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2020年10月14日水曜日

(連載17)17-5自由と責任

 

 

 

無の本当の姿は

「拡大する力学の連鎖」である。


 

この世界には無しか存在しなかった。


 

つまりあらゆる概念世界は

この無の内側にある。


 

これが宇宙の事実である。

 

 



次元世界に共通の力学法則があるのも

次元世界がこの連鎖した無の概念世界だからである。

 

 

こうして無の統一力学「次元原理」は、

全ての次元世界に共通の目的を与える。

 

 

もちろん「拡大する力学の連鎖」がその原理の本質である為に

そこに生まれる命題も

「概念世界の拡大」と「新世界の創造」という

無の力学と変わりはない。

 

 

そして世界の持つ多様性こそが

その世界の広がりの、

すなわち拡大した次元世界の空間の一部なのだ。

 

 

 

 

さて第8次元「自我世界」も、

他の次元世界と同様にこの目的によって存在し、

この目的の為に存在する。

 

 

したがって「個性を認めない」という体制では、

そのままで次元世界としての人間の存在自体の浪費であり

これは世界の損失である。

 


 

豊かな個性が共有し共存する環境をもつこと、

これこそが我々自我世界が恒久的に発展し、

宇宙に広がるための唯一の方法である。

 


 

我々は異質なものを排除してはならない。

 


 

自分と異なる異質なものは

自分の中にその世界を広げる為に、

あるいはその異質の中に自分の世界を拡大する為に

双方にとって必要不可欠な空間なのである。

 


 

果たして今我々のいるこの場所では、

自我に対して十分に「共存し共有する個性の創造」という条件を、

あたえられているだろうか。

 


 

むろん世界中でもその原理を「自由」と呼び、

その重要性は誰もが認識するところだろう。


 

 

けれどもそれが

人類の命題ともなるテーマであることを、

我々は本当に理解して認識しているだろうか。

 

 



これは人間の権利ではなく義務である。

 



 

自我の発達した人々が追い求めた「自由」とは、

「共有し共存する個性の創造」が果たせる場所の「よび名」である。

 

 


それは決して「何をしても、あるいは何をしなくても許される自由」

ではないのだ。

 


 

我々は「自由」の本当の意味を理解して

その義務を果たさなければならない。

 


 

「自由」とは「責任を負う」ことである。

 

 

 

私もこれまでに一人の学生や労働者として、

組織や周りの人間に削られる個性がいかに多いかを

身をもって体験してきた。

 


 

もちろん人間は

組織や環境にあわせて成長するべきものであり、

個性もまたその共有と共存とを

前提としなければならない。

 

 

それが個性の役割であり、

目的であり、目標である。

 

 

けれども個性もまた共有され、

共存されなければならない。

 

 

あなたは今、周りの環境や組織から

その権利と義務を保証され、

そして誰かに対して

自由と責任とをしっかりと与えられているだろうか。

 

 

 

つまり良い組織とは、

常に人間を学ばせて成長させる過程を擁し、

そうでない組織はほとんどの場合

「一方的な指示系統」しか

持ちあわせていない。

 

 

けれども本当に良い組織とは、

人間にあわせて成長を絶えずつづける組織であり、

同時に人間の存在を高める組織である。

 

 

双方が停滞してはならないのだ。

 

 

そして個性も、それは環境や感受性のちがいであり、

それは我々が持ちえない「第3の目」でなければならない。

 

 

 

 

 

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