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2020年7月1日水曜日

(連載15)15-3自我世界の生まれた理由




自我世界が無限大の広がりをもつ
「次元世界」であることに疑いはない。


逆説的には
自我世界が無限大に拡大する能力をもつことが、
「無」から自我が派生したその証明である。


自我は当たり前の「前提」などではなく、
無の広がるベクトルにある「空間」なのだ。


我々はこれが世界の力学であり、
宇宙や無と同じく存在ではないことを
理解するべきである。




精神体()の連鎖が自我という「線」である。
この自我()の連鎖は
自我世界としての「線」である。


我々個としての自我は
自我世界と同一でその全てではあるが、
自我世界の中には部分を持たない。


独我にして全、
存在ではなくそのベクトルが
我々人間の正体である。


自我は無であり、
世界と同じものであり、
全てと繋がるものである。





点と線は同じものであるが、
それぞれが存在を持たない為に
交わることはない。


点は永遠の孤独であり
だが永遠に点と線は同一である。


これは自我の持つベクトルである。


同じものである為に
繋がるものとして
無限大に拡大するのだ。




多くの場合
自我世界の広がりが十分でない場合にかぎり、
人間は過ちを犯すのだろう。


次元世界として誕生した以上、
次元世界としての広がりを忘れた自我には、
次元世界として存在を続けることは出来ない。


したがって自我が、
次元世界としての実在をつづけたいのであれば
自我は「広がりつづけること」を
その命題として持たなければならない。


もちろん自我世界も「実在の連鎖」として
その意志(力学)を望む。


それは消えない希望である。


連鎖する自我は世界の命題であり、
ベクトルである。



このベクトルのために自我には
「知識的欲求」や「本能的な願望」、
「好奇心」などの興味や嗜好があり、
あらゆるものとの「出会い」の中で
自らの広がる空間を求めていく。


そしてその全てが
「自我(思考する本能)の本質(もっと生きたいと願う欲求)
がもたらした、
我々人間の「自我世界の本能(希望)」である。 




豊かな自然や数多くの人々など
多様性に富んだ「次元世界」が
この世界であなたと共存することは、
「一つの自我世界」が出会い広がるためには
欠くことができない条件である。


多様性はあなたの空間であり、
あなたは世界に広がる為にあり
世界もあなたの中で拡大する。


そのために自我は
他の自我やこの世界の損失を
自我世界として恐れている。
そして新しい世界の誕生と新たな自我の創造を、
自我世界として喜ぶのだ。



こうして我々の「この世界」を見つめてみると、
我々が理解して共有するべき存在が、
まだどれほど多く残されているだろうか。


あなたが繋がるために存在する世界と
あなたによって更に拡大する世界。



我々の身のまわりだけでも
これほどまでに多くの価値観と
多様な世界が存在することは、
自我世界の希望である。



さらに世界規模、宇宙規模としても、
人類は新たな価値観と、
そして世界はさらなる多様性を
創りつづけている。


その上我々は書物や記録、映像、文化などによっても
過去、あるいは異なる場所の自我世界との共有も
同時に体験することができる。


おとなりさんからソクラテスまで、
かすみ草からガンマ線バーストまで、
自我世界が広がりゆくためには全てが必要な
「自分とは異なる次元世界」である。



あなたの中に外の世界は拡大し、
外の世界であなたは広がる希望を持つ。


これが無の持つベクトルであり
我々人間の自我の力学である。



その為にあなたは孤独として生まれ、
欲求を持つひとつの世界である。


それはこの世界の欲求だったのだ。













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