「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2017年12月12日火曜日
点と線 4
0を使うことによって
先に導かれてしまう結論。
マイナスの世界がある!
という概念は、
計算の結果ではなく
実は0を使用した時点で
「最初から決められている」
約束事です。
全ての数字の合計値は0!
これも0を起点とする数列によって生まれた
前提としての決まり事(哲学)です。
本来数列ではないものの「全て」に
0を使っても、
本当に良かったのでしょうか。
マイナス2個のリンゴが
「足りないことを表す表現」ならまだ良いでしょう。
しかし2個のマイナス属性のリンゴが現実に存在する、
などという解釈になれば
目も当てることはできません。
けれどもまず
最初に理解して頂きたいことは
「ないものが存在する点」が0です。
0の概念の正体は
「ないものがある」
これで正解です。
このようにあまりにも特別過ぎる点0は、
明らかに他の点とは違います。
しかし0は
この宇宙に最初から存在した起点などではなく、
後付けにその意味を考え出された道具であることを
覚えておいて下さい。
それは真理を発掘した結果
発見されたものでもなく、
どこにでも存在する「何かの模造品」であることも
すぐに証明します。
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