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2020年3月31日火曜日

(連載12)12-6利己的な遺伝子と等価原理




私はここまで「宇宙と我々人間の存在をつなぐ」ために、
「より科学的な理論」として本書を展開させてきた。


現代科学は「人間の創作した定義」がその本質であり、
原理から始まる理解として原理を理解するものではない。


世界にはいくつもの原理があるはずもなく、
本当の原理は一つしかないのだ。


それこそが「世界に属する」ことであり、
科学的に正しく存在することである。



人間と宇宙の等価原理。



その理解の為にこそ私は
「無」から「精神世界」の創造までを、
次元世界という枠組みで直接的に示したのである。


我々は今、精神世界が
「第7の次元世界」であることを理解した。


そしてこの第7次元「精神世界」が創りだす新たな次元世界、
そこにこそ我々人間の「自我世界」がある。



つまり次元理論では、人間の自我世界は
「第8次元世界」に該当する。
これより先「次元理論」は、
いよいよ「人間の存在」そのものを科学する。





(本項で扱った「利己的な遺伝子」の意味です。

自分さえ良ければそれでいい。
実はこれは、全ての宇宙にとって重要な意識です。


このことは「繋がりを理解する」ことによって広がります。


自分にとって大事な人たちさえ良ければそれでいい。


これは理解による自己の拡大です。
この意識は更に繋がります。


日本人さえ良ければそれでいい。


どうしよもない選民意識や他国を軽んじる
根拠のない妄想、煽動され易い人間の心理です。

けれども利己的な遺伝子は更に拡大します。


人間さえ良ければそれでいい。
これも大変利己的です。


けれども「繋がり」はもっと拡大します。


生命世界さえ良ければいい。


地球さえ良ければそれでいい。


最終的には宇宙さえ良ければそれでいい。


世界に繋がりがあるのは事実です。
そしてそれを理解するのが科学であり学問です。


人間が真に利己的な自分に気付いたとき、
この世界にある本当の意志にも気付けることでしょう。


あなたが利己的な自分を発見した時、
それは現実の宇宙の再発見です。


そしてその意志は力学であり、
あなたが持つものではなく
その力学があなたです。

これが等価原理です。)




2020年3月17日火曜日

(連載12)12-5存在は実体であり、実体は存在ではない





時間、空間、物質、生命、遺伝子、感情、
あらゆる「次元世界の起点」は
「変化する」ために実在する。

「とどまること」は実像であり、
それは「存在しない世界」にとっての現実ではない。
ベクトルにのって常に変化し、
存在しない実体であり続けることが
現実の世界の姿なのだ。


そして「確かにあるのにどこにもない」という
「無の概念」を保つことだけが、
無限大の変化に対応する唯一の手段である。


大と小は関係なく
全と個が同じものとして、
ただ繋がりを持ちながら
力学として実在する、
それが世界の全てである。



そこに創りだされるのは、
たとえば命の育むさらなる「可能性」であり、
あるいはその「多様性」が生む「更なる多様性」と
相互の「相乗効果」である。

時間が増すのと同じように
空間が広がるのと同じように、
拡大するあらゆる世界。


したがってその全ての現実が同じ「次元原理」であり、
生命世界ではこの次元原理が「生命原理」として発現する。



命をやどす全ての生き物たちが
精神世界を宿すのではなく、
生命世界という神秘の次元世界とは異なる領域で
精神世界は実在する。

したがって「精神世界」の構成要素は
「点×線×面×空間×時間×物質×生命」の7つであり、
これは第7次元世界に該当する。



つまり「精神世界」が実在するためには、
空間や時間、物質や命という概念は必ず必要であり、
逆に精神世界が実在するということは、
空間や時間、物質や命の概念が
必ずそこに「含まれる」ということなのだ。

すなわち「精神」とは、
それだけで「命」であり、
「物質」であり、
「時間」であり、
あるいは「空間」である。


つまり精神世界は「ひとつの宇宙」である。


「生命」が「精神世界」をもつという見方、
あるいは「精神世界」は「命」の概念に
ささえられるという視点。


第6次元世界も第7次元世界も
ともに実在する世界である以上、
そのとらえ方はどちらでも構わない。


けれども精神世界をもつ全ての生き物たちは、
その内がわに「命」という現実世界と
「精神」という現実世界の両方を
合わせもつ存在である。



このように精神世界は、
「次元世界」としては生命世界とは異なる領域で、
けれども生命世界と同時に
同じ「場所」に実在する概念世界である。


そしてそれを現実的に可能とさせる
生物の器官が「大脳」である。


けれどもより単純であった5次元世界の
「原子の発生原理」などとくらべると、
第7次元精神世界の発現にはより複雑化した理論が必要であり、
細部にわたるそのメカニズムの解明には
さらに多くの知識が要求されるだろう。


私にはこの大脳自体が、
0次元から第7次元世界までの全ての世界を共有する
「宇宙」であるとしか、結論づけることはできない。


あるいは重なってしまった小脳が大脳なのか、
やがて大脳の重なりが自我を生むのか、
自我の領域は脳を基盤とした新たな空間にあり、
その新しい空間が「私」とよばれるのか。

だとすれば私はどこからこの世界を見つめるのか、
それらの事象への興味は尽きないが
その考察は一先ずあとの章へと譲ることにする。



ここで大切なことは、
次元理論はそれらの出現原理の解明のためにも
最も不可欠で重要な知識なのだ。
その鍵はおそらく物理学、
それも原子の誕生の理解から始まる。




そしていかなる場合でも、
ひとつの次元世界の存在は必ず
次なる次元世界の創造へとつながる。


これも次元世界である以上、
全ての次元世界が共通してもつ「次元原理」である。
さらには「次元共有の大原理」の創りだす
「次元世界の目的」なのだ。





2020年3月10日火曜日

(連載12)12-4精神世界の重力





物質世界においては、
物質が自己を形成し物質どうしが引き付け合う根本的な作用は
重力(同じものとしての核力)であった。

これが生命世界では
生命の自己形成、生命の引き付け合う根幹として
本能である。


このように原子が原子を引きつけて、
命が命を引きつけたように、
精神世界もまた
他の精神世界や別の次元世界と引きあうための力
即ち「精神世界の重力」を持つ。


では精神世界における
「精神世界の重力」とは一体何だろうか。



それが「欲求」である。



もちろん精神世界の発現自体が
生命世界の重力(本能)にも含まれている。




好きと嫌い、快楽と不快感、渇望や恐怖などの
「あらゆる感情の狭間」に精神世界は浮かぶ。

この感情の浮力によって精神世界の持ち主は、
他の次元世界ともつなげられていくのだ。



ではどのようにして「感情」は
精神世界にもたらされたのだろうか。


それは精神世界が「失われる記憶」であることに由来する。


刻々と変化する自然環境に合わせて
様々な生命が瞬時に適応していくためには
古い記憶は消えさらなければならない。
新しい世界とは記憶の中には無い世界である。

あるいは誕生したばかりの生物の認識力では
わずかな記憶に頼るよりも感情による先導の方が正解である。


激しく変化する環境だからこそ
記憶は失わなければならない。
「記憶が失われる」ためにこそ、
感情をともない「認識する」という本能は生まれる。


このように自己完結の記憶からくる判断ではなく、
生命体としての経験が導く解答、
これが精神世界の重力「欲求」である。


だからこそ精神世界は「認識する本能」であり、
そこに「判断する意思(欲求)」は生まれる。




次元理論によって
精神世界発生のメカニズムもある程度推測できる。

ここまでの次元世界の等価性から導かれる結論として
脳は重なり合い融合した神経器官である。
その為にそこに失われた神経系統を創り出し、
その中で孤立する。

こうして脳は、
神経に対する欲求を持ち
全身の感覚を自らに引き寄せるのだ。

まさに脳内が核力であり、
全身に張り巡らせた神経網が
等価として成立する重力である。


ここに「認識する本能」精神世界は誕生する。





生命世界における生物たちの「求める力」は、
命のお互いに引き付けあう本能として
生命世界の「重力」であった。


精神世界も命の次元世界へ含まれる為、
当然この本能にも支配されている。


けれども精神世界は、
この「本能」にもさらなる多様性を与え、
生命の次元世界そのものを広げながら、
同時に精神世界としての可能性も広げている。



これはたとえば草食動物たちの姿を
思いうかべていただきたい。

彼らは草をはみ、そして外敵からは逃亡する。

この草をたべるという行動は本能であり、
彼らの生命活動には不可欠な行動である。


しかし彼らはその事を好み、
快楽として感じ、欲求として欲する。


ところが外敵を発見すると途端に
その意識は欲求を打ちきり、
ただちに危険回避行動へと切りかわるのである。

これもあるいは、別の本能である。

けれど彼らは、外敵の存在には恐れをなし、
追われることに恐怖や怒りを覚えるのだ。



つまり本能世界が、
精神世界を伴うことによってあたえられた「選択肢」。
そこに生みだされて、
その先にまでつながる「多様性」。
その「可能性」を求めてこそ、
生命世界は精神世界を構築したのである。


これは精神世界が生命世界を構築したと捉えるのと
全く同じ事である。


このように生命世界拡大の目的「多様性」は、
そのままで「命の可能性」と同じものである。


さらにここで重要なことは、
同じ「好き」や「嫌い」の感情であっても、
生物によっては目的とする対象物や
手段が全くことなる点である。


すなわち精神世界の存在は、
本能の欲求へと向かう「選択肢」を広げ
同時に精神世界の「可能性」、
あるいはその「多様性」をも拡大させる
生命世界の新たな根幹である。



そのために彼らは、
より豊かな草原を求めるために、
あるいは外敵を遠ざけるために、
様々な「進化」をとげていく。



結果として精神世界は、時に本能世界をのりこえて、
そして時に本能世界によりそいながら、
生物の命題である個体拡大の原理や種族拡大の法則を
より確かなものへと展開させたのだ。


生命の多様性のために求められ、
さらなる多様性を育む「精神世界」。

そして精神世界の多様性によって、
さらなる革変を求められる「生命世界」。

このように「相互の次元世界の共有」は、
あらゆる次元世界のその間に発現する。



すなわち種族保存の法則も、
本来は種族「拡大」の原理である。
そしてそれは物質世界の質量「増大」の原則が、
生命世界の同じ次元原理として発現したその結果である。



したがって精神世界「第7次元世界」は、
本能である「第6次元」によって生みだされながらも、
同時に生命世界「第6次元」の命題「生物の多様性」をささえる
命の先導者である。



ここでいう命題とは、次元世界が共通項としてもつ目的
「広がりつづけること」である。


それが各次元世界において発現するときに、
様々な呼び名があたえられ、
我々が原理や法則として認識する現象へと変わったのだ。



もしもかりに「次元原理」に質量「保存」の法則しかなく、
世界に種族「保存」の法則しか存在しなければ、
この世界には様々な元素が創りだされることはなく、
原子がエネルギー(空間)として変換されることも
起こらなかったはずである。

そして生命世界に多様性はなく、生き物たちに進化はなく、
ほんのわずかなきっかけで
生命世界はすでに失われていたはずである。


次元世界が「拡大し、創造する」ためにこそ、
物質や生命もそこに新たな「多様性」を出現させる。


そしてあらゆる「実在する無の概念」の根底には、
必ず「変化すること」がその前提として存在したのである。

それは「全てが存在しない」ことなのだ。

すなわち次元世界には、
変化のない「次元世界の起点」は存在しない。


これが「存在の本質」が力学であるその理由である。