「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2017年12月11日月曜日
点と線 3
では数字の0に
話を戻しましょう。
0は最も特別な点であり、
科学と同じ距離に哲学的な意味も漂う
不思議な数字です。
まずはこの「0という数字」の持つ意味から
探っていきたいと思います。
0は「あるのか、ないのか」と
よく疑問視されています。
けれども0を置くことによって
数列全体を始めることも出来る、
全てのものの基準点が0です。
0を境に正反対の異なる世界が表記されます。
正にあらゆる数字の中庸にあり、
世界のど真ん中に位置する点が0です。
「数列が存在する」こと自体が0に由来し、
0は全ての点の支配者ともいうべき
圧倒的な概念を持ちます。
全ての始まりが0なのです。
「0を置くこと」自体に、
基準を決める人間の意志が反映されています。
では0は、
どこに定めることが正しいのでしょうか。
ただこの「0に付けられた意味」、
つまり「0はあるのか、ないのか」議論には
けっこう簡単に結論が出せます。
0の概念は「ないものがある」で正解です。
何故なら0を置かなければ「全てがない」からです。
「0がある」ということは
数列もある、ということです。
そして「0という言葉」自体は
「あるのにないもの」ですよね。
まあ、これらのレトリックには
特に重要な意味はありません。
しかしこの0は、くせものです。
0は「あれば便利だから」という理由で
人間が勝手に創り出しました。
そして0は、
数学的には大変役に立ちます。
けれどもその圧倒的な支配力は、
0を使用した途端に
世界を半分に折り曲げて、
正負の概念を強制的に作り上げてしまうほどの
強烈なものです。
数字の0は道具ですよ?
昔の頭の良いインドの方が考え出しただけの人工物です。
しかし数列に0を置くだけで
既にその世界観だけで、
数列世界全体に先に
同じ結論を与えてしまうのです。
では0は、
一体どこにあるべきものだったのでしょうか?
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