「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
にほんブログ村
2017年12月10日日曜日
点と線 2
例えばこれから
数字の0についてのお話をします。
0は特別な点として用いられ、
数列の基準ともなる特別な数字です。
しかしこれさえも人間の発明品であり、
「数字や数列」と、「点と線」の概念は、
重なりさえすれ
それは決して同じものではありません。
まずその事実を確認するために
この特別な点である0と、
その他の点との違い、
例えば無理数や他の整数などとの違いを
調べていきましょう。
そこに数列に隠された真実があります。
それが点と線の持つ「本来の自然科学」です。
では本題に入る前に
そのことについて少し語らせて下さい。
わたし達の先祖の数学者達は
「点が何かを知らなかった」ために、
点にその呼び名となる記号を与えました。
それ以来わたし達は
やはり「点が何か」を考える前に
「存在する記号」として
数列を理解するようになりました。
わたし達のおかした大きな間違いは、
点に記号を与え
「存在するもの」
として理解したことです。
「前提のある科学」は
最後まで前提を残したままになります。
「0は無いもので、点は存在する」
その前提に疑問を感じることもなく
そこから始めることによって、
わたし達人間は
大きな弊害を(もちろん利益もですが)受け取ってきました。
これは「この世界は神様がつくった」と、
そこから始まる疑似科学と
何ら変わることがありません。
その事実を理解できた時、
道具としての数列の問題点も
数字を科学の基盤として活用することの課題も、
おのずから分かってくることでしょう。
正しい理解がなく、
わたし達がただ「それが正しいから」と
覚えこんできただけの知識に、
きっと驚かれるに違いありません。
だって誰も本当のことを知らずに、
これまではただ勝手につじつまを
合わせてきただけのことだったのですから。
結論から申しますと、
わたし達の科学は
まだ始まっていません。
「本当の科学」を始めるためには、
わたし達には
正しい知識が必要です。
これはそれを理解するための学習です。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿