生命は生態系の中で繁栄し、
その命に多様性を与えられていく。
それは逆に生物たちが進化し、多様性をもつことによって
生態系はより確かな揺るぎのないものへと変わるのだ。
つまり生命の強度は
多様性とその広がりと等しい。
そのために生物には
環境に適応する能力が生まれ、
それぞれがともに「次元共有の大原理」を
その内側へと含むのである。
このように生き物たちの全ての能力の根底には、
「次元共有の大原理」の発現がある。
無の拡大するベクトルがそのままで
生命とその世界の原動力である。
すなわち個と全は
それぞれが異なる世界でありながらも
完全な同一体であり、「全く同じもの」である。
そもそも「命」という概念を創りあげたのも、
「次元共有の大原理」なのだ。
命には最初から
世界(時間、空間、物質)の広がりが含まれている。
全ての「命」におなじ次元原理が宿ることは
不思議なことではない。
こうして「生命」は
「無」から「第5次元世界」までを共有する
「同じ宇宙の力学的概念」である。
あらゆる「命」はこの意味において等価であり、
全てが等しく尊い。
「物質世界」における全ての力の源、
重力や電磁力を発生させる基本力学は
「失われた空間」の生みだす空間の復元力であった。
その後の「次元世界」の全てを創りだした
「失われた空間」の概念が、
第8次元「自我世界」にも存在することは当然である。
自我がもつ「虚空」、
そして「満たされない心」、
それがあるからこそ自我世界には
同じく「求める心」も出現する。
それは世界の力学と「同じもの」である。
我々が一般的に負の感情だと認識する衝動的な心の働きは
人間がこころを形成し我々に個を与え、
人々が希望によって生き延びる為の力学である。
そしてその根底には、自我世界のもつ
あらゆる思考の原点にある「死」がある。
自我世界が「失われる存在」であるからこそ、
自我世界もまた生きるを望む。
そして広がることを願い、
次なる世界を求めつづけることも出来るのだ。
したがって人類の「自我世界」に対する探究も、
「自我は失われる存在」であることを自覚した瞬間から
その全ては始まる。
あらゆる学問や思想、興味や理解、そして文化や文明、
その全ての根底には「失われる自我に対する人間の探究心」が
必ず存在したのである。
我々はどこから来たのか、
そして、我々はどこへむかうのか。
この疑問こそ「死」からはじまり
「失われる自我」を模索する人間の「求める心」である。
このように自我世界にも「空間の復元力」は存在し、
そこに自我のもつ重力として
「究極の自我」は生みだされたのである。
こうして人間は希望を宿した。
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