「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2018年12月11日火曜日
(連載4)4-3完全無という世界
このように「完全無」が理解できれば、
時間や空間も存在しないはずの世界に起きる「ゆらぎ」や
ましてや「ビックバン」など、
そういった仮説自体に誤りがあることには
我々もすぐに気がつけるはずである。
そして物質が存在しない状態だけを「無」として定義するのであれば、
確かに存在するはずの「時間」や「空間」に対しては
全くの認識破棄であり、
その後我々が都合よく空間や時間を扱おうと試みても、
正しく組みこめるはずもないのである。
その誤った認識は、
すでに知識にとっては致命的な欠陥である。
では「完全無」が永久に閉ざされた世界だとして、
それ自体で完結するものであれば、
なぜ我々の宇宙は「現実に」存在するのだろうか。
はじまりが「無」である以上、
この世界には何も存在しないのではなかったのか。
これが人類の前に長らく立ちふさがった
「知識の壁」である。
「存在する無」は「何もない」という意味ではない。
そこには「完全無という世界がある」という
「同じ概念」が生まれている。
「ないのにある」
「あるのにない」の同じ概念。
完全無として、ないはずのものが
永久に継続する現実世界の出現。
永遠に続く無。
永久に連鎖し続ける無。
それが「実際に存在する世界(次元世界)」であり、
この「存在する無(ないのにある)」の概念が
実在する「実体」の正体である。
存在しないものが
確かに存在する世界。
つまり実体(存在する無の概念)があること、
全ての概念が実体の連鎖(永遠に続く存在する無)であること、
これが世界の大前提なのだ。
「無」は「全く何もない」という概念が
「全てにある(あらゆる概念に永久に続く)」という状態世界を
そこに創り出している。
この「無(の概念)」が生みだした「無の永久に連鎖する世界」、
それが「完全無(の世界)」である。
(無と完全無は同じもの)
したがって「完全無」とは
無限大に連鎖する「無の概念」であり、
そこには「永久に続くないのにある」という概念世界も
「同時に」生まれている。
(「同時」であることが重要。
これは実体と実体の連鎖が「同じものである」という理解である。
新しく生まれてきた完全無の世界も
最初から存在する無と「同じもの」である。)
これが点と呼ばれる最初の実体(あるのにない無の概念)と、
点の創り出す線(永遠に連鎖する点)の概念世界(次元世界)が
出現する、その理由である。
全ての部分を持たないのに存在する実体は、
存在する無と「同じもの」である。
無こそが
全ての部分を持たない実体の
本質なのである。
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