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2018年10月23日火曜日

(連載3)3-2学術としてのモナド


3-2学術としてのモナド



通常我々が認識する点は、小さな円である。
我々が点を認識し、その場所を特定できるのは
人間が勝手に点に「面積を与えた」為なのだ。


これは表現であって科学ではない。


この「表現」を数学の始まりとして
あるいは科学の始まりとして、
我々が認識してしまう、
それが問題なのである。




けれども実際の線の概念を生み出す
「点の要素」に、
面積はない。


そして線もその現実の姿は「長さの概念」であり、
幅や面積という要素は持ち得ないものである。



少なくとも面積と面積が交わらなければ、
そこに面積は生まれない。
果たして平面上に「面積を持たないもの(点や線)」が
本当に存在するといえるのだろうか。



線を構築する唯一の構成要素であり、
しかし線の部分を持たない「点」。


存在するのに
存在しない、の概念体。





この概念体は、数学者であり哲学者でもあるライプニッツによって
「モナド」として現代まで知られている。
(実際はもっと古くから見られた概念であるが、
現代までモナドを持ち込んだ人物がライプニッツである。
この存在しない最小値を探す視点が
彼の創作による微分法、積分法である。)


モナドは「部分を持たない最小にして究極の単子」である。


線の中にある「部分を持たない最小の単子モナド」は、
これが線の長さという部分を持たない単子「点」である。



これまで「モナドのことは聞いたことはある」が
「モナドとは何か」を理解出来なかった読者の方も、
このように線と点の理解からはじめれば
ライプニッツの単子論は意外と理解しやすいものである。



線のモナドは点。


ライプニッツによると
この世界は全てがモナドの集合体であり
その集合体も同じ「同一のモナド」として
統合される。


結果としてモナドは、
「存在するもの」の全てを統括する。




しかし現実には
物質の最小単位にモナドは存在しない、
そう思われてきた。


科学の発達による素粒子の発見などに伴って
モナドは哲学側のものとして分類されてきたのである。

(素粒子学等の「物質の最小単位を探す」という分野の研究も
発想は「存在の最小単位を探す」というライプニッツの発想と
同じものである。
存在を考えるにおいては、アインシュタインやライプニッツ、
そしてニュートンも同じルートをたどり模索している。
つまり世界を理解するためには
実体の科学やモナドを理解することは、
正統的かつ、合理的な手順である。)






けれども実際には、
物質は「存在する」限り必ず「空間の中に」
その固有の占有範囲を持つ。


つまり物質も空間の一部分なのである。


そしてその空間概念の究極の単子は
やはり現実に存在する点、モナドなのだ。



物質がある、という前提の前に必要な
空間があることに対する認識。

何故空間はあるのか。
時間とは何か。

物質の始まり以前の
空間の始まりを知ること、
これが宇宙の原理を「理解する」ことにつながるのである。






さてこのように理論を正しくすれば、
線をいくら拡大したところで
そこに現れるのは永久に線それ自体である。


線世界では、その線の最果てにあるとされる
点に行き着くことなどは、
絶対に出来ないことなのだ。



モナドとしての点は「長さの部分を持たない」ために
線の概念上には永久に「存在しない」。


では点はどこにあるのか?



線は無限大に連鎖する点が創りだした「世界」である。


「長さの概念」世界、
それが連続して存在する点によって構築された
「線世界」なのである。



点は線の「存在」を構成するが、
線世界の中に「長さを持たない点」は
存在しない。


つまり点の連鎖と線は
「同一のもの」である。


線の概念と連鎖する点は「同じもの」なのだ。


しかしそれは、
概念としては「異なる世界」の住人である。

そこでその同じものに対する「概念世界」の方が
分岐する。
これが「次元世界」である。

(後述とさせていただくが
このように一つの同じ実体が複数の「異なる概念世界」
を構築することによって生まれたもの、
それが「次元世界」である。)


そしてこれが物理学(等価原理)の始まりなのだ。




つまり構成要素が「点の概念」ただ一つによって生まれた世界、
それが線(長さの概念世界)という「1次元宇宙」である。
現状の我々の科学は「次元世界」を扱う局面にきても
まだその成り立ちさえ理解していない。






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