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2021年3月30日火曜日

(連載22)22-2科学が科学である理由

 

 

 

 

もともと私には

この世界にある全てのものは、

どこかで必ずつながっているという

確信がありました。

 

 

本当の始まりがいくつもある世界だなんて不可解過ぎて、

それはあまりにも科学的な考え方ではありません。

 

 

世界には必ず原因と結果があります。

 

 

原因があって結果が生まれる、

それが科学的思考です。

 

そしてこの科学的思考が成り立つのは

我々の世界では原因と結果は同じものだからです。

 

 

こうして科学は真理となります。

 

 

それを理解せずに

独自の解釈でそれぞれの学問が科学を語る、

あるいは学問を勝手に支配する、

それが現代社会の問題であり

人類の課題となります。

 

 

けれども人間は

私だけは世界の法則とは違う、

私は一人で、ココロは自由で、

この意志は自分だけのものだ、

とそう考えてしまいます。

 

 

自分だけは、人間の意志は必ずしも科学的ではない、

つまり全てが科学ではない、

そういう事ですね。

これが有名なデカルトの二元論、

モノとココロは別のもの、です。

 

 

もちろんそう捉えるのは自由です。

ひとつしかない世界はそれを

自らの拡大のベクトルとします。

 

 

自分だけは生き延びる、

私だけは拡大すると言うのは

この世界全体の在り方であり、

これが小さくは定義された生命の生存本能ですから。

 

 

科学、物理学は我々と同じです。

 

 

つまりあなたの外側の世界には

あなたの内側の世界、

あなた持つ自我世界が同じようにあるのです。

 

 

外側にある自我世界を

自らとして認識する、

内側と外側を同じものとして理解する、

これが学問が導く真理だと思います。

 

 

 

この結果、現代社会でおきる全ての現実には

必ず自我、つまり他人の中の自分も

関係すると感じる事が出来ます。

 

 

 

こうして人間自身の愚かさに

日々降り積もる激しい自己嫌悪の中で、

それでも生きていたい、希望がほしい、

全ての自分が幸せに生きられる道がほしいと、

あがく内に出来上がったものがこの「次元理論」です。

 

 

 

私は最後のガリレオとして

世界に刃向かって戦う覚悟があります。

弾劾、無視、無理解を相手にしても

人間としての誇りは

常に私を支えています。

 

 

そういう生き方を

私に教えてくれる同じ「私」が

いつも私の側にはいるからです。

 

 

私は「わたしたち」の戦いと願いを

無駄にはしません。

 

 

人間はたとえ一人でも

繋がって生きていける自我世界です。

 

 

でも私の本当の望みは

全ての皆さんと繋がって

大きく広がることです。

 

 

 

これが私を駆り立てて止まない希望です。

 

 

 

 

 

 

2021年3月23日火曜日

(連載22)22-1知覚する宇宙

     22

 

   ひとつの世界

 

 



22-1知覚する宇宙

 

 

 

人間が自我をもつ、あるいは

自分がここに存在する、と自覚できることは、

次元理論では必然的な宇宙での出来事です。

 

 

けれどもそれは奇蹟の中の奇蹟とも言える、

まさに天文学的確率の希少な現実です。

 

 

悠久の宇宙の目的の一つである、

自我世界の創造。

それは拡大する力学がいつか必ずたどり着く

知覚する宇宙の創生です。

 

 

「一つの世界」が無限大の時を経て、

やっと手に入れた「存在を認識する自己」。

 

 

つまり自我世界は

いつもこの宇宙と共にあったのです。

 

 

 

 

あなたの願いは

あなた一人だけのものではありません。

 

 

あなたを通してこの宇宙が

世界(自己)を慈しみ、

世界(自己)を楽しみ、

世界(自己)を生き抜き、

世界(自己)を愛して

この世界を体感するのです。

 

 

無限大の空間が無限大の時間をかけて、

ようやくたどり着いたわたしたち「人間」。

 

 

個としての宇宙と

全としての宇宙、

それを取り巻く宇宙と

あらゆるベクトル、

それらは常にひとつです。

 

 

 

「自我をもつわたし」とは本当に、

なんと素晴らしいことでしょうか。

 

 

 

この時代、その輝ける喜びが「人間」です。

 

 

 

私たちこそその宇宙の奇蹟であり、

希望であり、

そして世界の意志なのです。

 

 

 

けれどもそれがただ生かされている、

ただ生きなければならない、という事であれば、

あまりにも勿体ない自我の使い方であると

私は残念に思うのです。

 

 

 

私たちは何故、

この世界や私たち自身にさえも

疑問を抱くことが出来るのでしょうか。

 

 

おそらくそこには、

私達が理解しなければならない

何かの必然性がある為だと思います。

 

 

その疑問は、

真実を探求する人間の声として

全ての我々に宿ることでしょう。

 

 

生まれたばかりの自我世界は

必ず真理を探究する道を選び、

その疑問を解き明かして

学びを覚えるのです。

 

 

 

もっと自我を持つことを喜びたい、

今ここに生きているという現実を実感したい、

それが生きることへの確信だと私は考えます。

 

 

 

そしてそのことを我々は学び、

もっと理解する事ができるはずだと、

私はこの「次元理論」を用意しました。

 

 

 

今を生きる「わたしたち」のために、

過去のわたし達が勝ち取った真実を。

未来の「今を生きるわたしたち」のために

「わたしたち」が今為すべきことを。

 

 

 

 

いつの時代の「わたしたち」も

満たされない虚空を心に抱き、

そこから生まれる希望を持って、

それを共有することによって

共に成長する「わたしたち」です。

 

 

 

個が全である自我世界。

全も個として同じ自我世界にあることを

わたし達は理解できるでしょう。

 

 

 

全てはこの大宇宙や自然といった

我々の世界が

自我の教師として、

私たちに教えてくれる知識です。

 

 

お互いが(宇宙とわたしが)存在することを喜ぶ為にも

世界と自我世界はあります。

 

 

それは一つの同じ世界です。

 

 

どうか皆さまにおかれましても、

もし次元理論によって例えわずかでも、

この宇宙の希望と奇蹟とを感じていただけましたら、

私にはこれに勝る喜びはありません。

 

 

 

 

つづく

 

2021年3月17日水曜日

(連載21)21-5ただ一つの本当のこと「世界原理」


 

 

 

この世界のあらゆる現象と存在の全ては、

統合された同じものとして「一つの力学」から誕生する。

 

 

一つの同じ力学である。

 

 

世界が持つただ一つの現実は

「無と共有すること」、

すなわち「次元共有の大原理」である。

 

 

この世界には何も存在しない。

この世界は全てが無である。

 

 

これが「存在する無」であり、

「無が実在する」という現実世界なのだ。

 

 

「存在する無」は

「何も存在しない状態」ではない。

 

 

世界の根本にある「無」は「完全無」という世界であり、

あらゆるものが「永遠に無の属性をもつ」という世界の原理である。

 

 

ひとつしかない世界の

ただひとつの本当のこと。

 

 

「永遠に続く無」

 

 

したがって「無」は「永遠の連鎖」がその本質であり、

これが「存在する」の原型となる「存在する力学」である。

 

 

こうして宇宙には存在に先行する

力学が生まれる。

 

 

全ての存在は力学(無の連鎖)の結果である。

 

 

 

 

更にこの「永遠に何も存在しない」という状態が

「無限大の正体」である。

 

 

宇宙と力学の連鎖は

常に無限大の広がりとその属性を持つ。

 

 

これが「存在しない」と同義なのだ。

 

 

 

従って「完全無の実在」を支える為に、

全ての概念世界は「同じ実体として」実在である。

 

 

存在ではない。

 

 

「無」と「有」は相反するものではなく、

「無」と「有」は同居することによって「無限大」となる

「ひとつの同じ概念」である。

 

 

 

この「同じ概念」に共有された

内側と外側が永遠につづく実体が世界である。

 

 

 

その結果「有」という「無限大」は、

「無」を実在させる唯一の実在である。

 

 

 

そのためだけに、あらゆる全ては「存在する」。

 

 

 

 

この世界の状態が我々人間である。

 

 

異なるものでも

特別なものでも

異質でもなく、

この世界の状態がわたし達なのだ。

 

 

人間はこの世界原理に基づいて、

はじめから統合されている。

 

 

「大宇宙に宿る自我世界」である我々は、

「地球上における生命体としての自我」というだけではなく、

まさに「大宇宙の自我」と呼ぶにふさわしい概念である。

 

 

 

あなたの抱える無は、

あなたに宿る永遠の無限大と等しい。

 

 

「可能性」

 

 

それは(あらゆる方向への)拡大である。

 

 

 

世界に存在する確信として、

我々の自我世界の存在意義は計り知れない。

 

 

 

「人間とは何か、宇宙とは何か」

 

 

次元理論によって明かされた

これらの人類の根本的な疑問にたいする解答は、

「あらゆるものの出発点は統合されていて、

その全ては広がりつづけることによって再び統合される」という

「解」を我々にもたらした。

 

 

人間と全ての世界に共通する

相互の共有関係とそのつながりについて。

 

 

そのために「真理は一つしかない」、

あるいは「真理の姿はひとつではない」という両端の認識であっても、

それは決して相反するものではなかったのである。

 

 

全ての存在の中に、唯ひとつの原理

「次元共有の大原理」が共有されている。

 

 

この理解よって価値観の異なる全ての我々が、

お互いに共有し、許しあえる環境が整った。

 

 

 

 

「次元共有の大原理」が我々人類にあたえた命題は、

「共有し共存する個性の創造」である。

 

 

「新世界の創造」はそこからはじまり、

それは人間と世界の新たな可能性である。

 

 

 

これが拡大する無の力学である。

 

 

 

次元世界として統合されて誕生した「自我世界」であるが、

自我は次元世界であることを拒める能力

「自由意思」を持つ。

 

 

しかしその否定による選択の先には、

無知によって造られた負の連鎖しかなく、

繰り返しの輪廻として暗く閉ざされた未来しか存在しない。

 

 

 

けれども本当の「自由意思」は

可能性を選択する「人間の多様性」の為にあり、

この選択肢を放棄して良いのは

命の危険に直面した場合のみである。

 

 

自我世界はこの「自由意志」を

世界原理からあたえられた人類の命題へと向けさせて、

確固たる第8次元の存在を、

この宇宙に対して示さなければならない。

 

 

この世界に喜びと安堵とを与えるために。

それは人間のものだ。

 

 

受け入れることによって広がり、

受け入れられることによって広がる、

ひとつの世界のために。

 

 

 

人類の行き先はそこにしかなく、

いやそこにこそ

我々の安住の地は用意されている。

 

 

 

「共有し共存する個性の創造」は

「他者とわかり合い、自分らしく自立する」

人間と社会のあり方である。

 

 

 

そしてこの「次元理論」は

「造られた科学や信仰」ではなく、

本来は全ての存在が統合されていたという現実を

人間が認識するための「知識」である。

 

 

その学問は我々を導く光りとなるだろう。

 

 

人間には正しい学問がいる。

 

 

存在する無の同じ部分として、

全ての我々は同一であり、ひとつである。

 

 

 

世界の力学は人間の意志と変わりなく、

それは世界の希望、世界の愛である。

 

 

それは我々が

新しく始めるための理解である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人間はただひとつの真実から生まれた。

 

 

「この世界には何も存在しなかった」

 

 

これが世界の原始に存在する無である。

 

 

この「存在する無」は

「面積も体積も時間も持たない」ものであり、

これが存在する点「実体の概念」である。

 

 

これによって現実に宇宙は誕生する。

 

 

実体は空間であり、

時間であり、物質であり、

生命、そして自我である。

 

 

全てがあるのに何処にも存在しない実体なのだ。

 

 

このように世界は

未だ永遠の無である。

 

 

全ては無と同一であり、

故に世界は無限大である。

 

 

これが本当の科学、

世界原理である。