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2020年6月10日水曜日

(連載14)14-4永遠とは2




自我世界がこの「無限大の時間を生きなければならない」
という命題にたいして、
人類の染色体には寿命が確認されたりもしている。


その他にも人間には
いくつものほころびがある。


けれどもこれは幸いなのだ。


このことは裏を返せば、
人類のさらなる進化を示唆する。



生命世界における「完全体」は
もはや終焉に等しく、
不完全の連続、あるいは永遠の未完成こそが
「完成された次元世界の姿」である。


そのことだけが次元世界に
「さらなる可能性」を育んでいく。


人類によらず、全ての次元世界の「個」の存在は
「全」と同じ比重であり、
それは全と同一であるために強靭で尊い。
逆に「全」もそれだけに儚く弱いものなのだ。



全ての時間の起点である「今」も
「わたし」と同一である。



今という時間の中に生きるのは「わたし」のみであり、
「全てのあなた」が「わたしである」のが事実である。


我々は「一人の次元世界」として、
時間や想い、そして知識を、
後世に、あるいは他の人々へと
つながなければならない。


人間は点であり、
かつ点ではなく線へと向かうベクトルである。



そしてそれらを引きつぐために自我は、
最初に「白紙の状態」で誕生する。


我々は彼らに「成長するための自由」を用意し、
彼らが「つながる先の世界」を
たえず切り開かなければならない。


そして彼らも成長し同じことを成し、
しかし彼らのもつ可能性はいつだって
今の我々に勝るはずである。



自我は「無限大のベクトルである」ことを
自我自らが正しく理解しなければ、
自我世界のもつ可能性は
極端にせばめられてしまうことだろう。


そして人類が「自らを正しく知る」ということは、
第8次元「自我世界」にとっても、
全ての世界にとっても重要である。


自我が「理解する者」でなければ、
世界は疲弊し失われる可能性を強めるのだ。



現代でもすでに「理解した人々」は、
「平和」や「多様性」、
そして「共存」を訴えている。


次元原理のただ一つのつながりから否定されて、
自我世界が失われることへの恐怖、
それを人間は自覚しなければならない。


そしてそれをより深く理解するための手法が
「次元理論」を学ぶこと、
すなわちこの世界を学習することである。






但しここまでの「次元原理」は私の考察にもとづいて
取りあえずに考えだされたものであり、
学問としての真価の検討は不十分である。


私としても「次元理論誕生のため」の叩き台として
この文章の執筆意義をとらえており、
今後数多くの議論や検証が後につづくことを願う。


現代の我々の科学や見聞は
あまりにも未熟なのだ。
それを「学問」として信仰することの危険性を
私は指摘する。



さらに私は、次元理論を「知識の泉」とも考えている。


「世界はなぜ存在するのか」
「人間はどこから来たのか」
「我々は何者なのか」

という難問でさえ、
次元理論があればこのように
ひも解くことができたのである。


次元理論によって「知識の始まりを理解すること」は、
今後の人類のいかなる困難にたいしても、
有効な手段を生みだす手法ともなることに
私は期待する。



さて、けれども本書のテーマには
さらなる「難問」を掲げていた。


それは「我々はどこへ向かうのか」である。




この章に至り「自我世界は無限大へ向かうベクトル」として、
その方向性は打ちだすことができたと思う。


無の無限大の連鎖の
「存在することに対する」方向への拡大が
そのままで自我世界である。


けれどもそれは「人間の解」のまだ前提部分にすぎず、
次元理論のもたらす知識「全て」ではない。



そこで次章からも引きつづき
次元理論を展開させて、
さらなる知識の高みへと
この挑戦を続けていきたい。


それは我々が
人間と世界にたいする「根本的な理解」を手に入れて、
それをさらなる歩みへ生かすための
「必要な知識」である。




さあ、自我世界の探求を続けよう。










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