「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2017年12月8日金曜日
点と線 1
わたし達の科学は
人間が点と線とを覚えて
それを利用し始めてから、
大きく進歩しました。
それは人間が
数字を活用する技術
「数学」の誕生です。
わたし達はこの数列の上を
行ったり来たりしながら、
公式を見つけ出したり、
解を探したり
まさに正しさの基準として
数学を利用して来ました。
線は無数の点のつながりであること、
点は二本の直線の交わった一点であること、
線はその長さによって範囲を表すことができることなど、
点と線の運用は
わたし達の科学の出発点にあります。
そんな数学の基本でありながら、
数列と公式によって
わたし達の世界の全てが理解できると、
ほとんどの物理学者達は考えています。
それは正しくもあり、
けれども大きな間違いです。
点と線の概念は確かにあります。
そしてそれを活用することは
決して間違ったことではありません。
けれども我々が数学で利用する数字や数列は、
計算の前提として作り出された「道具」であり、
これは0という数字にしても同じことです。
わたし達には科学に対する信頼として、
数学が知識の前提になるという認識や、
その理解があります。
しかし数字や数列は、
人間の文化や歴史としての側面も色濃く、
それは理論的な哲学のひとつに
過ぎないということを
わたし達はまず理解しなければなりません。
つまり普遍の真理を表すと
考えられている方程式でさえ、
その根底には人間の考え方や捉え方といった
思い込みが先立っているのです。
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