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2018年11月20日火曜日

(連載3)3-6さあ、科学を始めよう!



では少しづつ
まとめていこう。




まず点の実体が構築するのは線の概念世界である。
つまり線世界の構成要素は点ただ一つ、
これによって線世界は1次元世界である。

線は点の「あるのにない」という概念の連鎖(部分)を
与えられて「存在(する世界)」となる。
「あるのにない」の無限大の連鎖、
この段階で線は純粋な長さであり
「点の無限大の連鎖」と「同じもの」である。




次に出現する面世界は、
線の概念世界によって構築される。
その構成要素は線であり、
面は無限大に連続する線(実体)である。

つまり線とその線が含む点の二つの実体が、
面世界の構成要素である(もちろん点と線は同じもの)。
この為に面世界は
2つの概念が構築する「2次元世界」である。




最後に点と線と面の
三つの構成要素を持つものが空間である。
無限大に連鎖して積み重なった面の概念世界、
これが「同じもの」として空間なのだ。
構成要素が3つであるために3次元世界、
それが空間である。


(物質世界は3次元空間概念ではない。
空間世界には点と線、面しか含まれないのだ。
逆に物質概念が点と線、面、空間を含む。
つまり物質概念は3次元世界のさらに外側にある。)



このように我々は、その対象となる宇宙が
「いくつの構成要素を持つ世界なのか」を知らなければ、
「存在するもの」の全てを理解することは出来ない。


空間だけでも点と線と面の三つの構成要素を持ち、
それぞれの部分はその空間概念と共有しながら
同時に存在する。


点の連鎖は線、
線の連鎖は面、
面の連鎖は空間、
すなわち全てを「同じもの」として。

(もちろん空間も連鎖していく。
これはなんだと思う?)




このように我々の宇宙は、
現実に多重次元構造によって成立する。



「同じひとつのもの」であるはずの実体が
その連鎖によって、さらに異なるものとして
それぞれの中と外に違う概念世界を
同時に存在させているのだ。


(点がその内側に無限大の奥行きを持つことや
点の連鎖が無限大の広さを生み出すことも、
「ひとつの実体」の異なる姿である。
その事が同じ実体の内外に異なる概念世界を
創り出している。)



そして点という
一つの構成要素のみで成り立つ線の概念世界が1次元線世界、
点と線の二つの概念で創られた面の概念宇宙が2次元面世界、
点と線、面の3つの構成要素をもつ
空間世界が3次元空間世界である。




つまり点、それ自体は0次元なのである。
(実体の始まりが点である。)




これが世界を正しく理解する為の知識であり、
次元世界の生まれた理由、
「多重次元構造」を持つ宇宙の真実の姿である(次元理論)。



そしてこの全ての存在に先立つ実体、
0次元として全ての始まる場所が
モナドとしての点である。



点は体積や面積、長さや時間、あらゆるものの部分を持たない。
しかし点は、確かに存在する実体である。


そして点が実体であり、存在しない概念だとしても
線の中に、面の中に、空間の中に、
確かに点は実在する。
(従ってこの先の全ての次元世界の中にも
点は同じように必ず存在する。
これは例えば、時間世界における
今という「存在しない時間の概念」である。
この今は
点と同じように長さの部分を持たないものでありながら
その連鎖によって時間の概念を創り出している。)




存在するものと実在するもの、
存在と実体、
この世界の構成要素と
その次元世界という呼び方について。


我々は知識と、その理解を深めなければならない。



部分を与える、部分を持たないという
世界の基準となる存在のあり方、
その概念の始まりの最初から全てを
我々は理解しなければならない。




線世界は長さの概念世界である。
その為にの点の概念とは
「存在する」次元世界が異なる。


そもそも範囲を持たない点は
存在するものではなく実体なのだ。
(全ての実体が何かの範囲を持たない。)


そして点が存在するものであれば
線世界は存在しない概念世界であり、
線世界が存在するものであれば
点や面世界もそれぞれが概念世界として
存在しない実体である。


これはそのそれぞれが存在する
概念世界(次元世界)が異なる為であり、
一つの概念世界が存在するものであれば、
それぞれの概念世界もその部分として、確実に、同時に、
異なる概念世界の中に実在する。


つまりあらゆる実体は、
複数の概念世界にまたがり
同時に存在する「同じひとつのもの」である。
(これがモナドとしての実体の考え方である)


全ての存在が
「あるのにない」「ないのにある」という
実体としての部分(本質的な存在要素)を与えられ、
その存在の内側にも必ず実在である実体がある。




我々はまず点と線が
同一世界の住人だと誤解していた。
そしてその理解から科学を始めてしまった。


なにより数学における点や線は、
数列を分かりやすくする為の
人間の発明品であり工夫である。
その「表現」を科学の始まりに置くこと自体
まず科学ではないのだ。



実際の点は「あるとない」の概念しか持たない実体であり、
線も「長さの概念」しか持たない実体である。
その上これらは、別次元の概念である。


これはそれぞれの存在する概念世界が異なる
ということである。
ただそのそれぞれの概念世界も、
互いに部分を与え合うことによって同時に存在する。
本質的に実体は「同じひとつのもの」であり、
だからこそ
そこに等価原理が生まれるのだ。


つまり原理は始まりではなく
正しい理由を持つものである。
正しい原理であれば
その全てが正しい存在理由を持つことだろう。



その事実を理解せずに、
未だ数列の中に点を探すような現代物理学には
到底本当の答えは導けない。






それに対して
この次元世界の重なりの
ひとつ一つを理解して構築する科学、
それが次元理論である。


その知識の積み重ねはやがて、
次元理論を大統一理論へと導いていく。



だがひとまずここでは
存在という言葉が実は相対的な意味合いを持つ
ということをだけを理解して頂ければ
それで良いと思う。

つまり「実体がある」という認識である。

この世界の最大の秘密はもっと深い場所にある。


何故、実体があるのか。
何故、実体は連鎖するのか。
点に内側と外側があるのは何故か。

それ以前に点とは何か?




まずはそこを理解していかないと
次元世界の本当の繋がりは見えて来ない。


知識は覚えるものではなく、
事実を順番に理解していければ
それが知識である。

知識の生まれた理由を理解するのが
肝心だ。



それでもまずこのように
「線の中に点は存在しなかった」というその認識だけでも
十分に価値ある革変である。


この為に数列における全ての点は
円周率πのように、
その場所を特定することの出来ない
無理数である。

全ての点が、である。

全ての点が、無理数であり、循環少数なのだ。


例えそれが実数であったとしても
全ての点はどれほど拡大を続けても
永久にたどり着くことが出来ない実体である。


実数だから存在する、
無理数だから特定出来ない、
これも数学がもたらした
我々の理解への弊害である。


「あるとない」の概念を宿した点。
その点の無限大の連鎖である線。


点は存在するものではなく、
長さの概念だけが存在する線世界。
だがその線世界も線の無限大の連鎖、
面の概念においては「存在しないもの」である。


存在するのに存在しない。
あるのにない。


その認識が変化していくのは
我々の宇宙が次元世界だからだ。


そしてその次元世界を生み出したのが
点という最初に存在する実体である。




存在する点が最初の
存在しない実体である。



このように「あるのにない」という実体(モナド)は、
「存在する」全ての概念を飲み込んでいく。







次章より次元理論は
この世界を理解する為に
さらなる知識の深淵へと展開する。



そこは最果ての宇宙にある、
知識の始まりである。



この宇宙の始まりは何か。
宇宙はどのようにして誕生したのか。


全てが生まれ、全てが存在しない
究極の宇宙、0次元。


それは果たしてどこにあるのか。



ではいよいよ本当の科学を始めよう。




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