自我世界も「概念の異なる空間」の広がりであり、
全ての次元世界と同じ、
あるいは「ひとつしかない無の空間」の一部分である。
すなわち「自我世界である」ことが
空間(スペース)であり、空間の連鎖としての時間であり、
空間の歪みである物質であり、
命であり、想いの連鎖、自我なのである。
どこかに存在するものではなく、
全てが実体の連鎖の結果として
ベクトルである。
このように「時間」が生みだした「自我世界」には、
「かぎられた時間」しかあたえられていない。
けれども現在は70億をこえる自我が地球に存在し、
その自我世界のいずれもが、
今と未来に向けて、そして過去にも、
つながりと絆を求めて広がりつづけているのである。
この一人ひとりの自我世界の拡大が、
自我世界全体の広がりを
無限大へと近づけていく。
「拡大する世界の空間」の一部分として
自我世界も拡大への力学に貢献しているのだ。
そのためにも全ての我々が
「他人とは異なり、その全てとつながる自我」に
ならなければいけない。
これまでの人類は、
必ずしも正しい存在ではなかったのだろう。
けれども自我世界は、共有と共存によって
「より正しい認識」を生みだすことができる。
我々は「広がりゆく自我世界が我々を導く」という現実を
認識しなければならない。
そして「広がりゆく自我世界」とは「あなた自身の内面」でもあり、
世界を窮屈で憂うつなものとさせるものが
拒絶や否定、非寛容や無視などの「閉ざされた自我世界」である。
自我は多くのものと出会い、そして共有してはじめて
「自我」へと育つのだ。
その自我の拡大の中で
新たな世界は育まれていく。
この「わたし」という領域も、
本来はどこまで広がりゆくものなのか、
我々はその成長を期待するべきである。
生命にとってのただ一つの現実
「生きる」をもち去る「時間」。
「失われる概念」が「存在しつづける」ために発現した
あらゆる次元世界の延長線上に
人間もまた「生きつづけよう」とする意志をもつ。
このように世界原理としての「自我世界」では、
「生きていたい」という生命世界の根本的な願いは
「自我の本質」である。
つまり世界に最初からある「拡大へと連鎖するベクトル」に変化はなく、
この連鎖と拡大に向けた宇宙の意志が
我々人間の意志である。
だからこそ全ての自我世界は
「自我の本質」によって支配され、
生きることへの、あるいは存在への欲求を発現させたのである。
結果「自我の本質」が満たされない人々は、
自我が生みだす希望や理想よりも、
その自我の本能を優先させてしまう。
法や道徳のまえにパンと水が必要であるし、
「話せば分かる」のまえに人間は、
自らの安全と安心とを必要とする。
つまり人間は、
この「自我の本質」を確立することが出来てはじめて
人間なのである。
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