これはよく考えていただきたいのだが、
人間の思考回路のほとんどは
あなた自身の「オリジナル」ではなく、
あなたがこれまでに学んでこられた「幾多の目の集積物」である。
それはつねに「第3の目」の蓄積された
歴史的な創作物であり、
先人たち(あるいは隣人たち)の残してきた
貴重な遺産である。
我々はつねに「幾多の目」によって価値観を覚え、
その「考え方」でさえも「学んできた」。
もちろんその「幾多の目」を受け入れ、
許容し、選択するのは自分自身であり
あなた自身でなければならない。
この幾多の目は選択であり、
それは可能性である。
その可能性の中に
あなた個人の視点(個性)も
含まれなければならないのだ。
この「幾多の目」を限定すること、
あるいは決定づけることは
「その先の成長」にたいする「否定」である。
次元原理に「停止」の概念はない。
もしも広がりつづけることができないのなら、
後は縮小に転じるのみである。
つまり人間という次元世界とその社会の間にも
「次元原理」は必要なのだ。
世界と世界の関わりとして。
我々の組織とそこにいる全ての人間も
それぞれがともに「多重次元構造」の上に実在する
概念としての次元世界である。
何かを犠牲にするかぎり
次元世界の実在はかなわず、
我々が本当に次元世界として存在したいのであれば、
我々は他のあらゆる次元概念と共存し
そこに相互に高めあう共有関係を築かなければならない。
そうすることによって必ず
そこにも「次元原理」は介入される。
その重要性を理解するためにも、
そして人間が新しい次元世界を創造しつづけるためにも、
我々はいま「次元理論」を学ばなければならない。
そして少なくとも我々は誰もがその内がわに
「次元共有の大原理」を擁する存在である。
人間は誰もがその中心に
「創造するための力」を宿している。
それは「あなた」の内側にあり、
この世界から与えられたものであり、
そして全ての世界が時間をかけて創り上げた希望である。
あなたの内側は
この世界の外側にある。
あなたと外側の世界に境界線はなく、
そこに枠をあてて考えるのは
あなた個人だけである。
つまりあなたが内側に求めるものは
あなたの外側にあり、外側にあるものは
あなたの内側にも存在する。
したがってそこには「あなた」の求める本当の喜びがあり、
「あなた」自身の願いがあり、
その奇跡を我々は誰かから受け継ぎながら
誰かに引き渡す義務を持つ。
この「世界」はつねに「あなた」を広げ、
そして「あなた」自身も同時に
この「世界」を広げる。
人間がいう「誰か」とは、
つねに「あなた」である。
共有と共存の中で「あなた」は創り出されたのだ。
「あなた」も共有と共存とを創らなければならない。
個性とは自由と義務であり、
あなたとは自由と責任である。
つまり自由は軽いものではない。
それは創造であり、
共有と共存なのだ。
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