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2020年12月8日火曜日

(連載19)19-2「ひとつの世界」という意味


 

 

宗教の「正しさ」は、

決して他人からは否定されるべきものではない。

 


 

けれども宗教に加入することだけが

真実に寄りそうただひとつの道ではない。

 

 


本当の科学であれば、

神の所在は求められるはずである。

 

 


存在するのに存在しないものが神なのか、

だがしかし、この世界も存在しないのに

存在すると思われているだけである。

 

 


今後科学は必ず「正しく」なる。

 

 


常にそばにあるのはひとつの世界だけであり

それは想いであり、意志はベクトルと等しく

物質は形式に過ぎず、質量は生命であり

空間は外側にも内側にも大きさはない。

 

 


そこにあるのはただ

境目であるあなたと

外側と内側にある同じあなただけである。


 

 


それを科学は証明出来るのだ。

 

 

 


したがって宗教の教義も、

正しい科学は検証できるし

神は実在し、その姿は我々の内側と外側にも同様に

見つけだすことが出来るはずである。

 

 


このように「信仰心」は

この「世界」に向けられた

人間が融合を求める為の本能(欲求)である。


 


 

そしてここで言う「世界」とは

次元世界のことであり、

それは人間、物質、自然界など、

あらゆる現象のそのなかに共有された

つまるところひとつの同じ概念なのだ。

 

 

 

 

全ては「ひとつの世界」の

同じ「存在する無」から生まれた

同じ力学である。

 


 

我々の「求める心」は重力であり

本能であり、そちらが我々の本体である。

 

 

 


 

これまで長年にわたり

対立をつづけてきた「科学と宗教」。

 

 

これは科学と宗教が、

ともに「真理」の2面性、

同じものの表裏を見つめつづけた

同じ探求の競合関係にあったためである。

 

 

真理の探求。

 

 

そのことは次元理論によっても

説明づけられるだろう。

 

 

科学と宗教は、

それぞれがともに「世界と人間」を

人間が理解するために必要とした

「知識」である。

 



その知識が現実なのだ。

 



人間の虚空が育む「さまよう心」は

この真実を見つけるためにある世界の構造(欲求)である

 


 

それが分かれば次元理論は

「科学とは何か」、「宗教とは何か」というように、

それぞれをより深く追求する

「さらなる視点」ともなれるのである。

 

 


それは同時にこれまでに行われた

あらゆる哲学への解答である。

 

 

 

「知識」は「信じるもの」ではない。

「理解するために学ぶ」べきものである。

 

 

 

科学と宗教はともに人類の歴史を創り、

我々の生活と切りはなすことはできない。


その知識は人間の形成と深い結びつきをもつ。

 

 

だからこそその本質を理解することは、

そのままで宇宙と自我世界の現実を

我々が理解することに繋がる。

 

 

 

科学や宗教の前に、

我々は世界を

理解しなければならない。

 


 

これが学問の仕事である。

 

 

 

  

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