだろう。



我々は
世界を
学ばなければならない。


人々の希望がどこから生まれ、
そして我々を何処に導くのか、
人間の存在する本当の理由を
我々は知らなければならない。




存在する無が世界の起源である。



この存在する無の延長線上に
生命や人間の自我世界は存在する。
従って人間を理解するためには、
まずはこの「世界の理」から先に
我々は理解しなければならないのだ。



だが慌てる必要はないだろう。



たとえ少しずつでもかまわない。
我々はゆっくりと
「存在する無」を理解していこう。



人類の誕生と同時に
知識への探求は始まり、
そして今、無から世界が生まれた理由が
やっと明らかになったのだ。



大切なことは
「我々はもう間違えてはならない」ことである。



存在に対する無知と混乱、
その価値観の相違や無理解が、
人々に苦悩と悲劇を生み出してきた。

異なることこそが重要で、
それが全体に対する貢献である。

そのことを知らずに
我々は実にたくさんの可能性を
消し去ってきた。



だからこそ2度と間違えない覚悟で、
我々は学ぼう。



既に我々には
正しさを見透せる力がある。



2019年1月15日火曜日

(連載4)4-8等価原理





力学も
物理法則も
物質も
存在するものは全てが「存在する無」の連鎖である。


このことを「同一である」と記す。


「万物が同一のものである」こと、
それが等価原理の真意である。



存在も力学も
意思やエネルギー、
空間も物質も時間も
全てのものが等価。



つまりそれは
この世界の全てが
「ひとつの同じ現実」から生まれたことを示す。



しかしこれは当然のことであり
自然なことであり、
それが科学であり、
一元論の成立、すなわち大統一理論である。


始まりの異なる複数の世界や
異なる原理や法則があること自体
都合の良すぎる解釈である。


「ないも存在しない」という唯一の理由から
この世界は始まらなければならないのだ。
(理由のない「存在する」から
科学を始めてはならない!)










『無が点であり、線の世界が存在するだと?
これでは「何もない」という世界の大前提に
反するのではないか?』
という当然の疑問が生まれる。



だが決してそうではない。



何故なら「点も線世界も存在しない」からである。


点は既に述べたように実体であり
「存在するもの」ではない。


点が体積も面積も持たない実体だからこそ
点の存在には永遠にたどり着くことが出来ない。
ここに「永遠に何も存在しない」という
状態世界が生まれる。


これが点であり、
点と無は同一である。




そして「面積を持たない」線の概念も、
面世界では「存在しない実体(無)」である。


面の概念に存在するとは
面の世界に自らの部分をもつこと、
つまり面積をもつことである。


しかし「存在する線の概念」には
面世界に占有する面積はなく、
線は面の部分を持つものではない。


従って線も「面の中に存在するものではない」。



線は面世界の中で
「確かに存在するのに何処にも存在しない」
実体としてのみ実在するのである。



これも線が「存在する無」だからである。





無と同じものとして生まれた点、
その無の無限大の連鎖として生まれた線、
つまり線も無と同じものとして
「存在しない実体」なのである。


つまるところ実体とは
その全てが「存在する無」と同一の
「存在しない無(実体)の連鎖する世界」である。




このように線の概念は
「存在を続ける無(同一のもの)」として
その連鎖によって一つの「完全無(面世界)」である。



さらに追求すれば
面の概念の無限大の連続は
「同じもの」として空間の概念世界である。


線の概念(無と同じもの)と同じ
完全無という無の無限大の連鎖。


この完全無の概念が
連鎖する面世界「3次元空間宇宙」である。





このように線の概念はその無限大の連鎖として
「面積の概念世界を生み出し」、
けれども面世界での存在(面積)は持たない
実体(存在する無)である。



このことが
「線が無の部分を持つ(存在する無)」ということであり、
無と点、あるいは完全無と線が同一となる
「世界のはじまり」から続く「等価原理」である。




「存在する無(個)」は
「永久に存在し永遠に連鎖する無の概念(全・完全無)」として
そのままで「無限大の概念」と同義である。



そして全ての存在が「無の部分を持つ」事、
それによってこの世界は
「存在する無」として永遠に、
無限大にあり続けることが出来たのだ。




これが「(世界が)存在する」という全てのはじまりであり、
「無と完全無」に対する理解からはじまる次元理論である。




「完全無」は「1次元世界・線宇宙」と同時に出現する。

1次元線世界は
2次元面世界の概念と同じものとして実在する。


2次元面世界も3次元空間概念に存在(連鎖する面世界)を与え、
自らは実体となる。


3次元空間も4次元世界・時間世界に存在を与え、
自らは実体として無(これが存在しない今という時間)である。
(つまり今という空間の連鎖が時間世界である)



このように世界は同じものとして等価であり、
同一のものとして
同時に存在している(存在しない)。


全てが無と「同じもの」なのだ。


従ってこの宇宙には未だ
「無と完全無」の概念しか存在しない。


これが全ての回答である。



全ての世界は「存在する無」と等価なのだ。




あなたが考える「存在するもの」の全ては
実際は存在する無の連鎖である。


そして存在する無の本当の姿は
あなたが理解する「存在するもの」の全てである。






2019年1月8日火曜日

(連載4)4-7拡大する宇宙



全ての原因は無にある。




「無」に対する考察を正しくもつと、
我々は何も存在しないはずの「0次元世界」から
「1次元宇宙が誕生する」という必然性に
気づくことが出来る。


それが「同じもの」として
この宇宙の力学による支配である。



つまり存在する「1次元世界」は、
「0次元世界」とも等しい「同じ世界」なのだ。


「同じもの」であること。

存在と力学が
無と「同じもの」であること。



概念しか持たない無(実体)だからこそ
「存在する無」はその実体を「あらゆる存在」へと分け与え
自らが拡大することが出来る。


全てが無なのだ。
果てしなく永遠に無は続く。



そして概念の無限大の分岐は始まる。


概念世界の方が新しく分岐するのである。
全てが無に回帰するものとして。
全てを無とする、
永遠のあらゆる方向性への拡大である。
これが宇宙の真実なのだ。





このことが世界が「無の部分を持つ」という意味であり、
「全ての存在するもの」は「実在する実体」と同時に
その概念を共有しながら、
共に「同じもの」として無の延長線上に存在する。




つまり現実世界のあらゆる概念が
「存在する無」の同じ部分を持って現れた同じ実体なのである。


「この世界には永遠に何も存在しなかった」


つまり全ての概念を無として、
完全無の世界は永久に広がり続けるのだ。


これによって無の属性を持つ全ての次元世界も
その概念世界の永遠の拡大(広がり)を約束される。



実際問題として我々の物理的な宇宙が
現在は加速膨張すると認識されるのも
本当は無の概念を持つ無限大の宇宙の
更なる拡大へと向かう同じベクトルである。



その属性のために「全ての個なる実体」は
「全ての完全無」に向けての方向性、
つまりその無限大の連鎖を自己の存在へと宿すのである。



これが存在が力学から来ることの
正しい理解である。





2019年1月1日火曜日

4-6「存在する」は力学




まとめてみよう。




「存在する無」は
「(面積や体積などの)存在を持たないものが確かに存在する」
という「点の概念」と同一のものであり、

無の無限大の連鎖である「完全無の世界」は
点の無限大の連鎖である「線世界」と
やはり「同じ概念」である。




存在する無(点の概念)と同じ概念であるために
存在する無と同時に出現する線世界、
それが「1次元線宇宙」である。




つまり1次元線世界は、
何もないものが確かに存在し続けるという「無の概念(点)」が、
永久に存在する「完全無の状態(線)」であることを指す。





それが「無が存在する」という事実であり、
「線の概念世界の実在(世界が完全無であること)する理由」である。






この時点で既に
「実体がある」ことは
「無が存在すること」と等しく、

無の無限大の連鎖として
点の連鎖である「世界が誕生した」ことが理解出来るだろう。





点は「全ての部分をもたないものが存在する」
という実体であり、
その概念は「存在する無」として無と同一である。



このように「存在する(実在する)無の概念」(実体)があることが
点が「存在する概念」として創り出され
世界が同じものとして幾重にも重なって分岐する、
次元世界の生まれたその理由である。






「存在する無(個)」の概念が
「完全無という世界(全)」(0次元世界)と同じものであるように、
点の概念(個)は線世界(全)を同一のものとして
「1次元宇宙・線の世界」を出現させる。



この「個の概念が全の概念と同じものであること」、
つまり「個の概念が持つ全へと向かう方向性、あるいはその連鎖」が
「全ての力学(存在)」の正体である。


無の本質は全てを完全無とし
全てを完全無へと拡大させる、「力学であること」に他ならない。



存在は、その概念としての形式を与えられる以前から
個として全へと連鎖する力学なのだ。


これは「力学であること」が
「全ての存在に先立つ世界の大前提である」ということである。




無(個)が無(完全無)であり続けようとする無の唯一の「状態」、
これが我々の宇宙が力学に統括されるその理由である。