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2020年8月25日火曜日

(連載16)16-4我々は何処から来たのか、何処へ行くのか





生命は生態系の中で繁栄し、
その命に多様性を与えられていく。


それは逆に生物たちが進化し、多様性をもつことによって
生態系はより確かな揺るぎのないものへと変わるのだ。



つまり生命の強度は
多様性とその広がりと等しい。



そのために生物には
環境に適応する能力が生まれ、
それぞれがともに「次元共有の大原理」を
その内側へと含むのである。



このように生き物たちの全ての能力の根底には、
「次元共有の大原理」の発現がある。



無の拡大するベクトルがそのままで
生命とその世界の原動力である。



すなわち個と全は
それぞれが異なる世界でありながらも
完全な同一体であり、「全く同じもの」である。



そもそも「命」という概念を創りあげたのも、
「次元共有の大原理」なのだ。



命には最初から
世界(時間、空間、物質)の広がりが含まれている。
全ての「命」におなじ次元原理が宿ることは
不思議なことではない。


こうして「生命」は
「無」から「第5次元世界」までを共有する
「同じ宇宙の力学的概念」である。



あらゆる「命」はこの意味において等価であり、
全てが等しく尊い。






「物質世界」における全ての力の源、
重力や電磁力を発生させる基本力学は
「失われた空間」の生みだす空間の復元力であった。



その後の「次元世界」の全てを創りだした
「失われた空間」の概念が、
第8次元「自我世界」にも存在することは当然である。



自我がもつ「虚空」、
そして「満たされない心」、
それがあるからこそ自我世界には
同じく「求める心」も出現する。



それは世界の力学と「同じもの」である。



我々が一般的に負の感情だと認識する衝動的な心の働きは
人間がこころを形成し我々に個を与え、
人々が希望によって生き延びる為の力学である。



そしてその根底には、自我世界のもつ
あらゆる思考の原点にある「死」がある。



自我世界が「失われる存在」であるからこそ、
自我世界もまた生きるを望む。
そして広がることを願い、
次なる世界を求めつづけることも出来るのだ。




したがって人類の「自我世界」に対する探究も、
「自我は失われる存在」であることを自覚した瞬間から
その全ては始まる。



あらゆる学問や思想、興味や理解、そして文化や文明、
その全ての根底には「失われる自我に対する人間の探究心」が
必ず存在したのである。



我々はどこから来たのか、
     そして、我々はどこへむかうのか。


     
この疑問こそ「死」からはじまり
「失われる自我」を模索する人間の「求める心」である。




このように自我世界にも「空間の復元力」は存在し、
そこに自我のもつ重力として
「究極の自我」は生みだされたのである。



  こうして人間は希望を宿した。



2020年8月19日水曜日

(連載16)16-3世界を拡大する予定調和



自我世界が
「あらゆる次元世界との融合をのぞむ」以上、
自我は最終的には
「0次元」との同化を求めるということにも、
人間はやがて気がつくのかもしれない。


けれども自我の本質には
「生きていたい」という本質的な意志が存在し、
そして「あなたが存在すること」自体が既に
統合された大きな世界「0次元」の一部分であり
ひとつの世界の同じ孤独と喜びである。



ではなぜ、何のために自我世界は、
生きることを望むのか。



それは最初に「自我の本質」による
「死への否定」があげられた。


生き物たちは皆「死を否定」するために
生きている。



けれども自我世界には
「死を肯定」する意識がある。
これは命ある者はいつか必ず死ぬという
「死に対する理解」である。


つまり自我世界には「ひとつになりたい」という
自我の希望があるために
人間は「生きること」を選択するのだ。



これは人間の融合への意志、
「更なる拡大への欲求」である。
この欲求は「無に宿る力学」というよりも
このベクトルこそが無の本質である。



したがって自我は
「ひとつになりたい」という想いを断たれてはじめて
「無」との融合を望むのだろう。
そこに残されるのはおそらく生への絶望である。


あるいは生きることへの疲弊、
あきらめから生じた無関心、
もしかしたらそれは満足なのかもしれない。



けれどもその絶望でさえ、
本来は自我世界が
新たな希望を生みだす為のプログラムである。



全ては自我世界の本能として
「希望を創りだす為に生きる」
(拡大と融合への欲求)
自我に与えられた力学なのだ。



このように人間は
希望を創り出す生き物である。
そして希望の為に生き、
希望によってつながる、
人間本来の姿である。




世界を拡大するための予定調和。




物質世界においては、
物質の同化や融合へとむかう力学は
原理や法則のみである。


生命世界では
その原理や法則に「生命体がもつ固有の性質」が加わった。
この細分化によって生態系は飛躍する。



そして精神世界や自我世界へと
次元世界が昇華するにつれて、
この「融合への力学」は
その個体がもつ固有の性格や個性へと
選択肢は委任される。
これにより全ての世界の拡大は
天文学的な加速度を与えられるのだ。



自我世界は自由である。



だが自我世界がもつ「自由」とは、
その選択に関する自由のみである。


自我世界は何かと共有し、
そしてつながっていかない限り、
この「生きる」という「自我の本質」を満たすことはできない。




全ては同化と融合をその手段として、
世界の拡大を目的とする原始的な力学である。



これが「個が全と同一とする」次元世界の
実体の力学であり、
無論実体も
モナドとして全てを「同じもの」と理解する。






「自我の本質を強要されること」
 それもまた自我の生き方である。


それは同時に「死への否定」を生みだして、
「世界への否定」を生みだすことだろう。


けれども「究極の自我を確立する」ことは
自我世界にしかできない生き方である。


そこに生みだされるものは
「生きることを肯定する意志」である。
そこに生まれた自我は
「世界を肯定する」ことができるのだ。


あるいは「死を肯定(理解)する」意識である。



では人間が自我世界を宿すのはなぜだったか。


それはすでに我々が学び終えたことである。


我々は生きなければならない環境から、
「生きることを喜べる環境を創造する」
新たな次元世界である。










2020年8月12日水曜日

(連載16)16-2力学としての自我世界




人間の全ての意識の根底には
「融合への希望」という自我の究極の目的地がある。



生命が生き延びることをその義務とするならば、
この「融合への希望」は自我世界を先導する役割を担う。
これは人間におけるベクトルであり、
実は向かうべき目的地が重要なのではなく
そこに至る力学的エネルギーが我々人間である。



そしてこの「究極の自我(力学)」は、
同じ第8次元「人間」に対してのみ
そのつながりを求めるものではない。


「究極の自我」は他の全ての次元世界にたいしても同様に
そのつながりを求めて強く働く。


自然を愛する人、
動物を愛する人、
音楽を愛する人など、
「究極の自我」の選択は
様々な想いやその個性として
「あらゆる次元世界」に対して広がっていく。


すなわちこれは異なる世界に自らを重ね、
そこに自己を広げたい、広がりたいと願う拡大の願望である。





次元理論によれば第5次元「物質世界」では、
全ての物質は融合するために必要となる固有の力学
「重力」を持っていた。


生命世界でも「命と命がお互いに引きあう重力(融合)」として、
全ての生命は「本能」をやどしていた。


精神世界でも「感情」の生みだす「想いの力」が、
融合や反発力を創り出す「精神世界の重力」として働いている。



そして我々の自我世界では
この「ひとつになりたい」という「究極の自我」の希望が
「人間原理」であり「自我に働く重力」なのだ。



この「自我の重力」によって我々は、
あらゆる存在、そしてあらゆる次元世界とも
引きあうことが出来るのである。




「自我の欲求」は力学であり
これはあらゆるモナドが持つ同じ力学の正体である。



したがって反発するという一見逆行する想いも
「他のものとひとつになりたい」あるいは
「更なる融合を求める」ことへの
異なる同じベクトルの同じ希望である。







全ての物質に宿る融合へと向かうための力学、重力。
この他の空間を引き寄せる「空間の持つ特別な構造」が
物質と認識されていた。
この構造がなければ物質はただの空間なのだ。



全ての生き物たちに宿る融合するための力学、本能。
他の有機物を引き寄せ求める「有機物の構造」が
生命と呼ばれる。
この力学を持たなければ命はただの物質なのだ。



動物たちを中心に働く、命と命を結び付ける力学、欲求。
他の命を引き寄せ命に惹かれる「生命の構造」が
感情世界である。
欲求を持たない脳は既に精神ではない。



そして全ての人間に宿った、
人と人、人間と世界を結び付けるための物理学、希望。
他の世界を引き寄せて世界に惹きつけられる「精神の構造」が
自我世界である。
希望を持たない自我は人間ではない。




したがって「自我世界」を宿すということ、
それ自体が人間という次元世界における
「生命の重力」である。



自我世界は最初から「思考する本能」として存在し、
その解答として「ひとつになること」を選択する。



その全ての現象は次元原理によって
モナドが同化や融合へと向かう
「たったひとつの同じ物理学」である。






個である「存在する無」が
全である「完全無」と同一だとする次元原理。


その中で自我を抱く我々人間も
「個の概念を持ち実在する無」として、
「点」や「今」と同じ
存在する次元世界の起点である。


その為に大きく分けられた自我世界の区分から
「あなた」は個として独立し、
この世界とは異なった場所に
「ただ一人で存在する世界」である。



「個でありながら
全としてして広がる力学」が
自我世界に発現した重力の概念であり、
それは全と同一であることを求める
「究極の自我」の意志である。


個は全と同一である。


つまり「あなた」は
この世界の全てを統括するその広がりを
あなた自身の自我世界にも
投影することができるのだ。


そして「世界」もあなたを投影するだろう。


それは希望として現れたこの世界と
「あなた」自身の望む融合である。