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2018年10月16日火曜日

(連載3)3-1実体の科学

                                     第3章

                                実体の科学

        「存在するもの」と「存在しないもの」

(本編に先立つ導入部として
「点と線」という作品を先に投稿してあります。
「面積も長さも持たない点は存在しない」をテーマに
わかりやすく「実体の概念」を取り上げました。
「実体がある」という「科学の本当の始まり」を
こちらでも確認してみてください。)



3-1点と線


大統一理論ではその重要な論点として
「存在する」という概念を扱う。
しかし問題は、
この言葉の持つ本当の意味を
我々がまだ理解していないことにある。


「あるとない」とを表わす「存在する」という言葉は
実は相対的な事象に対する限定的な概念である。


何に対して存在するのか、
何処に存在するのか、
そこには「定義される」ことが必要なのだ。
もちろんその定義も
人間が勝手に創作した前提(公理)であってはならない。



そこでこの「存在する」の概念を
我々が一番理解しやすい
「点と線」の話を先にしよう。


我々がこれまで覚えて来た知識が、
如何に曖昧なものであったのか、
知識の棚卸しをしながら
しっかりと確認して頂きたい。


この「存在する」という言葉は、
人間が宇宙の構造を理解する為に必須となる
「次元世界」共通のキーワードである。





ではまずその基本となる
点と線の話である。


「線は点の無限大に連鎖した姿である」

このように理解する現代人にとっては、
点と線が存在することに大した違和感はない。


これは数学を学んできた我々には
当然の認識である。


数列の直線には
あらゆる点が含まれている。
これはつまり
2つの点があれば、
直線で繋ぐことが出来るということである。

これはもちろん正しい。


では「線の中に点が存在する」とは
本当に正しい認識なのだろうか。



現実問題として
線の中に「存在する」とは
「長さの部分を持つ」ことである。
つまり線の中に「存在する」為には
その線上に「固有の範囲」が必要なのだ。


線は「長さの概念」である。


線が長さの概念である以上、
線の中に存在する為には、
やはり同じ「長さの概念」を持たなければならない。


長さの部分(範囲)を持つこと、
これが線の中に現実に「存在する」ということである。




では点は、
本当に線の中に存在するのだろうか?




ここでの問題は点が、
長さやその固有の範囲を持たないことにある。




点はその無限大の連鎖により
線の概念を創りだしている。
無限大に連続して存在する点、それが線なのだ。


けれども点それ自体に、長さの概念はない。


点の持つ範囲を正確に表すことのできる「表現」は
2つの直線が交差した一点、あるいはその部分である。


だが「長さの概念しか持たない線」が交わったところで
果たしてそこに
範囲(面積や長さ)が生まれるだろうか。


答えはノーである。


線は長さの概念である。当然線は面積を持たない。
つまり2つの長さの概念が交差したところで、
そこに部分となる「何か(範囲)」は生まれてこないのだ。




通常我々が認識する点は、小さな円である。
我々が点を認識し、その場所を特定できるのは
人間が勝手に点に「面積を与えた」為である。


これは表現であって科学ではない。


この「表現」を数学の始まりとして
あるいは科学の始まりとして
我々が認識してしまう、
それが問題なのである。


つまり数学は科学ではなく、
論理的な前提を持つ哲学(考え方)なのだ。


哲学から科学は生まれない。

本当の科学から
本当の哲学が生まれるのである。




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