「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2019年7月30日火曜日
(連鎖7)7-3等価原理
歴史上「原子=空間」に最も近づいた物理学者は、
「質量=エネルギー」を導きだした
アルバート・アインシュタインである。
(次元理論ではエネルギーは空間に変換できる。
そして光速度も、空間と時間をその概念の内側に含む。
時間と空間も同じものである。)
だが彼の「等価原理」は、
「力と物質」の間だけに適応するものではない。
完成した等価原理は
「時間」や「空間」、「物質」、他にも「重力」など
全ての力学(とあらゆる存在)を等価とする。
等価原理、
これが大統一理論の真意なのだ。
全てが無と等しい。
これは「この世界には何も存在しなかった」という、
完全無の世界の認知である。
しかし固定観念にとらわれていた私には
「切りとられた空間が原子である」という現実は
相当衝撃的なものであった。
「次元世界の起点」となる全ての概念は実体であり、
あらゆる次元世界における「存在する無」である。
我々がたしかに存在すると信じていた「物質」までもが
「無である空間」と同じとは、
一体誰に予測することができただろうか。
「あるのにない、ないのにある」という「存在する無の概念」が
「存在する物質」である。
それは「無」や「点」、「今」と同じで
我々が経験によって認識できる概念ではない。
けれどもこの「物質」が「無」とつながるとき、
「この宇宙には何も存在しなかった」という次元理論の大前提は
再びこの宇宙を統合する。
この世界に一本の道すじが見え始めたのだ。
全てをひとつのものとして、
全てが同じものとして繋がるために。
人間のはかなさ、命のはかなさを知る我々は、
この世界も同じ「はかなさ」であることを理解するだろう。
あなたや私と同じなのだ、この世界も。
その上で我々は、次元理論によって
「無」が「無限大」であることは
すでに学んだはずである。
宇宙の無限大の可能性、
命のもつ無限大の可能性を知る我々は、
人間の本当の「可能性」にも
ようやくたどりつくことが出来たのだ。
宇宙も我々人間も、
ひとしく「物質」で構成された同じ「存在する無」である。
それは空間の重なりにすぎず
完全無と同一の「無の集合体(連鎖)」である。
新しく生まれ、成長し、
次の時代を築き、そして残してまた広がる。
より強く、よりたくましく、
世界のベクトルは拡大を続ける。
このベクトルは人間も命も物質も宇宙も
「同一のもの」ということであり、
我々は全く同じ原理を持つ同じ存在である。
「無」を理解することだけがこの世界を知る方法とは、
それを理解することである。
これは信仰ではなく、思想でもなく、純粋な科学である。
「無」を理解する「次元理論」だからこそ、
この結論を導きだすことができたのだ。
さて次章では、
宇宙統一理論の理解する範囲を太陽系の外側、
銀河系よりも遥か遠方へと向けよう。
この宇宙の真実にせまる、
宇宙統一理論の最終章である。
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