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2017年9月22日金曜日

モナドの声を聞く 2-8



世界が存在しないから、
世界は無限大に存在する。


世界が存在しないから
世界の全ては異なる。


世界が存在しないから
我々は永遠に
ひとつの同じものである。


全ての我々が
ひとつしか存在しない世界の
「同じ部分」であり、
全てにおいて異なった「歪み」である。


自分が何者かも知らず、
他者が誰かも判らず、
世界がある理由も理解しない。


無知とは罪である。
良くも言ったものだ。


世界のわずかな部分にしか目を向けず
全体を知る努力をしない、
それが無知である。


無知は否定である。
否定は可能性を奪う。
だが世界は可能性によって
成り立つものである。


では我々に知恵はあるのか。


相互に理解して
世界ははじめて成立する。
それが「予定調和」である。
それを理解するものが
自由意思における「知識」なのだ。


例えば弱肉強食も、
生き物たちの命をかけた
相互理解である。


確かにそれは逃げ場のない
命のやり取りである。
しかしその真意は
強者の選別にあるのではなく、
あらゆる生命の繁栄とその拡大にある。


それは生命「世界」全体の
永遠へと続く願いなのだ。


生態系の中で磨かれる生命の輝きと、
そこから生まれる
尽きることのない可能性。


この可能性の連鎖が
さらなる広がりと強度とを
生命世界全体にもたらしていく。
それは我々の中心にも
脈々と受け継がれてきたものであり、
我々がさらに広げなければならないものである。


相互理解。


それはお互いがお互いの中に広がり、
生きることである。
つまり共生や共有、共存、
あるいは愛と呼ばれる。


生命は地球によって育てられてきた。
それは事実である。
けれども地球も
生命世界によって磨かれてきたのだ。


命を育む星は美しい。
しかしその美しさは
生命世界全体で地球と共に
宇宙に描き出してきたものである。


星と生命の相互理解。


その鮮やかな多様性は
世界の可能性そのものである。


その生命世界の新たな可能性として
人間は唯一、
宇宙(フロンティア)へと挑める存在である。


我々の決意は、
生命世界全体の意志を
受け継ぐ。


未知への憧れと生命世界拡大の想いは、
我々人間へと託されたものなのだ。
フロンティアへの挑戦は、
本能として
あるいは希望として、
我々の中に脈々と引き継がれてきた
生命世界の願いである。


生命世界の原理は、
この宇宙の劣悪な環境でさえも
命の可能性として
生命世界が変えていけることを信じている。


この地球が希望であったように。


モナドは連鎖する可能性である。
モナドは「あなた」だ。


あなたが無限大の連鎖を続けるのは、
いつの時代も
あなたが無限大の可能性を求めたからである。


我々が、
「存在する力学」である。


わたし達はいつも
同じ時間を歩んできた。




2017年9月15日金曜日

モナドの声を聞く 2-7



世界が孤独であること。


それが世界の創り出す
最大の可能性、
創造の出発点である。


わたしたちがモナドとして
実体を持たないのは、
この可能性の為である。


モナドが何かの部分を持たないのは、
モナドは全ての部分となり得るからだ。


我々は求められて孤独である。
有限でないことが
この世界の無限大の可能性である。


わたしは世界を求めている。
世界を理解して
世界から理解されることを
求めている。


そこには宇宙を広げる為の
共通の原理が働く。


それが世界が存在する理由であり、
わたし達の一人ひとりが
異なって生まれてきた
その理由である。


「異なる」世界であること。


「内側と外側」とに拡大すること。


それが宇宙の法則である。
それが世界が積みあげてきた強度、
世界の求める「可能性」なのだ。


それは希望の中で生まれた、
さらなる願いである。


わたしはわたしであることによって、
この宇宙を拡大する
新たな空間である。


人間は、
そのための自由と責任を持つ。


我々は自立した状態では
この宇宙と等価である。
わたしの持つ選択肢は
宇宙に宿る無限大の可能性である。


それが物理法則なのだ。


あらゆる可能性、と書くと
語弊があるかもしれない。


それはあなたが希望して、
この世界も希望する
「予定調和」としての可能性である。


そこに「拡大する」という共通の目的がある。

2017年9月8日金曜日

モナドの声を聞く 2-6



わたしは違う。


「他のものとは異なるため」に
わたしは生まれた。


そこにもう答えがある。


わたしが孤独なのではない。
孤独が私なのだ。


わたしと同じものは他に存在しない。
その現実を守る為に、
わたしには
わたし自身を愛することが出来る。


わたしは世界に導かれ、
世界もわたしによって磨かれる。


わたしたちは皆、
同じ世界の部分である。
わたしたちは常に「ひとつ」なのだ。


全てのわたしたちは
ひとりになる為に
「同じもの」から派生した。


わたしにないものが
この世界であり、
この世界にないものが
わたしである。


孤独であること。
そこから始まる
終わりなき、永遠の探求。


全ては同じひとつのものの
異なる部分である。



わたしの孤独は
世界を求め、
世界の孤独は
わたしを求める。


その為にわたしはひとりで生まれた。


わたしたちは皆
お互いに求め合い、
与え合うために孤独である。
繋がるために生まれた
消えない孤独である。


わたしの価値は
ただひとりのわたしであること。
わたしの価値は
決して埋めることの出来ない
孤独であること。


それを世界が求めたから、
わたしも世界を求めるのだ。


全てのわたしは
失われたわたしの中の空間を求めて、
自分自身と世界の空間とを集めていく。


あらゆる全てのものに宿るわたし。


わたしがひとつ広がるごとに
この世界もまた広がりを増していく。


わたしを愛することは
世界を愛することであり、
誰か(何か)を愛することは、
わたしを愛することである。




2017年9月1日金曜日

モナドの声を聞く 2-5


点も線も形も

全ての空間も、

この宇宙に「同じもの」は
何ひとつ存在しない。


何ひとつとして。


「存在する線」を創りだす
「存在する点」の概念が、
存在の全てを持たない為である。


体積や面積、長さ、
その全てを点は持たない。
外側から見れば存在しても、
その内側には全く何も存在しない点。


点は存在しない「存在する無」である。



これによって「存在する全てのもの」は
異質な「個性」であることを決定づけられ、
そこに生まれた不確実な「歪み」である。


存在しない無の世界に
特異な空間として存在する「わたし」。


あるいはこの「歪み」を創り出すことが
世界の目的なのだ。


歪みであること、
不安定な虚空であること、
その存在が揺らぐこと、
その全てが求められたことである。


そして時間と空間の波から派生する
最初の「歪み」、
あるいは戸惑い、
ためらい、
歓び、
それがこの宇宙に現れた最初の原子である。


つまり原子も
その始まりは平坦な空間に過ぎない。


面積を持たない線と同じ、
質量を持たない「時間と空間」。


蓄積された時空の歪みは、
そこにはじき出され重なった空間として
「原子」を誕生させる。


だからこそ原子の持つ重力は
「空間に作用する力学」なのだ。


質量によって空間が引き延ばされて、
その内側に向けて空間距離が増えるのは、
空間自体が重力に作用される実体だからである。
重力が物質にも働くのも、
物質が空間の一部分(同じもの)であるからだ。


空間と物質は同じもの。
そこに存在する等価原理。
それは世界の不満足と永遠の未完成。


そして空間と時間も
また等価である。
そのために重力は、
時間の流れに対しても
同じ影響力を持つ。


時間を等速と考えれば空間は歪み、
空間を均一なものとすれば時間は歪む。
これが光速度が不変となる
その所以である。


全ての原理には理由がある。
原理の存在を説明できるのが本当の科学なのだ。
そしてそれらの唯一の原因が
「この宇宙には何も存在しなかった」
というただ1つの大前提(大原理)である。


この大原理に理由は必要なく、
ただそれを理解して
そこから始まるだけである。


「失われた(中心に重なった)自己の空間を埋めるために
周り(内外)の空間を求める空間の復元力、
それが重力である。
その失われた空間の重なりあった中心に
原子核は存在する。
このように全ての力学の根底を
無が無であり続けようとする
存在する無が統括する。」


重力を生みだすこの空間の穴は、
その内外の空間を同時に引きつけている(存在する力学)。
そこに存在としての原子(核力)は創られるのだ。


これが我々の宇宙に物理学の誕生した
その瞬間である。


このように「世界とは異質で異なるもの」として
「宇宙」は生まれる。
けれども「同じもの」として。


つまり最初の世界(4次元時空)に
我々の宇宙(5次元物資世界)は
「重なった状態」で出現する。


「違う」からこそ生まれた。
異なる為だけに創られた。


原因と結果、そして目的は同じであり、
それ自体が「ひとつのモナド」である。



厳密には原子の
ひとつひとつにも
他の原子とは異なる
わずかな相違がある。


全ての存在に最初から与えられた
「わずかな違い」。


違うからこそ生まれた世界がある。
世界を創り上げる、わずかな相違の積み重ね。
宇宙は、
全てが異なる為に
無限大に拡大する。


我々はその違いを
「個性」と呼ぶ。
この「世界の多様性」が
存在を確定させるのだ。


原理(意志)とは
世界とわたしを分かつものである。


大宇宙から枝分かれした
小さな、けれどもひとつの同じ世界。
その一つひとつの宇宙が
「わたし」である。


世界を鼓舞し、
継続し、拡大し、
創造する、
確かな可能性のひとつが
「わたし」なのだ。


無が存在すれば
「わたし」は必ず存在し、
わたしはいつも
宇宙の範囲にいる。


わたしは永遠の旅を続ける。


2017年8月25日金曜日

モナドの声を聞く 2-4



同じ長さはない。

同じ形はない。

完全な円や球も存在しない。

同じ波(力学)は存在しない。



つまり完全に均等だと思われていた波長も
いつかは必ず、
存在しないはずの空間を
区切ってしまうである。


円周率が現すものは、
「永遠の未完成」という、この世界の原型である。


そこには必ず「歪み」が生まれる。


この「歪み」は
存在するはずのない
異質な空間として「存在する」。


全てにおいて特別な
この世界には存在しない、
特定された不確定。


こうして宇宙は切り出され、
存在は拡大されていく。



「同じものを持たない」ことは
宇宙の広さであり、
世界の耐性とその強度である。


世界の広がりは力学の結果であり、
それ自体が原因となり、目的である。


わたしは「歪み」である。
それを知れば我々もしたたかだ。


わたしは歪みとして
生まれてこなければならなかったのだ。


わたしが歪みである。


孤独を抱えるという世界の目的の為に。


だからこそ私は
「求める続ける」ことも出来るのだ。


その虚空が私である。


人間の放つ重力として、
我々の生み出す希望は、
心の虚空から生まれた。


それは人々が希望を宿す為の、
何かと繋がりたいと願う為の、
消えない孤独である。


その孤独がわたしである。


わたしは拡大するモナドだ。


わたしたちはそれぞれが
繋がる為の異質な虚空である。


同じひとつの空間に空いた
異なるたくさんの穴。

2017年8月18日金曜日

モナドの声を聞く 2-3


わたしとは何か。


どこからどこまでの部分が
わたしなのか。


わたしは存在するのか。
あるいは
わたしは存在しないのか。


わたしは何処にいるのだろう。


想いであるわたし。
イノチであるわたし。
肉体であるわたし。
体積であり、面積であるわたし。


つまり、わたしは点です。


けれども
点の中には
何も存在しない。


では、わたしは何故
点ではなく線なのか。


点は同じひとつのものとして
線と同一のものである。


線は空間と等しく、
空間は時間の構成要素である。


だからわたしは時間である。
いや、時間がわたしなのだろうか?



わたしは空間であり、
わたしは物資であり、
わたしは時間であり、
わたしは命であり、
わたしはココロであり、
わたしは希望です。


わたしは
全ての部分を持たない、
その全てを「内側と外側へと」含むものである。


宇宙よ。
わたしと同じものである宇宙よ。


おまえの範囲を
わたしに教えて欲しい。


点は永遠に連鎖して線である。
今は無限大に連鎖して時間軸なのだ。


宇宙は無限大に連鎖をつづけて
「わたし」である。


部分を持たない為に存在しない点の内側と
無限大に広がる宇宙の外側は
ひとつの同じものだ。


このわたしも。


モナドの力学を止める術はない。



私も同じ
存在する力学である。


そこに存在するモナド。
連鎖する「わたし」。


個であるはずの「わたし」が
全である「わたし」と同じものである瞬間、
世界はそこで構築されていく。


でも願わくば、
「わたし」は「わたし」のままでありたい。


わたしは有限であり、
わたしの希望は
留まることを知らない。


では無限大に連鎖を続ける「わたし」は、
その先に一体
何を求めるのだろうか。


点は線であり、
線は形である。


しかし点は範囲を持たないものであり、
線にも確定された部分(面積)はなく、
であれば「形」の持つ領域も
それは確かなものではないはずだ。


点が長さを持たず
線が面積を持たず
「形」を表す空間が特定できないものだとしたら、
この世界には最初から
確かなものなど
何ひとつ存在しない。


全てが存在しないことが等価原理である。


世界の始まりが点であれば、
その後につづくあらゆる存在は
全てにおいて異なる、
異質な「わたし」である。


わたしたちは生まれた時から
異なった人間である。


全ての人間は同じである。


わたし達は希望を持つ。
希望が持つものが「わたし達」である。


全ての人間は同じ部分を共有する。


だからこそ人間は
あらゆるものを理解することが出来るのだ。


それは「わたしたち」が
「同じもの」だからである。






2017年8月11日金曜日

モナドの声を聞く 2-2


人間は、
この世界は、
何故みんな違うのだろうか。


これだけ大勢の人間がいるのに
何故わたし達は
違わなければならなかったのか。


原理がある。
だからそこにも
理由はあるはずなのだ。


世界にひとりしか
わたしが存在しない理由。


わたしたちが「生きる孤独」を抱えた理由。


全ての人々が理解されることを望む、その理由。



世界の始まりは点である。

「点は存在する」

だが点は、
そこに範囲と呼ばれる部分は持たない。


自己の領域を持ちえない、
定められた範囲のない、
それでも「存在する」という
存在するはずのない点の概念。


ではわたしはどうか。


わたしにも自己の領域はあるのか。
わたしは何処に存在するものなのか。


何処にいるからわたしなのか。
わたしのどの部分がわたしと呼ばれるのか。


わたしはわたしである。


そのわたしにも、
定められた範囲があるのか。


わたしはここにいる。


そう自覚するわたしは一体
何処に存在するものなのか。


わたしはなにか。
思考なのか?
想いそのものか?
どこにいるからわたしなのか。
わたしと思えるものは何か。
わたしと考えるものは一体何か。



全て「わたし」と「点」の共通項である。



わたしは点である。



部分を持たないことが
モナドの条件なのだ。


最初のモナドは点であり、
我々人間も同じモナドである。


このモナドはひとつの同じものとして
世界の全てを統括する。



「では点よ。
おまえに命題を与える。
おまえが存在するものであれば、
お前の持つ領域を示せ。」



わたしたちは一体
何処に存在するものなのか。


何処わたしは「わたし」でなければならなかったのか。



そこにも
この世界しか知らない
確かな理由がある。


ある日突然にして
自己の領域を与えられた我々は
最初は戸惑うだけであるが、
けれどもやがて確実な目的を
明白にする。


理解される為に我々は戦うのだ。
理解する為に我々は愛するのだ。


理解したいと
理解されたいは
同じ1つの気持ちである。


喜びと安らぎは
自らの内側と
その外側で
同時に発現する。


それを引き寄せる空間が
「わたし」である。