これまでの我々は「正しい」と「正しくない」の判断を、
常に集団の伝統や個人の良識へとゆだね
それだけに頼ってきた。
そして現代社会においても
その認識は「変わることなく」つづけられている。
法による規制や道徳という良識。
多数決による統制。
伝統によるしきたり。
その他、善いと思われるものによる統合。
けれども次元理論は
その判断基準に
「共通の物差し」をあてはめていく。
むしろこの言いようは語弊を生むかもしれず、
嫌悪感を抱く方もいらっしゃるかもしれない。
けれどもこの「共通の物差し」には
「宇宙」という単位が記されており、
それによって我々は
「宇宙統一言語」を学ぶことができる。
この言語は我々を統合するものではない。
人間と世界がその希望によって
無限大に拡大する原則持つことを
我々に教えるものである。
この「宇宙統一言語」は、
無から宇宙、原子から物質及び全ての生命体、
自我世界からさらなる次元世界に至るまでその全ての存在と、
我々「人間」が語りあうために必要な「共通言語」である。
それによって我々は、
それぞれの価値観を超えて異なる人と人とで解りあい、
共有するための唯一の言葉(知識)を持つだろう。
あなたはこの世界に広がり、
あなたの中にも世界が広がる。
あなたはこの世界の一部として拡大し、
世界はあなたによって拡大するのだ。
我々はその共通の力学を学び、
その科学を正しく理解する必要がある。
世界が「存在」するのは
その力学の結果である。
百人の人間がもつ「百通りの価値観」は、
それぞれが優劣を競うためではなく、
一人の人間が「百通りの価値観」を
自分の内がわに見つけだす為に必要である。
そして「百通りの価値観」も、
その全ては世界とあなたの共有を
模索するものでなければならない。
自我の教師は
我々の内がわにも外がわにも
同じように限りなく存在する。
それは宇宙であり、
世界であり、
自然であり、
そして自我自身である。
では何のために我々は
この「宇宙統一言語」を学ぶのか。
それは自我世界が生きのびるために、
自我世界が広がるために、
自我世界がさらなる世界を創造するために、
そしてあなたが生きる為に、
我々は学ばなければならない。
自我世界はそれを幸福として
求めるはずである。
そして最後にもう一つ、
この大宇宙を創りだしたものが
「個別の時間波の持つ、わずかな相違」であることも
我々は忘れてはならない。
この相違は自我世界における、
全人類が宿した「個性」である。
この個性を創造し、
個性が世界と共有することが
人類最大の力である。
この無限の大宇宙にも、
あなたという人間は二人と存在しない。
その上で「別々の思想」、「別々の文化」、「別々の人間」が存在し、
我々は「出会う」のだ。
その出会いの中で、
共有と共存が成立した結果、
未来は開かれるのである。
我々は出会い、そして共有するために、
異なる思想、異なる個性、異なる文化、異なる世界を
創りだしていた。
あなたが他の人々と異なることは
この世界の希望である。
あなたがたった一人の個性であることは
全ての世界の可能性なのだ。
そのためにもあなたは「考える葦」となり、
「永遠の未完成」を目指さなければならない。
あなたの抱える「失われた空間」が大きければ大きいほど、
あなたにはより強い「自我の重力」が
その希望として宿る。
我々は求めるべきである。
嫌悪すべきは思考停止と、
それを生みだす構図である。
自分の個性を磨くのは人間の責任なのだ。
我々は常に融合するために存在する、
一つの次元世界である。
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