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2018年7月18日水曜日

(連載1)1-2 「人間原理」



我々はどこから来たのか。
我々は何者なのか。
我々はどこへ行くのか?



フランスの画家、ゴーギャンの絵画に
この問いかけはある。



人間はその“考える”という本能によって、
ある日突然に認識して自覚する。
自分が「ここに存在する」という現実を。


この世界にある唯一の不純物
「わたし」。


それは自分だけの視点を持った
ただひとりの「わたし」の発見である。



一言で表わすならば、
「この世界とは違うもの」。


異質であり異物であり
この世界から隔離された空間。




つまり人間は、
その存在する自分自身に対しても戸惑い、
得も知れず不安を覚えるものである。



「何故私はこの世界とは違うのだろうか?」



これはひとえに人間の知識では
“理解することのできない事象”に対する驚きであり、
不確かな存在への怖れ、
あるいはためらいかもしれない。



具体的には一人称が必然的に伴なう孤独と、
不完全さが生む心細さや不安。



「私は一体何者なのか?」



自分が認識する外側の世界とは異なる、
その内側で孤立する「(創り出された)独我の領域」。



「わたし」にしかわからないこと。
「わたし」にさえわからないこと。



そこには問わずには
いられない衝動がある。




つまり疑問を生みだす為に生まれた
「私という存在」。



「わたし」が疑問を持つのか、
疑問を持つものが「わたし」なのか。



その答えが見つからないものだとすれば
諦めるために「わたし」はいるのか。


あるいは人間が決して諦めないものだとすれば
探し続けるものが「わたし」なのか。





これは全ての我々が
人間として生まれてきた以上抱えた
「自我の出発点」である。






人間であれば誰もが逃れることの出来ない、
不満足から始まる際限のない渇望。


その中心に
欠落した空間(うねりを伴う枯渇)がある。


人間の心の中心を構築する
決して埋めることの出来ない空洞、虚空。




この心の虚空が、
人間を突き動かすのだ。




これが自我の中に仕組まれた
人間を支配する力学、
「人間原理」である。




ここから「求める(欲求、衝動、願い、希望など)」という
自我の力学が生まれる。
この願いから人間は始まるのだ。



それは全ての人間が宿した
自我を導くベクトル、
人間の行き先を指し示す方位磁針である。






まず、忘れないで頂きたい。
「底の抜けた永遠の虚空」が
全ての人間の世界を創り出している。


人間はそこから拡大する物理学である。




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