「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2020年6月3日水曜日
(連載14)14-3永遠とは1
永遠とは、
創造と終焉が常に内側に含まれるものであり
それが全としての外側の拡大である。
それは世界の「姿」であり、
これが存在ではないベクトルとしての実体なのだ。
終わりは始まりであり
独我は全ての宇宙である。
内側は外側と変わらず、
あなたも実際には自我の外側にいる。
この真理において、
銀河系が内なる恒星群に
命と寿命とをあたえながら存在するように、
第8次元自我世界は思考と経験を生みだして
且つそれを忘却することによって
連続する「宇宙」を発現させている。
あるいは幾億もの自我の誕生と終焉によって
はるか未来までつながる「宇宙」、
それが自我世界という人間の意志である。
つまり「あなた」の意志である。
何度もくり返すが
我々の自我世界はこの大宇宙とも、
あらゆる全ての生命とも、
全く同質である。
はじまりある物には必ず終わりも訪れる、
これも「時間の概念」としては妥当だろう。
けれどもそれ以前に我々の「自我世界」は、
無の属性が生み出した「次元世界」なのだ。
「命」に死をのり越えるための「創造」が宿るように、
自我にも自我世界を広げつづけるための能力が
「創造」されていく。
自我世界は常に
この世界と共にあるものである。
空間の無いものは世界ではない。
時間の無いものは世界ではない。
命のないものは世界ではない。
自我なきものもまた同様である。
富ナルレキ史ヲ見テ、和ヲ輝ラス。
拡大する自我世界。
これは正しい文明をもち、
世界が正しく拡大するための
「自我世界の有るべき姿」である。
全ては正義ではなく、
物理学的な正しさなのだ。
そしてそのことを知るために、
自我世界には際限のない
無限大へと向かう能力があたえられている。
我々はそれを忘れてはならない。
全ての始まりの時に
我々は既にそこにいたはずなのだ。
つまり生命世界が「次元世界」であり
自我世界もまた「次元世界」であるのならば、
我々はいかなる困難や逆境にも負けることはなく、
これから先も永遠に
自我世界を広げつづけることが可能である。
生命世界の希望、宇宙の夢、星々の願い、
それが自我をもつ人間の「存在意義」である。
そのためにいつか訪れるかもしれない終焉などにとらわれて
虚無へとむかうことなどは、
第8次元である「自我世界」には許されていない。
自我である我々はその事実を正しく理解し、
実行する必要がある。
自我世界を宿した人間には
あらゆる可能性が育つことを、
人間は可能性を生みだすものであることを、
この世界の多様性の一部分であることを、
我々は理解しなければならない。
実際にあなたのもつ「生」は、
誰かの「命」や
この宇宙に出現した数多くの「命」の、
その延長線上に存在する。
その命は点ではなく、
全としての線の概念を持つものである。
つながった命のその中に
部分を持たない、
「あなた」というひとりの存在がある。
それはそれだけで全ての命とも等しい
ひとつの生命世界なのだ。
つまりあなたがもって生まれた「命」も、
それは単にあなただけのものではなく、
あなたからはるか未来へとむけられた
「無限大をささえる次元世界の直線の一部分」である。
そのためにひとりの人間の「生」はかぎりなく尊く、
他人の「生の拡大」に影響をあたえられる人間は気高い。
したがってたとえ何があっても、
あなた自身の「命」を
あなた自身が放棄することは許されない。
一人の人間がつなぐ次なる宇宙の存在は、
「全ての宇宙」とも同等の重さの可能性である。
それはあらゆる全ての宇宙と等しい
同じ次元世界としての宇宙なのだ。
今のあなたがもつ「無限大の可能性」も、
それはあなたの生涯とともに消えるものではなく、
あなたからその先の未来へと向けて
常に引きつがれるべきものである。
同じ命や想いとして。
そして記憶やこの世界の一部として、
ありとあらゆる形で。
自我世界は「生命世界」の持つ
「本能の限界値を越えるため」に
生命が人間に発現させた新たな可能性である。
人類がその自我によって
生命世界の限界点を超えていくためには、
まだまだ時間は必要かもしれない。
けれども現在、
すでに宇宙空間での活動をつづける人々がいるように、
自我世界は生命世界の限界点を超えていける可能性を
十分に持っている。
我々は自我をもつ者の責務として、
自我世界に「終わりなき時間と可能性」を
与えつづけなければならない。
我々が「今を生きる」ということは、
そのままで「命を未来へと繋げる」
「未来のための歴史を創る」
という事である。
ある世代の人類が確かな「今」を生きつづけた証し、
その積み重ねが、今と未来の人類が立つ
確かな起点である。
そしてその中にこそ、次なる可能性は生まれる。
自我世界がつなぐ最も重要な想いとは、
あるいは「時間」なのかもしれない。
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