自我がもつ「虚空」、
そして「満たされない心」、
それがあるからこそ自我世界には
「求める心」が出現する。
それは自我世界のもつ、
あらゆる思考の根底に位置する「死」である。
自我世界が「失われる存在」であるからこそ、
自我世界もまた「生きる」を選択する。
決して満たされることのない虚空、
これが失われることのない希望と
同じものなのだ。
これは自我世界に現れた重力の概念であり
人間における物理学である。
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第16章 我々は何処へ向かうのか(2)
「自我の目的地」
16-1自我世界の目的地
自我世界が「第8次元世界」であるのならば、
自我世界もまた
「広がりつづけ新しい次元世界を生みだすこと」が
その基本原理である。
そこで自我世界が生みだす現象や価値観を
「仮の第9次元世界」とさだめて、
そこから更に生まれる「仮の第10次元世界」の存在を
羅列してみる。
この場合の9次元世界とは
「自我によってのみ生みだされる概念」
という定義とする。
こうすればその先の「仮の第10次元世界」によって、
自我世界のすすむべき道を指し示す
「究極の自我」の存在を
我々は明らかにすることができるのだ。
そこに自我世界の目的地、
すなわち我々人間の求める「自我世界の解答」がある。
たとえば自我世界の生みだす
(共有して出現させる)「第9次元世界」を、
音楽や絵画のような創作活動だと考える。
するとこれら9次元概念が生みだす「第10次元世界」とは、
万人が認める共通価値を持つ
「芸術を創り出すこと」になるだろう。
同様に第9次元世界に
「民族」という単語をいれてみる。
民族という価値観が生みだす第10次元的現象は「文化」、
あるいは「国家」である。
このように「次元共有の大原理」を模倣すれば、
いかなるキーワードを第9次元世界においてもかまわない。
一見本能の分野にあるように思える
「争い」という言葉でさえも、
第10次元概念においてはスポーツやゲームといった
共通の価値感をもつ「競技」へとその姿をかえていく。
9次元世界が「学問」であれば、
10次元世界には「学歴社会」か、
あるいは「真理」が、
9次元世界が「信仰」だとすれば
10次元概念には宗教や神が、
先ほどは10次元世界だと仮定した「文化」をいれてみると
今度は「文明」などの言葉が、
それぞれ出現する。
お分かりいただけるだろうか。
自我が存在するために
自我世界と共有して生みだされるものを9次元世界、
その9次元世界が共有して
更に出現させたものが10次元世界という、
「次元世界が存在するための必要十分条件」の模倣である。
9次元世界が「規則」だとすれば法律、
「民主主義」だとすると平和、
「哲学」であれば真理・・
もちろんこれらはあくまで次元理論的な連想による、
思考ゲームである。
けれどもその結果にひそむ「本当のこと」、
すなわち我々の自我世界が向かう必然性に
お気づきになられただろうか。
つまり自我世界が作りだす
「いかなる第9次元世界」の存在も、
第10次元世界に入ると全てが
「統一された共通の価値観」をもつものとして、
それぞれが新しく生まれ変わっていく。
そしてそこに有るのは、
いかなる場合においても
「さらなる統合と共通の価値感」の創造である。
実はこれこそが「自我」のむかうべき方向、
我々人間のすすもうとする「道筋」なのである。
つまり自我には、
「ひとつになりたい」という希望しか存在しない、
ということなのだ。
この「ひとつになりたい」という希望、
これが「究極の自我」の正体である。
「ひとつになりたい」という意志、
これこそが自我世界に現れた重力の概念であり、
その力学の結果として
「自我世界の予定調和」は生まれている。
このように自我世界が向かう全ての自我の「目的地」は、
自我の重力によって人間に与えられた結末に過ぎず、
人間はこの「究極の自我」によって同化や融合を求める
ひとつの原子(力学)であることがわかる。
そんなはずはない、
我々の自我は
もっと複雑で難解だと
そう思われた方もいるかもしれない。
けれども「ひとつになりたい」は
イコールで「ひとつにしたい」である。
「ひとつにしたい」は
イコールで「支配したい」である。
「支配したい」はイコールで「支配されたい」、
あるいは「誰かのために存在したい」、
「何かのために存在したい」である。
他にもこれは「理解したい」「理解されたい」や、
「称えたい」「認められたい」などとも同義なのだ。
自我の思考の先に
必ず創り出されるように設定されている
「共有」という同じ目的地。
すなわち自我の想いの全てが
同じ「一つの意志」から生まれたということを、
我々は理解しなければならない。
つまり自分も他人も、
自分の中の全ての意志も、
「ひとつになりたい」という「究極の自我」と、
それをささえる「自我の本質(生きる)」によってのみ
成りたつものである。
「究極の自我」と「自我の本質」、
これこそが人間の自我世界における正体であり、
そのために「生きていたい、ひとつになりたい」という人間の意志は、
自我世界における
全ての人々の行動原理(人間原理)となる。
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