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2021年5月26日水曜日

点と線6(真理はここから始まる)

 


「全ての点は0と同じもの」です。



圧倒的な存在として宇宙の中心に居続けた

「数字の0」は、

実は全ての数字、あらゆる点と同じものでした。


「何処にも存在しないのに、

確かに存在する点」これが0です。


ところがその他のあらゆる点(数字)も

その本体は

「ここに確かに存在するのに

何処にも探せない、何処にも存在しない点」です。



そこに呼び名として数字や記号を与えたとしても

結局は1、000…   2,000…   あるいはπ(3、14…)として

誰も特定することも、確定することも出来ません。


これは仕方のないことだったのかも知れませんが

思考停止の罠です。


これが数学です。



「何処にも存在しないのに確かに存在する点」0と、

「確かに存在するのに何処にも存在しない点」その他の全ての数字との

違いはなんでしょうか?


この両者に違いがありますか?


だから「0もその他のあらゆる点」も

全ては同じものなのです。




線を構築する概念は「連続する点」です。


けれども点はその全てが0で、

結局は何処にも存在することが出来ません。


何故なら点には本体(この場合は面積)が

与えられていないからです。




この仕組みを理解することが

本当の意味での宇宙物理学です。




これまでは「無から有が生まれた」、

これが現代科学の考え方でした。

その為に「マイナス有」を

ありもしないのに必死で探しました。



けれども真実は「0と点は同じもの」、

つまり無は有としてここに存在し続けている、ということが

私達の世界の解答となります。



長さを持たない為に存在出来ない点、

面積を持たない為に存在出来ない線、

体積を持たない為に存在出来ない面…


これが「あるのに何処にも存在しない0と等しい」世界の仕組みです。





数字や0は、

もともと点や線を利用する為に

わたし達人間が発明した道具でした。


けれども「宇宙に存在する線や点の概念」に

0の概念はありません。


この世界に数字はなく、

何より全ての存在する点が

「0と同じもの」なのです。



全ての点と0に違いはない、

と私は言いました。



世界を構築する全ての点が0と等しい!

これが数字によって隠されていた

「本当のこと」です。


では何故そんなことになったのでしょうか。


点とは何か、

線とは何か、


わたし達はもう一度最初から

本当の事を理解し直さなければなりません。


「この点を1と呼びます」と覚えてきた

その前の段階から‥



それなくして「本当の科学」は成り立ちません。



はじめに0を置き

宇宙を折り曲げることの不自然さ、

基準点のない宇宙に

ビックバンなどという0を持ち込み、

無理矢理の物理法則をでっち上げることの愚かさ、

このままでは人間の中心にある知識が危険です。



科学はわたし達の「正しさの基準」となります。



信じる事を目的とした宗教ではありません。



科学はわたし達が理解するための知識であり

それが現実世界として

人間の世界に対する考え方となるのです。



世界(宇宙や自然)から学ぶこと、

それが本来の人間の科学であり学問の姿です。


そしてその事実を歪めるものが

誤った知識(思い込み)であり

残念ながら「現代の科学」です。



だからこそ世界の始まりから、

わたし達はこの宇宙の本当を理解していきましょう!








2021年5月18日火曜日

点と線5(数字のレトリック)

 




それでは0以外の他の点にはどんな意味があるのか、

あるいは0以外の点はどんな概念を持つのか、

それを見ていきます。



まず1番に

考えてみたいのは無理数です。



無理数の代表格は円周率ですね。

これはπです。

およそ3です。

3.145926535897‥

小数点以下に予測のつかない数字が延々と続きます。

まさに終わりのない、

決してたどりつくことの出来ない点、

それが無理数です。



けれども無理数もきちんと

「そこにある点」なんですね。



たどり着けないからといって、

円周率が「存在しない」訳ではありません。

簡潔に表すことが出来ないから記号で、

もしくは数式のままで、

そこに「存在すること」を表しているだけなのです。



でも数字であらわすと、

無理数には本当にどこまで行っても

たどりつくことが出来ません。


というか、無理数は

絶対にたどり着くことのできない点なのです。


「そこに確かにあるのに、

どこまで行っても確定することのできない」点、

それが無理数です。

だから「存在する円周率」は

記号で表記するしか方法がないのです。



さて、ここで大事なことは

円周率に代表される無理数は

「存在しない」訳ではないということです。

単に数字で表記出来ないだけであり

ちゃんとそこに「存在する点」だという認識は必要です。




この「存在する点」を理解するために

今度は循環小数を考えてみましょう。



0.333…と小数点以下に

同じ数字がエンドレスに続く点、

これが循環小数です。

循環小数も確かにそこにあるのに

「少数点の表記」では

やっぱりたどりつくことは出来ません。


けれどもこの循環小数は

1/3と分数表記にすると正確に確定することが出来ます。

これは3倍すると1となる数字で

キチンと安定してますよね。


0.333…と1/3は「同じ点」を表します。


このように少数点表記では

決してたどり着けない「循環小数」も、

分数表記でならちゃんと確定する事ができました。

これは循環小数も円周率と同じように、

たしかにそこにある「存在する点」だからです。



しかし、どこまで行っても続く

「終わらない一つの数字」が、

確定された状態で「存在する」とは

一体どう言うことなのでしょうか?


1/3と確定できる点と

0.333…と表記しきれない点が、

全く同じ点である、とは、

一体どういう理屈なのでしょうか?

片方では確かに存在する点が、

基準を変えることによって存在出来ない点になる、

ということですかね?

いやいや、どちらも同じ点であり、

それは存在する点ではあるけれど、

まだ数列が対応できてないだけでしょうか?



そこでいま一度、

我々が最も安心して確定することの出来る点、

「普通の整数(自然数)」の性質を確認しましょう。



数列上のいたるところに均等に配置されて

確かに存在する信頼できる点、

それが普通の整数(ここでは自然数のこと)です。

あるのかないのかわからない前者たち

終わりの見えない無理数などと比べると、

ややこしくもなく、潔ぎのよい普通の数字です。



わたし達も整数はどこにありますか?と聞かれても

ここです!と

自信を持って示せることでしょう。


えっ、どこですか?

あなたの指の先に!?

よくわかりません!


よくわからないのでその点を

1000倍ほどの大きさに拡大してみるとしましょう。

先ほどあなたが示した小さな点は、

今度は結構大きな円であったことがわかります。


これは点ではありませんね。

おそらくその拡大された黒丸の中心に、

点の本当の本体はあるのでしょう。



ではその円の中心をもっともっと、ずっと、

出来る限り拡大してみましょう。

「整数の場所」にあった確かな点は、

果たしてその中にありますか?



何度くりかえしても、

幾らくりかえして見ても、

点の本体は見えて来ません。


1.0000…
2.0000…
3.0000…


つまりわたし達が

確かに存在すると思っていた普通の整数も、

実は決してたどりつくことの出来ない、

「循環小数の仲間」だったのです。



「確かに存在するのに、

何処にも見つからない点」


決して言葉のあやではありません。

全ての点が探せないことが真実なのです。


円周率が記号で表わすことしか出来なかったように、

あるいは分数で表せる点が終わりのない循環小数だったように、

実は全ての整数も

記号で表わすことしか出来ない点だったのです。

1や2や3といった「記号」でしか‥


「確かに存在するのに

何処にも存在しない点」


それが数列上の「全ての数字」に与えられた

点の本来の性質です。


それは例えわたし達に何と名付けられようと、

変わることのない「事実」です。



無理数や循環小数だけが

特別な「存在しない点」ではなかったのです。

整数を含む全ての点が

決して確定することのできない

「存在するのに存在しない点」です。


円周率は何処にあるのか?


終わりのない特別な数字へと向けられてきた

わたし達の疑問は、

本来は全ての数字、あらゆる点へと

向けられるべきものだったのです。



全ての点はあるのに何処にも探せない

0と「同じもの」です。






2021年5月13日木曜日

点と線4(数学という哲学)

 



つまり0を基準とする数列を使うことによって

結論は先に導かれてしまうのです。



宇宙にはマイナスの物質世界がある!

という概念は、

実は計算の結果ではなく0を使用した時点で

「最初から決められている」

約束事です。



全ての数字の合計値は0!

これも0を起点とする数列によって生まれた

前提としての決まり事(哲学)です。



宇宙に始まりの点0を置き、

そこからプラスの世界が生まれれば

マイナスの世界も「なければいけない」。



0から生まれた世界は

最終的に0に戻ら「なければならない」。



これら当然の考え方は、

あくまで数列世界における常識なのです。



本来数列ではない「全てのもの」に0を使っても、

本当に良かったのでしょうか。



マイナス2個のリンゴが

「足りないことを表す表現」ならまだ良いのです。

しかし2個のマイナス属性のリンゴが現実に存在する、

という解釈になれば目も当てることはできません。




けれどもまず最初に理解して頂きたいことは

「ないものが存在する点」は0です。

0の概念の正体は

「ないものがある」

これで正解です。



このようにあまりにも特別過ぎる点0は、

明らかに他の点とは異なります。


しかし0は

宇宙に最初から存在した起点などではなく、

後付けにその意味を考え出された道具であることを

覚えておいて下さい。




それは真理を発掘した結果

発見されたものでもなく、

どこにでも存在する「何かの模造品」であることも

すぐに証明出来ます。



0はそれを使う人間の意思で

何処にでも置くことが出来ます。

つまり全ての場所(点)は

0と等しい、0と同等の概念を持っている、

ということです。


これが存在する全ての世界が持つ秘密です。


オンとオフのように

あるとない、だけではなく

その全ての点の中に

「あるのにない」の0の概念が含まれているのです。



全ての点、それは確かに存在するのに

点には面積はありませんよ。

面積のない点が

存在するとはどういうことですか。







2021年5月6日木曜日

点と線3(数字の0について)



では数字の0のお話です。


0は最も特別な点であり、

科学と同じ距離に哲学的な意味も漂う

不思議な数字です。



まずこの「0という数字」の意味から

探りましょう。



「0はあるのか、ないのか」と

よく議論されます。

けれどもこの0を置くことによって

数列全体が始まる、

全てのものの基準点が0です。



0を境に正反対の異なる世界が表記されます。

正にあらゆる数字の中庸にあり、

世界のど真ん中に位置する点が0です。



「数列が存在する」こと自体も0に由来し、

0は全ての点の支配者というべき

圧倒的な概念を持ちます。


全ての始まりが0なのです。


ではこの基準点0は、一体

どこに定めることが正しいのでしょうか。



果たして、絶対的な基準点などが

本当にありうるのでしょうか。


つまり「0を置くこと」自体に、

その基準を決める人間の意志が反映されるのです。



どうして0は誰もが自由に

勝手に何処ででも使うことが出来るのでしょうか?



謎だらけですね。


実際はわたしの世界は

数字に支配されているのではありません。


これは世界を構成する要素の中に

数列を当てはめることの出来る「何か」が

ある事を示しています。


数字ではなく、この「何か」を理解することが

本当の物理学の仕事です。


数学が先行する以上

物理学の先はまだ暗いです。






ただこの「0に付けられた意味」、

つまり「0はあるのか、ないのか」議論には

けっこう簡単に結論が出ます。


0の概念は「ないものがある」で正解です。


「ない」と「ある」はどちらも正解ではありません。

あるのにないもの、あるいは、ないのにあるものという

私達が普段はほとんど意識しない価値観が必要になります。



0は私たちの世界の中に巧妙に隠れています。


例えば時間における「今という瞬間」は0です。

「今」はどこにも存在出来ない長さです。

ただこの「長さを持たない時間」はいつもここに確かにあります。



例えば「命」だって0の仲間です。

「命」って一体なんでしょうか?

確かにあるのに何処にもないもの、

何処にもないのにここに確かにあるもの。


「あなた」や「わたし」という自我だって

やっぱり0です。

あなたは何処にいますか?

人間の頭の中ですか、

胸の奥にいるのが本当のあなたですか?

この世界の何処にも見つからないのに、

あなたはここに確実に存在します。



あるのにないもの、

ないのにあるもの「0」は、

私達が意識しない現実世界の中に

間違いなく存在する概念なのです。




それにしても0は、くせものです。


0の概念は「あれば便利だから」という理由で

人間が勝手に創り出しました。

そして0は、

数学的には大変役に立ちます。


けれどもその圧倒的な支配力は、

0を使用した途端に世界を半分に折り曲げて、

正負の概念を強制的に作り上げてしまうほど強烈です。


数字の0は道具ですよ?


昔の頭の良いインドの方が考え出しただけの発明品です。


しかし0を置くだけで

既にその世界観だけで、

数列世界全体に先に同じ結論を与えてしまうのです。


中庸は0であり、

世界は正と負に分けられてそれぞれの量は等しく

全てを合わせると0になると。


これでは宇宙物理学なんて必要ありませんよね。


数列を使う以上、同じ結論が生まれることは

最初から分かりきっています。


物理学者達が探っているのは現実世界ではなく

数列世界です。

早く気付いて欲しいですね。




では0は、本当は
どこにあるべきものだったのでしょうか?