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2020年2月18日火曜日

(連載12)12-1拡大は多様性と等しい




   第12章 「想いが生まれる世界」
      
       精神世界の発現




12-1拡大は多様性と等しい



ふたたび次元世界が持つその構造について
探究をつづける。




第6次元「生命世界」が
次の概念世界として生みだした新たな次元世界、
それが「精神世界」である。

これは永遠の奥行きと永遠の広がりを持つベクトルが、
新しい概念を創造しさらにそれを拡大する、
無限大の無の一部分である。

無限大の空間から物質が生まれた。
無限大の物質から生命が誕生した。
そして生命に網羅された世界から
「精神世界」は創られたのである。

そしてその根底が完全無である以上、
全ては「同時」であり、等価であり、
個であり全てである。


こうして生命世界(精神世界)は
その繁栄のために必要となるあらゆる原理や法則を
全て「次元共有の大原理」によってあたえられる。
これは「存在」ではなく「ベクトル」である。


その中で「本能」とよばれ、
とくに生物の一部だけに託された大脳の中に
この「精神世界」は発現する。


「本能」とは当初、
「生命世界」の全ての生物がもつ生命維持と種の保存、
そしてその拡大のための力学である。


そしてそれは
「有機物が有機物を求める力」として発現した。


だがその原理は、
原子が持つ重力と同じ構造の力学であった。



ひとつの有機物と他の有機物が
重なり融合した結果、
そこに有機物の抜け落ちた「空白の有機物の空間」が生まれる。

この空間が自らの内外の有機物を
元の場所に引入れようと求めた結果、
そこに欲求(力学、あるいはベクトル)が生まれ
それが本能と認識される。



この本能を持つ有機物が生命体である。



この力学、
すなわち本能にしたがうことによって生き物たちは、
より効率的な活動で自らの生産力を高め、
生命維持とその拡大を容易とする。

個の広がりは全を高め、
全の拡大は個を引き上げる。
それらは常に同じものである。



この「本能」も無の概念をもつ「命(個)」が、
完全無の概念である「生命世界(全)」を生みだすために
命に宿った「生命原理」なのだ。


宇宙に「連鎖する力学」が本能。


生命世界にも連鎖を創りだすために
本能は働く。
有機物の「同じ有機物を求める欲求」は、
生命の概念をより強く
よりたくましくものへと変えていくのだ。


そこに命の連鎖として生態系が生まれ、
この生命世界の拡大、
すなわち多様性は創り出されるのである。



しかし第6次元「生命世界」の飛躍のためには
本能は「記憶する能力」と「予測する能力」とを
新たに必要とする。




これは第5次元「物質世界」の持つ「多様性」と、
第6次元「生命世界」がつくりだしたそれ以上の「多様性」に、
生命自体が更に適応するために求めた能力である。



そしてその能力を
獲得することによって生まれたものが「精神世界」、
あるいは「感情」ともよばれる「認識する本能」である。



この「認識する本能」の出現は、
第5次元「物質世界」と、第6次元「生命世界」にも、
「更なる多様性」を創りだしていく。



2020年2月12日水曜日

(連載11)11-6思想を超えて





これまではたしかに「科学」によって
人間は神を失ったとされる時代もあったかもしれない。


けれども今、科学は
永遠の存在へとたどりつくための手法とも成りえるのだ。


(私は特定の宗教を支持しない。
だが宇宙を覆う巨大なベクトルがあることは、いつも感じていた。
それを意志と捉えることや、愛と呼ぶこと、
あるいは物理学として理解すること、
そこから学ぶことなど、
それらの全ての認識を私は支持する。)


真の物理学においては、
科学も神も
それぞれが共に同じ概念の異なる評価に過ぎず、
この双方にもともと変わりなどないのである。



長きにわたり人類は
この「次元共有の大原理」のさまざまな様相を断片的にとらえ、
その優劣争いを続けてきた。



もちろんそれぞれが
次元世界として拡大することを目指しながら。


だがこの「ベクトル」があらゆる存在の実体であることを
理解出来たとき、
これまでの我々の育ててきた世界は
ひとつのピースであることを
人間は理解出来るだろう。





この次元理論の出発点となる認識は、
「この宇宙には何も存在しなかった」
というただ一つの現実である。


もしも仮に、この最初の定義がやぶられたとするならば、
その後に展開してきたあらゆる理論は
はからずとも崩れさることだろう。


けれども「この宇宙には何も存在しなかった」という認識は
人間の知識の限界点、そして出発点であり、
これ以上の詮索は
我々にはできるはずもないのだ。

無を理解する科学。

だからこそ人間にとっての宇宙は、
この「次元共有の大原理」に
全てが集約されるはずである。





人類は当初「宇宙統一理論」の完成を純粋に夢みていた。


けれども近年、次元概念を理解できないことによって
「真理は千差万別」、
「真理を決定づけるのは個性」
という認識をもつ人々も現れはじめた。


けれども人類が追いもとめたものも、
そしてたどりついてしまったものも、
どちらも決して間違いではない。


なぜなら「次元共有の大原理」はその全てを創造し、
その全ての内がわにも
同時にふくまれるものだからである。


このように人類は、
これまではその「数多の視点」において、
あらゆる「次元共有の大原理」の見え方の違いを
主張してきた。


それが我々人間の、
探究についやしてきた幾千年の歴史である。




けれども人類の多様性と、
その多くの視点が生みだした「知識の混乱」も、
それは決して悲観されるべきものではない。


我々のもつ「探究心の正しさ」と、
あるいは誰もがもつその「それぞれの正義と信仰心」、
そして決して統合されることのない「全ての個性と価値観」。

これこそがやがて
我々人間の「次元原理」へとつながる
「人類最大の力」である。


解答は間もなく得られるだろう。



次元理論は全ての我々の前と内側に立つ。



それらはたった一つの同じものなのだ。



我々が何かの存在に「宇宙」を感じるとき、
そこには必ず「次元共有の大原理」が働いている。
そして少なくとも今「我々」は
この「次元共有の大原理」を理解する者である。




(科学が正しくなければ
人間にも正しい価値観は生まれない。

それは野生動物の食物連鎖を
人間の生き方として、学ぶ愚かさである。

自然界は原理に従って、奪い合いではなく、
一番効率的な命の受け渡しを模索している。
それは全ての命が
共に未来を目指す生き方である。

個の勝利は全体の勝利に繋がり、
全の勝利によって個はさらに栄える。
全ての世界が
同じひとつの世界である。
ひとつしかない世界故に
個は必死なのだ。


そのことを理解せず、命を語るべきではない。
命を理解せず人間を、物理学を語るべきではない。

我々はそれらの次元世界の拡大にも手を貸して、
同時に人間世界の拡大を学ばなければならない。


我々は動物的な命の受け渡しを行いながら、
次元世界としては共有する生き方を
考えなくてはならない。
それは全ての我々が、未来を共に生きる生き方である。


人間の繁栄は世界の拡大と繁栄と
同じでなければならない。
そして世界の拡大は
人間の精神世界の拡大と充実でなければならない。



私は人間を理解するために
この次元理論をはじめてきた。

人間はどこから来て、どこへいくのか。

この解答を示すのためには、
まずはこの世界の現実から
我々は学ばなければならない。

哲学や思想ではなく、
事実としての科学から
人間は始まるのだ。)


2020年2月4日火曜日

(連載11)11-5何故存在するのか





我々はもっと核心的な部分での
次元世界のつながりに、
その焦点を当てていくことができる。



私は最初に
1次元世界の「あるのにない」という無の概念は、
無限大の長さを生みだすという原理をのべた。


無という単独のモナドが
完全無という全の世界と同一であるための力学。

無が持つ、
それだけで全ての広がりを含有する
無限大の奥行き。

即ち決して到達する事の出来ない
点(実体)の持つ、永遠の空間。

これが実体の科学である。



全ての次元世界は
この「広がり」の中での
異なる概念力学への「無の連鎖」なのだ。





これはたとえば、
面積の世界では広さは無限大に拡大し、
時空世界における時間の流れは永遠であり、
5次元世界における空間や質量は常に増大する、
ということである。


さらにこれは第6次元生命世界における
生命繁栄のための全ての原理や法則であり、
生命世界が無限大にむけて連鎖(可能性の拡大)する力学、
即ち本能である。



そしてこれらの全ての現実が、
次元世界の「共通の目的」を示唆する。



この次元世界のもつ「共通の目的」とは、
明らかに「拡大すること」である。


そしてその結果として
「次元共有の大原理」ただ一つの目的は、
「新しい次元世界を創造すること」なのだ。



そう、我々人間の本質も
この力学である。



このように次元理論を理解することによって
我々は次元世界の「存在意義」にまでも
到達することが出来る。




無があらゆる方向(概念の方向)へと無限大の連鎖をつづけ
完全無へ向かう「ベクトル」が、
「同じもの」として
存在を拡大へと導く原理や法則(次元共有の大原理も含む)と
その力学である。



それによって「なぜ存在するのか」
という全ての疑問にたいしても、

「存在するために、その世界を広げるために、
次なる世界を生みだすために」

という解答が、今
得られることになったのだ。




その為にこの宇宙にただひとつの「真理」があるとすれば、
それは「この世界には何も存在しなかった」という現実のみである。
この「存在する無」に、
あらゆる概念や言葉が
当てはめられるのである。


そして世界の創造主が「神」というのであれば、
「次元共有の大原理(無との共有)」こそが
彼の力学(連鎖)であり神の奇跡である。


これは無を力学として認識する知識である。


この世界を現実に創りだしたのは「存在する無の概念」である。

それは宇宙の全てに共有された「ただひとつの力学」なのだ。



これまでの科学や宗教は、
それぞれがこの大原理の断片を捉えて
個別に主張してきたに過ぎない。


人類は長きにわたりこの大原理の実在を自覚しながらも、
これまでは「その概念に自らが望むもの」だけを投影し
追いかけ、求めつづけた。

だからこそ「鏡である同じモナド」も、
それを見つめる全てのものの望みに応えてきた。


もちろんこの「次元共有の大原理」も、
宇宙を理解するために私が勝手に名づけた「定義名」である。


したがってこれまでの我々が、
「次元共有の大原理」をこの宇宙の存在そのものとみなしても、
あるいはこの世界に実在する
あらゆる存在のその内がわに見いだしたとしても、
その全ては間違いではなかったのだ。



すなわちこれは、
「宇宙が神である」
「神は存在しない」
「絶対的な真理は一つしかない」
「真理は千差万別である」
「神はただ一人である」
「全ての存在に神が宿る」
「宇宙を統括する特別な意志が存在する」
「存在の全てが意志を持つ」
「無から世界がはじまった」
「世界に始まりはない」
「世界は無であり、実体はない」
「世界は存在する」
などのいかなる認識も、
その全てが「正しかった」のである。