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2018年12月25日火曜日

(連載4)4-5連鎖する宇宙





「永遠に存在する無」と
「無が無限大に連鎖する世界」は
「同じもの」である。


その為に異なる場所(次元世界)に
「同じもの」として
無と点(存在するのに存在しないもの)は同時に存在する。


更に
「永遠に存在する点」と
「点が無限大に連鎖する線世界」も
「同じもの」である。




点の無限大の連鎖と
線世界はこのように
同一の概念を重ねながら
別々の概念世界として同時に出現する。




無の無限大に連鎖する0次元世界。
点の無限大に連鎖する1次元世界。


無と点は「同じもの」である。




その概念が重なる為に
同時に、しかし別々の世界の中に
それぞれが「同じもの」として存在する。


同じ「あるのにない」もの。




同一であるもの。


同じものである為に、
異なる概念世界に同時に無として存在する。


これが実体概念の重なりによって、
新しい次元世界が出現する原理である。


「長さ」を持たない点は「存在するもの」ではない。
面積を持たない線も「存在するもの」ではない。


世界は未だに連鎖する無なのだ。



点の無限大の連鎖は線ではない。
線の中に点は存在しないからだ。
この両者は元々、概念としての存在する世界が異なる。
これは「同じもの」である。


異なる宇宙の
同じものなのだ。



全ての宇宙が
「存在する無」と等しく無に回帰する。


「この世界には何も存在しなかった」


だからこそ無の連鎖は続く。
無と等しい点の連鎖も続く。
無と等しい線の連鎖も続く。


こうして連鎖は存在として認識されていく。
この連鎖が力学なのである。

2018年12月18日火曜日

(連載4)4-4世界の誕生




点は実体である。


点はあらゆる「存在するもの」の部分を持たない。
すなわち点は「存在しないもの」として
「存在する」。




つまり点それ自体が「存在する無」であり
0次元宇宙なのだ。
そしてこの「存在する無」が
永遠に継続する状態として「線(完全無)」の概念世界はある。









点の内側にある概念は
「どこにも存在しない無」である。


そのために点は
体積や面積、長さなどの全ての部分を持たない。




点の外側にある概念は
「確かに存在する無」である。

そのために点はそこにある実体として
この場所に間違いなく存在する(実在)。


そして「全ての概念が無である」という
0次元世界と同じ状態として、
「点という無の無限大の連鎖」である線世界が、
「完全無の世界」として同時に存在するのだ。



これが概念の異なる同じ世界の発現、
次元世界の最初の分岐である。


点の無限大に連鎖する線世界は
「存在する無の無限大に連鎖する世界」として
「線の概念世界」すなわち完全無と同じものである。



このように「存在するもの」の全ての原因は、
無限大に連鎖する無の概念、完全無にある。
だからこそ「存在するもの」は
その全てが「存在しない」のである。




「存在する無」が「完全無という世界」と同じものであるように、
実体(無)は実体の無限大の連鎖(完全無)として
異なる概念世界を生み出している。



それが等価原理として発現する。




こうして世界は
多重次元構造によって形付けられ、
同じものとして働く力学に支配されている。
これが現実世界の根本的な構造である。




存在する無は点である。
従って点が0次元世界なのだ。
「点の奥行き」には既に永遠があり、
点は決して存在するはずのない「存在するもの」である。






点の概念は、
無が存在する、無が永遠に存在する、
という「無しか存在しない世界」である。


そして「無が無限大に存在する世界」、
この概念が点の無限大の連鎖であり、
無のみを構成要素として成立する世界、
1次元線世界である。


すなわち点は「存在する無(実体)」であり、
全ての始まり、存在するものの全ての原因である。



更にそれと同じものとして生まれた線も、
点が存在する、点が全ての概念に無限大に存在するという
0次元世界(無)と「同じもの」として、
線の概念1次元世界(完全無と同じもの)をそこに構築している。




実体の内側の概念(存在する無)と
外側の概念に向かう力学(全ての概念が無である世界)、
これが同じものとして
次元世界の存在する唯一の理由なのだ。


これが世界の始まりである。


「無(個の概念)が完全無(全の概念)と同一であること」

これが存在であり、力学である。



2018年12月11日火曜日

(連載4)4-3完全無という世界






このように「完全無」が理解できれば、
時間や空間も存在しないはずの世界に起きる「ゆらぎ」や
ましてや「ビックバン」など、
そういった仮説自体に誤りがあることには
我々もすぐに気がつけるはずである。




そして物質が存在しない状態だけを「無」として定義するのであれば、
確かに存在するはずの「時間」や「空間」に対しては
全くの認識破棄であり、
その後我々が都合よく空間や時間を扱おうと試みても、
正しく組みこめるはずもないのである。




その誤った認識は、
すでに知識にとっては致命的な欠陥である。






では「完全無」が永久に閉ざされた世界だとして、
それ自体で完結するものであれば、
なぜ我々の宇宙は「現実に」存在するのだろうか。




はじまりが「無」である以上、
この世界には何も存在しないのではなかったのか。





これが人類の前に長らく立ちふさがった
「知識の壁」である。




「存在する無」は「何もない」という意味ではない。



そこには「完全無という世界がある」という
「同じ概念」が生まれている。
「ないのにある」
「あるのにない」の同じ概念。



完全無として、ないはずのものが
永久に継続する現実世界の出現。



永遠に続く無。
永久に連鎖し続ける無。


それが「実際に存在する世界(次元世界)」であり、
この「存在する無(ないのにある)」の概念が
実在する「実体」の正体である。



存在しないものが
確かに存在する世界。



つまり実体(存在する無の概念)があること、
全ての概念が実体の連鎖(永遠に続く存在する無)であること、
これが世界の大前提なのだ。



「無」は「全く何もない」という概念が
「全てにある(あらゆる概念に永久に続く)」という状態世界を
そこに創り出している。


この「無(の概念)」が生みだした「無の永久に連鎖する世界」、
それが「完全無(の世界)」である。
(無と完全無は同じもの)


したがって「完全無」とは
無限大に連鎖する「無の概念」であり、
そこには「永久に続くないのにある」という概念世界も
「同時に」生まれている。

(「同時」であることが重要。
これは実体と実体の連鎖が「同じものである」という理解である。
新しく生まれてきた完全無の世界も
最初から存在する無と「同じもの」である。)


これが点と呼ばれる最初の実体(あるのにない無の概念)と、
点の創り出す線(永遠に連鎖する点)の概念世界(次元世界)が
出現する、その理由である。



全ての部分を持たないのに存在する実体は、
存在する無と「同じもの」である。


無こそが
全ての部分を持たない実体の
本質なのである。



2018年12月4日火曜日

(連載4)4-2「存在する無」の世界






「この宇宙には何も存在しなかった」





では宇宙の起源に存在する「無」とは、
一体どのようなものなのだろうか。


我々は全ての知識のために、
そしてあらゆる存在を理解する為にも、
まずはこの「無」を理解することから始めなければならない。



これより次元理論(大統一理論)は、
この「無」を理解するために
一気に知識の深淵へとおりていく。
読者の皆さま、
どうかしっかりと私について来て頂きたい。






『無を理解することは
全てを理解することである』







始まりに「存在する無」




「無」には大きさ、広さ、長さ、時間、
「あらゆるもの」は存在することはできない。
ゆえに「無」に変化は起こらない。


つまり「無」はそれ自体で
「永久に完結した現実」である。


この「無」に変化を期待することは愚かであるし、
そこから抜けだせる存在もあるはずはない。


したがって「この宇宙には何も存在しなかった」ということは、
今もなお「この宇宙は永久に無でありつづける」ということを意味する。


無は永遠に無であり、
すなわち無限大に全ての概念が無である。



しかしこの無に対する認識で
我々が理解しなければならない性質は、
「無が存在する」という事実である。



「無が存在する」とは、何もないということではなく、
その何もない状態が「ある」、
つまり「存在する」ということなのだ。



すなわち永久に完結した否定概念としての「存在する無」は、
「無が永久に存在しつづける」あるいは
「全ての概念に永遠に無が存在する」
という肯定世界をそこにつくり上げている。



無が果てしなく全ての概念に存在する状態、
これが「完全無という世界」である。



「全てがない」という状態が「存在する」世界。


この無の存在する世界が
次元理論で宇宙を認識するときの最初の宇宙、
「0次元世界」である。


0はあるのか、ないのか、
というのは我々の好きなレトリックである。
しかし「存在する無」は現実の世界なのだ。


我々の知る現実世界の大前提として
「この宇宙には何も存在しなかった」
という事実が先立つ。


この章ではのちほど、
現実に存在する「存在する無」と「実在する概念世界」を
直接皆様へと提示する。



この「実在するもの」とは、
現実世界の概念を支えるために必要となる
「異なる次元世界での現実」である。


「次元世界が生まれる」こと。

これこそが
「存在する無」の存在する証である。


何にとって何が無なのか、
同じひとつの「存在する無」が
どれほどの異なる概念と等しいのか、
その無の存在する姿に
科学は迫るものでなくてはならない。





「この宇宙には何も存在しなかった」


それは「無が存在する」ということであり、
「全く何もない」という状態の世界が「ある」、
すなわち「存在する」ということである。


つまり「存在する無」においては、
閉じた状態が「無の存在する状態がある」であれば
開いた状態では
「全ての概念が永久に無でありつづける完全無の世界が存在する」
ということである。



これは同じことではないのか、
皆さまの中にはそう思われた方もいるだろう。


そのとおり、全く同じことである。


閉じた開いたという言葉に惑わされる事なく、
世界の始まりに「無が存在する」という事は
「世界は完全無である」という認識と同じ意味である。


このように次元世界では
「無(個の概念)は完全無(世界・全の概念)と同一」である。


単独で唯一の概念「無が存在すること(個)」は、
あらゆる全ての状態が無として存在する
「全てが無の概念世界が存在する(全・完全無)」
ことと同じ意味である。


この無の概念は、
その後の全ての次元世界に共通する基本原理として
あらゆる宇宙を統括する。



これが「存在する無」という実体(個)が
「無の概念世界」(全)を生みだす原理、
次元世界の発現である。


この「完全無」の概念は、
現在も進行形で現実世界として「無」であり続け、
「無」は今もなお「完全無」として
「0次元世界」に存在する。


つまり全ての次元世界の土台となるのが0次元世界、
この「完全無」なのだ。


まとめ


「存在する無」には
その内側に含有される「永久に無が続く」状態と
その外側を統括する「全ての概念に永遠に無が連鎖する」状態の
2つの「無の連鎖する方向性」がある。


これが次元世界の最初の分岐である。