いかなる自我にもその一人ひとりに
必ず「次元原理」は発現する。
歩むことを止めさえしなければ
明日のあなたは今日のあなたよりも「より確かな存在」へと
変われるはずである。
明日のあなたとは
今を生きるあなたである。
明日や過去という時間はどこにも存在せず
ただ「今」という存在しない長さの世界にのみ
全ては存在する。
「今を生きる」とは
過去と未来をその中に含んでいるのだ。
すなわち「今」の外側に世界は存在しない。
そしてその「今」も
本当はどこにも存在しない。
それは我々一人ひとりが、
ひとつの次元世界としての実在だからである。
人間は存在ではなく
実体しか持たない次元世界の力学である。
つまり次元世界だからこそ
我々の本質は宇宙物理学であり、
その全ては次元原理に従う。
我々は拡大するエネルギーなのだ。
もちろんその歩みは
「共有と共存の上になりたつ個性」の創造が
前提であり、不可欠である。
要は確実に実在できるのか、
あるいは実体をなくして朧げに広がり薄まるのか、
それを確定させるのは我々の力学次第なのだ。
連鎖とは力学であり、
力学は意志である。
あなたの意志にはこの世界の希望が重なる。
すなわち意志こそが希望なのだ。
「共有し共存する個性の創造」は
全人類の命題であるのと同時に
我々ひとり一人が背負う「自由と責任」である。
人間は誰もがその中心に
「新しい世界の起点」となる可能性を持つ。
このために我々が主張する「自由」とは、
常に「次元原理」に基づくものでなければならない。
自由とは
責任である。
「自分だけの自由」は準備期間か、もしくは休息中に過ぎない。
我々が真に掴み取る「自我の解放」は
意志を持って空間の更なる拡大を目指す
宇宙のベクトルである。
これが宇宙の誠の姿、拡大原理である。
我々は「拡大する世界」なのだ。
そしてこの命題を果たすために
自我に用意されたプロセス、
それが「出会い」である。
つまり人間はあらゆるものと「出会う」ために、
それぞれが異なる価値観を覚え
さまざまな個性や相違を創りだした。
もちろんそれは個人の「個性」に限った話ではない。
「文化」や「国家」、「言語」、「民族」、「歴史」などの全てが、
同様に生み出された「個性」である。
したがって「個性」とは
お互いが「出会い」
そしてその内側と外側にお互いが広がるためにこそ
必要なのである。
私達は「出会い」によってはじまりの空間を紡ぎ、
そして「出会い」の先に自らの拡大を求める。
これは空間の拡大である。
けれどもそこに訪れた「出会い」の中で
共有や共存を果たせずに、
「否定」をくり返してきた結末が
人類の悲劇であった。
これは何も「戦争」ばかりを指摘するわけではない。
社会や職場や学校で、あるいは家庭内でも、
我々は数多くの「否定」を
同じようにくり返してきたのではないだろうか。
だからこそ我々は今
理解しなければならない。
「否定」ではなく「共有する、そして共有させる」ということが、
新しい世界の創造には必要だということを。
そしてあらゆる個性も
「共有されるべき集団の異なる視点」である、
ということを。
そこには他者による
自分の新しい視点が生まれる。
もしもあなたが非常に強い「自我の希望」をもつものであれば、
あなたには同時に強い「電磁力」があるだろう。
そこには「引きあう力」と同等の「反発する力」がある。
これも我々が一カ所に留まることなく、
新しい次元世界の創造をつづけるための
不可欠な要素である。
けれどももしもあなたが
この次元原理を理解できないままに
ここから立ち去るのであれば、
それはただの否定の力学にとどまる。
あなたはこの先も永久に
「さまよえる原子」となり、
存在を失う可能性を背負う。
けれどもその反発力さえ
あなたが「肯定する力」を
理解するれば、
それは新たな「旅立ち」となり、
あなたの「融合と創造」には不可欠な加速を
あなたにもたらすことだろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿