人間の全ての意識の根底には
「融合への希望」という自我の究極の目的地がある。
生命が生き延びることをその義務とするならば、
この「融合への希望」は自我世界を先導する役割を担う。
これは人間におけるベクトルであり、
実は向かうべき目的地が重要なのではなく
そこに至る力学的エネルギーが我々人間である。
そしてこの「究極の自我(力学)」は、
同じ第8次元「人間」に対してのみ
そのつながりを求めるものではない。
「究極の自我」は他の全ての次元世界にたいしても同様に
そのつながりを求めて強く働く。
自然を愛する人、
動物を愛する人、
音楽を愛する人など、
「究極の自我」の選択は
様々な想いやその個性として
「あらゆる次元世界」に対して広がっていく。
すなわちこれは異なる世界に自らを重ね、
そこに自己を広げたい、広がりたいと願う拡大の願望である。
次元理論によれば第5次元「物質世界」では、
全ての物質は融合するために必要となる固有の力学
「重力」を持っていた。
生命世界でも「命と命がお互いに引きあう重力(融合)」として、
全ての生命は「本能」をやどしていた。
精神世界でも「感情」の生みだす「想いの力」が、
融合や反発力を創り出す「精神世界の重力」として働いている。
そして我々の自我世界では
この「ひとつになりたい」という「究極の自我」の希望が
「人間原理」であり「自我に働く重力」なのだ。
この「自我の重力」によって我々は、
あらゆる存在、そしてあらゆる次元世界とも
引きあうことが出来るのである。
「自我の欲求」は力学であり
これはあらゆるモナドが持つ同じ力学の正体である。
したがって反発するという一見逆行する想いも
「他のものとひとつになりたい」あるいは
「更なる融合を求める」ことへの
異なる同じベクトルの同じ希望である。
全ての物質に宿る融合へと向かうための力学、重力。
この他の空間を引き寄せる「空間の持つ特別な構造」が
物質と認識されていた。
この構造がなければ物質はただの空間なのだ。
全ての生き物たちに宿る融合するための力学、本能。
他の有機物を引き寄せ求める「有機物の構造」が
生命と呼ばれる。
この力学を持たなければ命はただの物質なのだ。
動物たちを中心に働く、命と命を結び付ける力学、欲求。
他の命を引き寄せ命に惹かれる「生命の構造」が
感情世界である。
欲求を持たない脳は既に精神ではない。
そして全ての人間に宿った、
人と人、人間と世界を結び付けるための物理学、希望。
他の世界を引き寄せて世界に惹きつけられる「精神の構造」が
自我世界である。
希望を持たない自我は人間ではない。
したがって「自我世界」を宿すということ、
それ自体が人間という次元世界における
「生命の重力」である。
自我世界は最初から「思考する本能」として存在し、
その解答として「ひとつになること」を選択する。
その全ての現象は次元原理によって
モナドが同化や融合へと向かう
「たったひとつの同じ物理学」である。
個である「存在する無」が
全である「完全無」と同一だとする次元原理。
その中で自我を抱く我々人間も
「個の概念を持ち実在する無」として、
「点」や「今」と同じ
存在する次元世界の起点である。
その為に大きく分けられた自我世界の区分から
「あなた」は個として独立し、
この世界とは異なった場所に
「ただ一人で存在する世界」である。
「個でありながら
全としてして広がる力学」が
自我世界に発現した重力の概念であり、
それは全と同一であることを求める
「究極の自我」の意志である。
個は全と同一である。
つまり「あなた」は
この世界の全てを統括するその広がりを
あなた自身の自我世界にも
投影することができるのだ。
そして「世界」もあなたを投影するだろう。
それは希望として現れたこの世界と
「あなた」自身の望む融合である。
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