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2021年4月29日木曜日

点と線2(科学は間違っている)


これから数字の0についてお話をします。



0は特別な数字として用いられる

数列の基準点です。


しかしこの認識は人間の発明から生まれたものであり、

「数字や数列」と「点と線」の概念は重なりさえすれ

それは決して同じものではありません。



まずその事実を確認するために

この特別な点0とその他の点との違い、

例えば無理数や他の整数などとの違いを

調べていきましょう。



そこに数列に隠された真実があります。

そこにあるのが点と線の持つ「本来の自然科学」です。



では本題に入る前にこの章では

そのことについて語らせて下さい。





わたし達の先祖の数学者は

「点が何かを知らなかった」ために、

点にその呼び名となる記号を与えました。



それ以来わたし達は

やはり「点が何か」を考える前に

「存在する記号」として

数列を理解するようになりました。



つまり数学を始める前に

勝手に前提を作ってしまったのです。



ここでわたし達のおかした大きな間違いは

点に記号を与え「存在するもの」として

点を理解したことです。



「前提のある科学」は

最後まで前提を残したままです。

もしも仮に数学を全て理解した人間がいたとしても

彼の最後の疑問は「この前提は何故あるのか?」

で終わります。


「0は無いもので、点は存在する」


その前提に何の疑問もなく

そこから始めることによって、

わたし達人間は大きな弊害を(もちろん利益もですが)

受け取ってきました。



この仕組みは「世界は神様がつくった」として

そこから始まる疑似科学と

何ら変わることはありません。


つまり数学には前提を超えて

世界を理解する力はありません。


これは「世界を理解する為の物理学」が

未だに世界に解答を与えることの出来ない理由です。




その事実を理解できた時、

道具としての数列の課題も

数学を科学の基盤として活用することの問題も、

おのずから分かることでしょう。



正しい理解がなく、

わたし達がただ「それが正しいから」と

覚えてきただけの知識に、

きっと驚かれるに違いありません。



結論だけ先に申し上げますと、

わたし達の科学は

まだ始まってもいません。



「本当の科学」を始めるためには、

そして「正しい学問」を人間が手に入れる為には

わたし達には正しい知識が必要なのです。



本当の科学は間違えません。

もしもあなたが

「科学は間違っている」と感じられるならば

それはその科学がまだ本物ではないからです。


世界の正しさ、それが科学です。




これはそれを理解するための学習です。





2021年4月21日水曜日

点と線1(存在するものとしないもの)

 

私達は数学で点を使います。
でも本当に点は存在できるのでしょうか?
点には面積がありません。
面積を持たない図形は存在できますか?



では線はどうでしょうか。
線は点の集合体です。
私達はこの線を使います。
しかし線にも面積や体積はありません。
では面積のない図形が存在出来ますか?



長方形や三角形には面積があります。
点や線で構成されたこれらの図形には
「独自に占有する面積」が与えられていて
この図形は存在します。


でもちょっと待って下さい。
体積を持たない長方形が
本当に存在するといえるのでしょうか?



私たち人間の使う「存在する」という言葉に
今区別はありません。
けれども「本当に存在するもの」を考えるにおいては
正しい認識と知識が必要なのです。



「存在する」を一種類しか知らない人類に
「宇宙は存在する」を理解することは出来ません。



我々の宇宙は力学の連鎖による流動するベクトルであり、
その連鎖の段階、段階が次元世界と呼ばれます。
このブログでは「何故存在するのか」という全ての疑問に
科学的な解答を考えていきます。









点と線1




わたし達の科学は
点と線を活用することによって
大きく進歩しました。


それは人間が
数字を活用する技術
「数学」の誕生です。



わたし達はこの数列の上を
行ったり来たりしながら、
公式を見つけ出したり、
解を探したり
まさに正しさの基準として
数学を利用して来ました。


線は無数の点のつながりであること、
点は二本の直線の交わった一点であること、
線はその長さによって範囲を表すことができることなど、
点と線の運用は科学の基本にあります。



そんな数学の基礎でありながら、
数列の活用によって
わたし達の世界の全てが理解できると、
ほとんどの物理学者は考えています。



それは正しくもあり、
けれども大きな間違いです。



宇宙にも点と線の概念はあります。
そしてそれを活用することは
決して間違ったことではありません。


しかし我々が数学で利用する数字や数列は、
計算の前提として作り出された「道具」であり、
これは0という数字にしても同じことなのです。



わたし達には科学に対する信頼として、
数学は知識の前提であるという認識や、
その理解があります。


しかし数字や数列は、
人間の文化や歴史的な構築物としての側面も色濃く、
それは理論的な哲学のひとつに過ぎないということを
わたし達はまず理解しなければなりません。



つまり普遍の真理を表すと
考えられている方程式でさえ、
その根底には人間の考え方や捉え方といった
思い込みが先立っているのです。






2021年4月13日火曜日

(連載22)22-4「存在しない」と「永遠」は同じ


 

人とのつながり、

世界とのつながり、

それを知ることは私たち自我世界にとっての

数少ない安らぎです。

 

 

もしもこの一文が正しいものであれば、

人間が世界とのつながりを蓄えるということは、

この世界を私たち人間の安らぎの場所へと

変えていくということです。

 

 

このように理解するのは人間であり、

けれどもそれが世界から理解される人間の在り方です。

 

 

 

本当は、今ここに居ることが一番の幸せなのです。

 

 

 

 

 

 

次元理論を考えはじめたころの

私にあったものは

ただこの宇宙にたいする「好奇心」だけでした。

 

 

宇宙が何故生まれたのか、

何故私はここにいるのか、

それを純粋に知りたかったのです。

 

 

私も最初はビックバン神話を信じ、

そこに疑問が生まれ、

結果、実体から始まる宇宙の形にたどり着きました。

 

 

 

無への理解が人間理解につながることも、

次元理論が私に教えてくれました。

 

 

 

少し奇妙な話になりますが

この次元理論における旅では、

私は一人の画家として、

そこで見てきた風景を出来るかぎり正確に

描写してきたに過ぎません。

 

 

よって私も単なる次元理論の

「最初の読者」です。

 

 

「わたし」が問いかける「わたし」は

いつも「わたし」でした。

 

 

 

ですからもし皆さまに

この文章を読んでいただき、

共感や理解して頂けたとしても、

それは私の力ではなく、

皆さま自身の能力によるものです。

 

 

「わたしの視点」によって、

あらゆる次元世界を共に旅して来られた、

私の大切な友人である「あなた」。

 

 

「わたし」には見つけ出すことが出来なかった世界も、

「あなた」であれば見つけることが

出来るかもしれません。

 

 

 

そしてこの本も「わたし」が書いたものだということを、

どうか忘れないで下さい。

 

 

もしも「あなた」が

無を理解した最初の「わたし」であったならば、

「あなた」も同じようにこの「次元理論」を執筆したはずです。

努力や才能は、

それを本当に必要とする人間に与えられるのです。

 

 

 

人間は誰もが

この宇宙の中心にいる特別な存在です。

 

 

そして特別な人間など、

誰一人としてこの宇宙には存在しません。

 

 

 

 

おそらく私も

「一人の宇宙として存在する」とは

「全ての宇宙として存在する」ことと同じという

次元理論の示した結末に、

大変満足しております。

 

 

過去も未来もなく、

今しか存在しない世界。

宇宙もわたしも。

存在することが出来ないから

始めていることが出来る世界。

「存在しない」と「永遠」は同じ。

 

 

 

私たちは私たち自身の存在を、

この宇宙の夢や希望へと変えていくのか、

あるいは一時の幻とするのか、

自分たち自身で選択する自由があります。

 

 

つまり私たちには責任があるのです。

その責任は生きる希望と同じ、私たちの権利です。

 

 

迷うことは必要です。

 

 

けれども私たちの外がわには宇宙があり、

この宇宙はどんな時でも「正しい解答」を

私たち内側の宇宙に与えてくれます。

 

 

どれだけ広く、あるいは遠くまで、

見渡すことが出来るのか。

 

 

私たちは求め続けなければなりません。

私たちはベクトルです。

 

 

「彼ら」は強く優しく温かく輝きながら、

そして深遠で冷たく厳しく、

私たち人間に問いかけます。

 

 

 

「人間は何処から来たのか、そして人間は何処へ向かうのか」

 

 

 

その問いかけは、

あるいはこの世界から

我々人間へとむけられたものです。

 

 

 

「人間とは何者なのか」

 

 

 

それは私たち自身が選択することです。

 

 

 

 

なによりありがたいことは、

彼らは悠久の時間をかけて

私たち人間を見まもることが可能だいうことです。

 

 

私たちは着実に、少しずつ

ただ広がっていけばいいと、

私は思います。

 

 

 

 

「わたしは世界を愛するように、

自分自身を愛しています。

わたしは自分自身を愛するように

この世界を愛します。」

 

 

 

 

 

次元理論は「この世界を理解したい」と願う「あなた」を

「理解する」ための論文です。

 

 

もしもそれが書き手としての私の力不足によって

皆さまに正確にお伝えする事できなかったら、

私は「新しい書き手」に

この次元理論をゆだねることを否みません。

 

 

 

次元理論は人類の探究の歴史であり、

自我世界の一部分です。

 

 

 

このたび「わたし」が偶然受け取ったこの「バトン」も、

本来は「あなた」にお渡しするためのものです。

 

 

 

「時間は止まらない」ということを、

これからもお互いに証明し続けましょう。

 

 

 

次元理論が私を幸せにしてくれたように、

どうか皆さまの人生も有意義で

豊かなものでありますように。

 

 

         

 

2016,12,31(初版)

2018,6,26(改訂版)

The third eyes こと 富史見 和輝、

ブログ編集  青木 聡汰

 

 

 

ありがとうございました。













                  

2021年4月7日水曜日

(連載22)22-3出発


 

 

 

人間は誰かと一緒だと安心することが出来ます。


 

けれども「自分だけはちがう」として、

一人で歩きだす力も持っています。

 

 

次元理論を理解して頂ければ、

彷徨える自分を奮い立たせることも、

崩れそうになる自分を支えることも

より容易な事となり、

次の挑戦へと向かうための力が

確実に生まれてくるはずです。

 

 

 

わたしたち一人ひとりは

世界を広げるための使命を持った

全ての存在における希望です。

 

 

 

 

 

そんなちっぽけな事に全身全霊を傾けて

時には情熱の炎で自分の命を輝かせ、

あるいは時折この大宇宙に自らの願いを浮かべて

我々の本当の故郷へと想いを馳せながら、

来たるべき未来を一緒に夢見たいものですね。

 

 


 

時間も場所もこえて

我々の自我世界は「つながる」ものです。

 


ですから我々は、自分の望む者と

いつでも語りあうことが出来たのです。

 

 

すでに我々が、いつでもそうしているように。

(今も私は「あなた」と話しをしています。)

 

 

 

あらゆる宇宙や時代、地球上の全ての人々とも、

自分自身の自我世界がどこかで繋がっているのだと感じることは、

個である自我にとっての心強い確信です。

 

 

人間の弱さはそのままで

人間の強さに変わります。

 

 

どれほど多くの価値観を共有出来るのか、

どれほど深い結び付きを保てるのか、

それが人間の強さだと私は考えます。

 

 

そしてその事が、

私達が自我世界で「生きる証」なのです。

 

 

 

 

 

 

 

次元理論はまだ

生まれたばかりの子供と同じです。

 

今後は多くの方々との出会いを体験し

何かをいただいたり、

また何かをお分けしたりしながら、

正しく成長してくれることを

私は願わずにはいられません。

 

 

自我世界はつながるものでした。

 

 

ですからいつかどこかで、

私たちも必ず出会うことでしょう。

 

 

その時には「あなた」が「わたし」であったり

「わたし」が「あなた」であったりしても、

全く不思議ではありません。

 

 

その時の「わたし」は、

次元理論から始まる人生を歩んでいけてたら

きっと幸せだろうなと思います。

 

 

疑問を希望へと変えての、

そこから始まる「わたし」の始発点。

「わたし」の終着点から始まる

「あなた」の新しい旅立ち。

ですからきっと、

私たちは一緒に成長していけるでしょう。

 

 

 

 

過去の「わたしたち」に感謝と敬愛を。

未来の「わたしたち」に希望と願いを。

そして今の「わたしたち」に自由と探求を。