「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2018年7月31日火曜日
(連載1)1-4 本能・重力・希望 「求める」という同じ物理学
野生動物やより単純な生き物たちは
本能によってその行動を支配されている。
本能に従えばその生き物たちは
生き残る可能性を高め、
命を引き継ぐ生命の営みにも
より貢献する事が出来るのだ。
このように本能は、
命を拡大するという目的を持って
生まれている。
命が同じ命を「求める」力学、
それが本能である。
我々人間のココロも
この同じ物理学を持つ。
自我もその本能によって支配されている。
それが人間の願いや、希望として現われた
「自我の本能」である。
自我を他の世界へと惹きつけて
融合し拡大させるための重力。
人間である限り誰もが必ず持ち続ける
「求める心」。
即ちこれは「希望」である。
その願いを生み出すためにあるもの。
それは決して消すことの出来ない
「心の虚空」である。
自我が願い、希望を生み出すことは
この生命としての人間の構造から生まれている。
つまり「消せない虚空」が同じものとして
「消えない希望」なのである。
それは人間の中心で
我々の思考を支配する
本質的な欲求である。
人間はその自由意思によって
「好きなことを考えることが出来る」と
思う人は多いだろう。
「我思う故に我あり」だ。
けれども我々が持つ自由とは、
実は「選択する自由」だけである。
つまり我々の思考の原点には
「求めるための本能」が
まず働いている。
不満足から生まれる欲求。
人間の感情はその自我の選択を承認し、喜び、納得し、
そしてそこに新たな願いを生み出す、
その為だけにある。
つまり全ての人間の自我の相違は、
ただ「求めるものが異なる」だけである。
このように生命としての自我は
その中心にまず「願い」を持ち、
これは我々の持つ他の感情や想いとは
一線を隔てた特別なものなのである。
自我世界が予め設定する
人間の「目的地」。
それは永遠にたどり着くことのできない、
幻の理想郷である。
そして「求め続けるチカラ」、
それが人間の重力なのだ。
人間の自由意思を創り出すためにある「願い」と、
その願いによって育てられる感情世界。
あるいは感性という想いの渦から生まれた「願い」と
自由意思の集大成としてつくられた「希望」。
双方に行き来する精神世界と自我世界の
同じ動物的な、あるいは理性的な本能。
この物理学を築くための構造が、
人間の中心に位置する「自我の虚空」である。
そしてこれが「自我の本能」として
我々全ての人間を統括する「人間の行動原理」なのだ。
表現を正確にしよう。
人間が願いを持つのではない。
願いのために人間は生まれている。
人間を創ったのは「虚空」であり、
我々はそこから生まれた消えない「願い」である。
これが自我世界である。
我々は存在ではなく力学なのだ。
喜びや悲しみ、憎しみや恐怖、
我々が様々な感情を持つことも、
全ては新たな願いを自我に与える為である。
喜びを求め、恐怖を乗り越え、
満足に幸福を覚え、忘れ求め、苦しさに耐える。
このように願いを創り出す為にこそ
感情は働く。
そして生み出された願いは
人間の気持ちを安定させて、人間自身を強く育むのである。
我々の心は
この「願い」によって展開する。
人間に自我を目覚めさせるべく存在する、
心の虚空。
その空虚を埋めるために生まれる切望。
この願いによって人間は
あらゆる世界とも結び付けられていく。
「融合、そしてそこから始まる創造」
つまり高度に複雑化した我々を取りまく環境の中で、
それに対応した人間を動かす力学、
それが希望とも呼ばれる自我の本能なのだ。
これは決して特別な力学ではない。
ひとつの原子が抱えた「存在する重力」は、
失われた空間が他の空間を求めるための
物質の持つ欲求である。
そして核力は自らの存在を求める
原子の同じ本能である。
重力によって原子は他の原子群と結び付き、
やがてその重力で
核融合反応を起こして更に質量を拡大する。
融合と創造。
更に全ての命が生命として与えられた本能は、
失われる命(死)が他の命を求めるための
生命の重力である。
この本能は自らの命の継続を願う物理学であり
これは核力である。
生命はこの本能によって他の生命と結びつき
やがて融合する。
そこから創造(や進化)は始まる。
これが死が生み出した生命の欲求、
重力なのだ。
我々人間も、
この世界を認識することによって求めるという希望を持ち、
やがてその願いによって世界と融合する。
人間の自我世界という生態系において、
人間がより良く生きる為に与えられた能力、
それが「願いを持つ自我」という物理学なのだ。
では何故人間の(生命の、原子の)中心には
失われた空間があるのか。
その虚空は
何故他の同じ空間を引きつけるのか。
これが原始の「同じ物理学」である。
我々がまだ気付いていない、
宇宙の根底にある統一された同じ物理学である。
あなた自身も
その失われた空間に囚われて
確固たる自我として成立している。
そのココロの虚空がなければ、
あなたもこの世界と変わらない
巨大な空間に過ぎないのだ。
こうして見ると人間は、
“考える葦”などではなく
まさに「願いを生み出す命」そのものである。
あるいは「願いによって生み出された命」である。
すべての我々が所有する世界に共通の力学、
人間とその社会の全てを形成する源泉、
そしてあなた自身も具体的に導く「願い」。
このようにこの世界の正体は
「消えない願い」にある。
つまりこれは「消せない虚空」がそこにある
ことを意味する。
結論を急ぐ気はない。
しかし人間以外の全ての存在も
この世界にある「同じ願い」なのだ。
生命の本質は「存在する死」であり、
物質の本質は「存在する歪み」である。
人間の本質は「存在する虚空」である。
2重に重なった有機物、生命(命に空いた穴)。
2重に重なった空間、物質(空間に開いた穴)。
2重に重なった精神、自我(心にある虚空)。
だからこそ全ての生命は同じ命を求め、
物質は物質に引かれ、
希望とも呼べる人間と世界のつながりは強い。
全ては同じ物理学である。
存在する死は消えない空洞、
すなわち虚空と「同じもの」である。
それを埋めるために
そこにベクトル、すなわち求める欲求として
本能は生まれている。
存在する力学は消えない虚空、
即ち空間に開いた穴である。
それを埋めるためにベクトル、
即ち欲求として重力や核力がある。
つまりそれ以前に
力学は生まれていたのだ。
我々人間も同じものである。
そこに世界の根底に存在する、
我々のまだ知らない物理学、
「等価原理」がある。
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