にほんブログ村

2021年2月10日水曜日

(連載20)20-5科学を信仰する


 

 

「共にある」こと。

 

 

同じ力学が正体で、且つ異なる我々が

ひとつの世界でその存在を拡大する為には、

他の概念や存在と共有、もしくは共存し

常に希望(重力)にひかれつづけなければならない。

 

 

同じひとつだけの力を

個しか持てない固有の重力に変えることで

この世界の空間は広がっていく。

 

 

これが世界の本質であり、

その統合された原理である。

 

 

つまり原理とは

原因であり結果である、

つまり現実をあらわしている言葉なのだ。

 

 

 

 

 

 

さてこの「共有と共存」を考えるにおいては、

科学は正すべきは「人間」ではなく

その「知識」であることを教えてくれている。

 

 

人を正すとは人を「否定」することであり、

これはそのままで

自らを否定することへとつながる。

 

 

 

「否定すること」は正さなければならない。

 

 

 

我々はこの解答を知らないままに、

歴史上に、そして現代社会にも、

大きな「ゆがみ」を創りだしてきた。

 

 

原因を知らずして結果を変えることは出来ない。

 

 

 

したがって自我の責務は明白である。

 


これを成すのは人間が自由を得た対価である。

 

 

 

 

 

 

けれどももしも仮に、

誤った唯一の認識だけで

この世界との結びつきを持つ者がいれば、

我々はどうすればよいのだろうか。

 

 

この場合その認識を正すということは、

そのままで彼の存在を否定することである。

 

 

この場合彼には、世界から滅ぼされるか、

あるいは世界を滅ぼすかという選択肢しか

残されない。

 

 

けれども私が期待するのは、

人間には必ず「ひとつになりたい」という

消せない想いがあり、

人間は唯一「宇宙統一言語」を

正しく理解できる生物だということである。

 

 

本当の科学を学べば、

人間は自らを正しく導くことが出来る。

 

 

そして生きることを望まない人間は

誰一人として存在しない。

 


これは同じことである。

 

 

我々は「独りきり」で生きてよい生き物ではない。

生きることへの解答と喜びは

この世界にあるのだから。

 

 

外の世界の広がりは

同じものとして我々の内側の世界である。

 

 

それを知るために我々は「孤独」を抱える。

 

 

 

私はそのことを信じて、ただ待ちたいと思う。

すでに「次元理論」はここにあるのだから。

 

 

 

いま自我世界が求める「正しさ」を、

知識としての「次元理論」は持つ。

 

 

これは本当の科学である。

 

 

我々はまだ間違った科学を

信仰しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

次元世界は無から訪れ、

無限大へと向かう。

 


無と無限大の狭間にあるもの。

 


それが「存在する無」という

存在しない世界である。

 

 

大宇宙は無から訪れ、

無限大へと続く。

 

無と無限大の狭間にあるもの、

それが「存在する世界」という

存在しない無である。

 

 

生命もまた無から訪れ、

無限大へと続いていく。

 

無と無限大の狭間にあるもの、

それが「存在する死」という

存在しない命である。

 

そして

 

人間もまた無から訪れ、

無限大へと向かう。

 

無と無限大の狭間にあるもの、

それが「存在するわたし」という

存在しない宇宙の意志である。

 

 

永遠なる無、それが無限大なのだ。

 

 

それは全てのものの部分を持たない

同じひとつのモナドである。

 

 

この世界を様々な角度から見た時、

あなたはそこに存在する。

 

 

あなたを様々な角度から見たとき、

宇宙もそこに存在する。

 

 

 

 

 

0 件のコメント:

コメントを投稿