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2020年4月28日火曜日

(連載13)13-4自我世界は宇宙






「存在は力学である」ということを
私は科学の真理として理解する。


それは同時に世界の本質が「無」であることを理解し、
「無」は存在ではなく「力学」であることを知ることである。


それによって現実に、
空間や時間にも
物質との間の等価性を見つけることが出来るのだ。


更には物質と命、
命と精神世界の同一性も
同じ等価原理によって理解することが出来る。


つまり我々が存在だと考える全てのものは「実体」であり、
この実体は存在ではなく力学そのものである。


この一つの力学が
全ての事象を統合する理解、
これが大統一理論である。




私はここまで順をおって
この力学による世界の統合を示してきた。
そしてこの章では
この力学による統合として自我世界の空間を考察している。


つまり自我(思考するあなた)は
存在ではなく力学である。


これは自我世界もその本質が「実体」であり、
「無」であることを意味する。


哲学や宗教として無を理解するのではなく、
無は科学として理解されなければならない。


「無」は人間が感情を捧げるものではなく
正しい力学の変化として理解するものなのだ。

その理解の後に哲学は持てばよい。



つまり「次元世界の起点」としての自我世界は「無」である。


理性と本能の間に存在する「無」、
あるいは知性と感情の間の「無」、
経験と希望の間に存在する「無」、
他人と自分、大宇宙と内なる宇宙との間の「無」、
その全ての力学を宿した実体が自我である。


これらの概念は全て同じ「無」であり、
「次元世界」であり、
ひとつの同じ世界である。


つまり一人の人間の一つの自我世界は
次元世界として存在する「ひとつの宇宙」である。


それは命や物質と同じく、
消えたり現れたりをくり返しながら、
全体としてはひとつの「宇宙」を構築する。


全てであり、完全な個であり、
「同じもの」、そして「ひとつ」、
その本質は存在する力学なのだ。



故に我々の自我は
他のあらゆる次元世界と同様に
「次元共有の大原理」によって生みだされた
「実在する無の概念」である。




このように次元理論による結論のひとつとして、
我々人間の「自我世界」も
他のあらゆる次元世界と同じ「共通の力学」である。

動物、植物、地球、宇宙、時間、空間、そして無。

我々の自我世界は、
これら全ての概念をその内がわへと包みこみ
それを共有する宇宙である。




そして自我世界が「広がる」ということは、
認識して共有すること、
すなわち「理解する」ことから始まる。


したがって「思考する本能」である自我は、
それ自体で第8次元世界以前の全ての概念を
「理解することのできる」唯一の存在なのである。


だからこそ冒頭でものべたように、
我々人間に理解できない現象は
この世界には何一つとして存在しない。


そして自我世界による「創造」も
「理解すること」がその始まりである。
そこから共有や融合は生まれる。


ゆえに自我世界は、
「次元世界」を理解することによってのみ
無限大に広がる「次元世界」である。



そして我々が「理解するための」次元世界であれば、
自我世界にとってのキーワードは
「出会い」ということになるのだろう。


しかしその考察は後の章へとゆずり、
ここではまだ自我世界の探究を急ぐことにする。









2020年4月21日火曜日

(連載13)13-3自我世界の記憶




豊かな精神世界をコントロールするための存在として、
初期の自我世界は発現した。


世界原理としての拡大の力学、
生命原理としての拡大の力学、
その同じ拡大のベクトルに乗って命を更に飛躍させる為に
自我世界は生まれたのである。


自我世界も根本は同じ
拡大する宇宙の空間、力学なのだ。





ではこうして命に広がった自我世界は、
その後どのように発展し
現代の我々の自我世界へと成長したのだろうか。



考察を続けよう。



自我世界の発現は、
まちがいなく人類を生態系の頂点へと
押し上げる事へつながった。


それは種としての適応力を遥かに凌駕する
個々の多様性による
生命の急速な拡大の可能性であった。


感情は本能を拡大させて、
自我は感情世界を拡大させるという
生命力の加速的拡大が起きたのだ。


その結果人類は地球上のあらゆる場所で、
あらゆる環境へと適応し、
その個体数を爆発的に増加させることに成功する。





この事態がまねく結末は、
人間の集団における優劣争い、
あるいは同族でのはげしい縄張り争いという、
人類内における苛烈な闘争を生みだすことであった。


このように人類の初期の自我世界は、
精神世界や本能世界の拡大のためにこそ
存在したのである。


しかしこの混乱は、
当時の人類にとっても大きな痛手であった。
それまでの外敵にもまさる新しい脅威として、
同じ人間である「自我世界」が
人びとの前に立ちはだかったのだ。


その結果、本能世界の拡大だけでは、
もはや個体維持の原理、
あるいは種族拡大の法則は果たしきれない状態となり、
ふたたび「自我世界」は本能世界を乗りこえるべく
さらなる進化をとげる。



けれども悲しむべきか、
拡大した「自我世界」は
精神世界や本能世界の重力も同時に肥大化させる。



このことは「次元原理」において、
「相互の次元世界の共有」という現実があるかぎり
当然の結末として用意されている。


つまり自我世界の高度な発達は、
より強い本能的欲求と精神世界の願望の拡大を
うながすことに繋がる。


人間がもつ「飽くことなき挑戦」と
「足りることを知らず」という態度は、
自我が次元世界であるために
決して失われることのない「次元世界の性質」として
我々に発現したものである。


現代に至り、はたして人間の自我世界は十分に飛躍し、
安定期をむかえることが出来たのだろうか。



私はまだだ、と思う。
自我はその「安住の地」を見つけるまでは、
決して満たされることはないのだ。


そしてそのためにこそ著者は
この次元理論を役立てていただきたい
と願うのである。


全ての解答は「宇宙の姿」にある。




次元理論では、
第5次元「物質世界」までが
生命に生存するための環境をあたえた。

そして第6次元「生命世界」が
命の繁栄のための法則、本能である。

さらに生命世界の飛躍をめざしたのは
第7次元「精神世界」である。
精神世界は本能を増大する。

そして精神世界の拡大だけでは
生命世界のさらなる飛躍は果たされないとなった時、
「自我世界」は発現する。


だからこそ「自我世界」には、
感情や欲望を乗り越えるだけの力がある。


そのことは同時に
自我世界が生命原理や精神世界における
いくつかの原則からは自由を得て
「開放された次元世界」として存在することを意味する。



このことからいえるのは
自我世界を宿すということは、
第6次元「生命世界」や第7次元「精神世界」の望む
一つの目的でもあったということである。


なぜなら命や精神が「自我世界を宿す」という事は、
そのままで第6次元や第7次元世界にも飛躍的な広がりを
生みだすことにつながるからだ。


自我世界とは世界の規制にさえぎられることなく
その「自由意志」で、
自己の存在を拡大する能力である。


その状態を求めてこそ、
生命世界や精神世界は「自我」という状態を
望んだのである。



そしてこれは生命世界を生みだした物質世界、
物質世界を創りだした時間世界、
それ以前のあらゆる次元世界にたいしても
同様に言えることなのである。



結論は
「無は自我であることを望む」。



ともすれば人間をこの世界の中心へとおく、
人間原理にもかたむきそうな認識であるが、
全ての存在が「共有すること」によって
実在する現実を
我々は忘れてはならない。



同じものの無限大に連鎖した姿が自我世界なのだ。



この世界の構造を否定することは
そのままで自己に対する否定であり、
存在への疑念である。


たとえ自我世界が
生命世界の弱肉強食の原理から解きはなたれ、
肉体的な不備をその技術と知識とで乗りこえたとしても、
人間は決して「次元共有の大原理」の外がわでは
生きていくことは出来ない。


存在しつづけること、
広がること、
そして新しい世界を生みだしつづけること。


次元原理はもともと「完全無」によって生みだされた、
あらゆる次元世界のもつ共通の「力学」である。


そしてこの次元原理を
「無のもつ概念的な願い」として認識することは
可能なのだ。


そしてこの世界の存在の全ては
「完全無」によって生みだされた次元世界である。


だとすれば「完全無」とは極論
あらゆるものが実在できる唯一の状態である。



では時間であることを望み、
宇宙であることを望み、
自我であることを望む「完全無」とは、
一体何か。


なぜ「彼ら」は「望む」という概念を持ちえるのだろうか。


もちろんそれを
神という言葉で理解する人々もいるだろう。
けれどもここでは、もう少し考察をつづける。







2020年4月14日火曜日

(連載13)13-2「存在」と「あなた」




「わたし」や「あなた」などの
「人間の存在する場所」は、
人間自身の中に少なくとも3つ存在する。


一つは生命体としての「あなた」、
もう一つは精神体としての「あなた」、
そして最後は自我としての「あなた」である。


これはあなたが持つ
あなた自身の歴史をふり返れば、
わかりやすい現実だろう。



まだこの世界に誕生する以前のあなたは
母親の体内に胎児として存在している。
これは第6次元「生命世界」にいる、
あなた自身の存在である。

そして誕生後のあなたは、すぐに笑顔を手にいれて
同時に不安を感じて泣く存在である。
これが第7次元「精神世界」に発現した
あなた自身の存在である。


しかしこの頃のあなたには
まだ自我世界はない。


あなたに自我世界が現れるのは2歳~4歳あたり、
子供たちが他人と自分との
「ちがい」に気づきはじめた頃からである。

その後ゆっくりと自我世界は時間をかけて拡大を続け、
やがて思春期をさかいに著しく成長する。



ではここで問うが、
「あなた」とは
一体どこに存在するのだろうか。



それはもちろん「あなた」は自我世界に存在する。



あなたの自我は、
第7次元精神世界「感情の海」に浮かぶ、
「船」のような存在である。


この船に乗る人物が「あなた」である。


あなたの自我は、精神世界の波をたえず感じながらも
その一部分に精神世界とは異なる自分
「思考する本能」の領域を創りあげている。


この「自我」であなたは、
感情の波をうけとめて、
あるいは波に流されたり、あるいは波にたち向かい、
ときには波に勢いづけられたりしながら
ここに実在する。



けれどもあなたの自我世界を取り囲むこの「感情の海」
その精神世界も、
やはり本当のあなた自身である。


「感情の海」精神世界も
それは「あなた」という存在が生みだした「認識する本能」であり、
その感性は「存在するあなた」だけのものである。
そこには「自我のあなた」を取り囲む
「感性としてのあなた」が存在する。



さらにその精神世界の基盤となる
生命世界としての「あなたの身体」、
これもやはりあなた自身のまことの姿である。



このようにあなたは、
第6次元生命世界、
第7次元精神世界、
第8次元自我世界の全てにまたがり
この世界に存在するのである。




精神世界は「重なり合う神経細胞」から生まれた
「脳という器官」であり、
その為に他の神経を集める欲求(力学)をもつ。
それは生き物たちの願望や衝動などの欲求として
現われていた。


その上で自我世界は
「重なり合って独立する精神世界」であり、
感性や感情を引き寄せる渇望に存在する
「私という領域」である。

それは生物の持つ「脳の重なり」として存在し、
意識を集める欲求として存在するはずである。



自らの意識を求める欲求。



このようにあなたの自我世界は精神世界と共有し、
そして精神世界は生命世界とも共有する。


さらに「生命世界」は「物質世界」と
その部分を共有する次元世界である。


そして物質世界は「時間」や「空間」、
最終的には「無」とも、
それぞれが共有する次元世界なのだ。




ではもう一度問うが
「あなた」とは一体何者なのか。



「あなた」は
多重次元構造をもつ世界、
その「全て」を共有する存在である。



あなたを構成する要素は
「0次元から始まり、空間と時間であり、
物質、生命、精神である自我」なのだ。


あなたはその全てを共有する。




だからこそ「人間」は、
物質世界である大宇宙と対峙することによって
「自分さがしの探究」ができるのであり、
生命世界をふくむ全ての自然を理解して、
その意思を感じとることも出来たのだ。



それは「あなた」自身が「無」であり、
「時間」であり、「宇宙」であり、
「自然」、そして「命」でもあるために、
あなたには理解することができる現実である。



いかがであろうか。



「次元共有の大原理」は今
「あなた」とこの宇宙を結びつける
確かな絆を提示する。



「あなた」という存在は、
「次元共有の大原理」が生みだした
次元世界「ひとつの宇宙」であり、
実際にあなたを取りかむこの宇宙、
そこにも「あなた」という概念は存在する。


同じものの連鎖と広がりが今の
「あなた」なのだ。


そしてこの内なる宇宙と
外なる宇宙との間に実在する「あなた」、
それが我々人間の「自我世界」である。




モナドには窓がなく
みるもの全てを映す鏡となること、
それはあなたが見るあなた自身の同じ姿であり、
世界が見る同じ世界だからである。


これが次元世界の最初に生まれた「点のモナド」が
「世界というひとつの同じモナド」であり、
「あなたというモナド」と同一である
その理由である。



線の世界における点のように
自我世界における「あなた」は存在する。

時間世界における今のように
精神世界における「あなた」は存在する。

内側にも外側にも永遠の広がりをもつ点のように
「あなた」は永久に存在し、
その全ては何処にも存在しない。


全てはただ力学として
世界を拡大に導く同じベクトル(意志)である。

そこにあなたは力学として同じ意識を重ねる。


世界のベクトルと同じものとして発現する
あなた自身の本当の願いや想い。
あなたの意志は、あなたの内側にも
外側にも「同じもの」として
無限大に永遠にある。


永遠の奥行きを持つ点の内側の宇宙と
無限大に拡大して連鎖する点の外側の線の世界。


我々はモナドとして、点と同じものである。


この力学を理解すること、
それが科学の使命なのだ。


現実はこちらにある。