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2021年3月2日火曜日

(連載21)21-3数学は科学ではない


 

 

点は存在する!

 

それは事実であり、知識の前提である。

点には座標としての役割だけでなく、

線やその他存在する空間の

実際の構成要素である。

 

 

点は存在しない!

 

これも事実であり、知識の根幹である。

点に面積を与えてはならない。


面積を持つ点は既に点ではなく

それは面や球である。

面積を持たない為に

点には無限大の奥行きが生まれる。

それは無限大の広さである。

 

だが面積や体積を持たない概念が

本当に「存在する」と言えるのか。

 

つまり点は存在しない。

 

 

では点だけが特別な

「存在しないもの」なのだろうか。


 

線は長さである。

線は確かに存在するが、

線は体積を持たない。

 

線に体積を与えてしまうと

それは長方形であり

これは線ではない。

 

つまり線も「存在しない実体」であり

これは線が存在しない点の集合体だからである。

 

 

 

では長方形は存在するのか?

体積を持たない長方形が

本当存在すると言えるのだろうか。

 



 

つまり世界は「存在しない実体」によって構成されている。

これはより高次元の時間世界が

「今という存在しない時間」に

構築されることへとつながる。

 


 

 

皆さん、

あなたがたの信頼する数学を

本当は信用してはならない。


 

数学はまだ実体を知らないからだ。


 

その数学を基盤とした現代科学など

まだ本物の科学ではない。

 

 

我々は「存在するor存在しない」の

現代的洗脳から抜け出して、

存在と非存在が同一であることの理解を得なければならない。

 

 

科学は実体である。

実体が科学なのだ。

 

 

点も線も面も

体積でさえも実体である。

 

 

我々は今

科学という宗教に

支配されている。

 


厳しいことを言えば、

科学はまだ科学ではなく

それを真実として利用する人々によって

都合よく塗り替えられている。

 

 

それを正として奉信することによって

人間の世界は勘違いし歪む。

 

 

だからこそ知識は間違っていてはならないのだ。

 

 

 


 

 

 

この次元理論も、間もなく終章である。

 

 

ここまで書きすすむにあたり、

私には「実在する概念を証明する」などということは、

やはり宗教じみたことかもしれないと、

やや自嘲する部分もある。

 

 

けれども盲目的に信じるだけでは

駄目なのだ。

 

 

人間は理解することができてはじめて、

それを「信じる」ことができる。

 

 

つまり信じる為には

その前提として正しい理解が必要なのだ。

 

 

「今」を犠牲にして成りたつ「未来」などなく、

確かな「今」の連続が同じ「未来」である。

 

 

「今」を犠牲にするかぎり

「未来」でもその「今」は

永久にくり返されるだけだろう。

 

 

 

 

いま次元理論を学び「次元共有の大原理」を確信する私には、

同様に人間を信じることが出来る。

 

 

 

人間の希望は人間にあり、

あなたにあたえる喜びも、

あなたがあたえる喜びもやはり人間にある。

 

 

さらに人間は、

同じものとして

全ての力学と等しい。

 

 

あらゆる人々もまた「次元世界」として、

大宇宙や自然と同様に「あなた」を共有し、

共に広がる世界である。

 

 

 

あなたの広がる先にある、

あなたがつながるための次元世界。

 

 

 

今後も我々は

その道を踏み間違えることはあるだろう。

 

 

けれども我々はそれを修正しながら、

絶対に正しくはなくとも

より正しい道を選択する能力は

もつはずである。

 

 

次元理論はその事を証明する。

人間は美しい未来を求める力学である。

 

 

 

次元理論は、時間も人間もこの世界も、

全てが統合された等価な実体であることを証明する。

 

 

 

だからこそ自我世界は

世界に「拡大すること」ができるのだ。

 

 

 

 

わずかな時間の流れの相違から生まれた小さな世界。

その無限大の連鎖によって時空が広がった結果、

宇宙をつなぐ意志として「あなた」は存在する。

 

 

そして自我世界のもつ統合とは、

決して「統合されてはならないもの」である。

 

 

あなたがその一歩をふみ出すごとに、

世界はまた新しく広がりはじめるのだ。

 

 

 

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