「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2019年1月22日火曜日
(連載4)4-9科学の意義
ここまで見てきたように、
全てはシンプルな原理において発現した
「世界の多重次元構造」である。
次元世界の分岐。
この「多重次元構造(次元世界)」を示し
その原理を解明する科学、
それが大統一理論としての「次元理論」である。
この「完全無」から始まる「世界の持つ多重次元構造」。
この構造がやがて
我々の物質世界や、人間の精神世界の発現にもつながる。
我々の宇宙では
全てが「同じもの」として
同じ無の概念を持ちながら同時に拡大するのだ。
たったひとつの事実から生まれて
全ての現実に広がる宇宙。
その理解をもたらすものが
正しい科学である。
全ての科学の間に
隔たりはない。
結果と原因が同じであるという
間違いのない正しい科学。
今ある全ての現実が
この宇宙の原始にある
「存在する無」(実体)である。
「(全ての)存在を持たないものが確かに存在する」
この無の概念は、
意外にも我々の身近にある「点」の中に
最初に発現した。
点は始まりの実体であり、存在し続ける無である。
あらゆる概念のカタチを持たず、
けれども確かに「存在する」もの。
「(面積も体積も)全てを持たないものが確かにある状態」としての
「存在する無」、
この「存在する無」をその構成要素として
点は生まれたのである(つまり存在しない)。
こうして「存在しない無」と「存在する点」は
同じものとして同時に存在し、
その連鎖の方向性によって
概念世界は分岐する。
我々が当然のように存在すると考えてきた
線世界でさえ、
実際は面積を持たない「面世界における実体」であり、
これも無(点)の無限大の連鎖として
「完全無(線世界)」と同一である。
点だけでなく線世界も
「存在しない(実在の)世界」なのだ。
これによって全ての存在する世界も
実体の連鎖、
つまり存在しない概念世界である。
無から始まった
永遠に続く完全無。
これが世界の正体である。
実のところ、
これまでの我々の科学は
この0次元にたどり着くことが
その目的であった。
世界は何故存在するのか、
何故人間は(私は)存在するのか、
その探求の先にある終着点が
「存在する無」だったのである。
無を理解すること。
そしてそれに対する明確な解答が
次元理論である。
だからこそ皆さん、
これからは新しい科学を始めよう。
無を理解する科学「次元理論」は
これまでとは逆の思考で0次元世界の理解から始まり、
世界の構造とその存在する理由とを明らかにする。
原理や法則の探求が科学本来の目的ではなく、
本当の科学とは、
その原理や法則が何故そこに生まれたのかを
我々に理解させるべきものである。
科学はその目的を取り違えてはならない。
人間は自然から学び、世界と共存する生き物である。
自然を拡大し、
世界を拡大させるための生き物なのだ。
科学は世界と人間を結ぶ。
「存在する無」は実体として、
点として
線として
空間として
時間として
物質として
命として
人間として、
現実に我々と同一のものである。
この「無」が
世界に「存在する」理由を与え、
人間の本当の姿も映しだすことだろう。
我々は
世界を
学ばなければならない。
人々の希望がどこから生まれ、
そして我々を何処に導くのか、
人間の存在する本当の理由を
我々は知らなければならない。
存在する無が世界の起源である。
この存在する無の延長線上に
生命や人間の自我世界は存在する。
従って人間を理解するためには、
まずはこの「世界の理」から先に
我々は理解しなければならないのだ。
だが慌てる必要はないだろう。
たとえ少しずつでもかまわない。
我々はゆっくりと
「存在する無」を理解していこう。
人類の誕生と同時に
知識への探求は始まり、
そして今、無から世界が生まれた理由が
やっと明らかになったのだ。
大切なことは
「我々はもう間違えてはならない」ことである。
存在に対する無知と混乱、
その価値観の相違や無理解が、
人々に苦悩と悲劇を生み出してきた。
異なることこそが重要で、
それが全体に対する貢献である。
そのことを知らずに
我々は実にたくさんの可能性を
消し去ってきた。
だからこそ2度と間違えない覚悟で、
我々は学ぼう。
既に我々には
正しさを見透せる力がある。
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