「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2018年12月25日火曜日
(連載4)4-5連鎖する宇宙
「永遠に存在する無」と
「無が無限大に連鎖する世界」は
「同じもの」である。
その為に異なる場所(次元世界)に
「同じもの」として
無と点(存在するのに存在しないもの)は同時に存在する。
更に
「永遠に存在する点」と
「点が無限大に連鎖する線世界」も
「同じもの」である。
点の無限大の連鎖と
線世界はこのように
同一の概念を重ねながら
別々の概念世界として同時に出現する。
無の無限大に連鎖する0次元世界。
点の無限大に連鎖する1次元世界。
無と点は「同じもの」である。
その概念が重なる為に
同時に、しかし別々の世界の中に
それぞれが「同じもの」として存在する。
同じ「あるのにない」もの。
同一であるもの。
同じものである為に、
異なる概念世界に同時に無として存在する。
これが実体概念の重なりによって、
新しい次元世界が出現する原理である。
「長さ」を持たない点は「存在するもの」ではない。
面積を持たない線も「存在するもの」ではない。
世界は未だに連鎖する無なのだ。
点の無限大の連鎖は線ではない。
線の中に点は存在しないからだ。
この両者は元々、概念としての存在する世界が異なる。
これは「同じもの」である。
異なる宇宙の
同じものなのだ。
全ての宇宙が
「存在する無」と等しく無に回帰する。
「この世界には何も存在しなかった」
だからこそ無の連鎖は続く。
無と等しい点の連鎖も続く。
無と等しい線の連鎖も続く。
こうして連鎖は存在として認識されていく。
この連鎖が力学なのである。
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