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2020年10月7日水曜日

(連載17)17-4個性は複数の元素

 

 

 

次元世界と他の次元世界が出会うとき

そこに「共有と共存」が成りたてば、

それは「相互の次元世界の共有」であり

これによってそれぞれの次元世界は

新たな拡大の要因を手に入れる。

 

 


その後それぞれの次元世界は、

さらなる可能性と多様性とを

お互いに与え合うことが出来るだろう。


 

 

次元世界をささえるものは

その確かな「広がり」と「結びつきの強さ」であり、

それは「多様性」とも置き換えられるものである。

 


 

多様性の共有と融合とは、

新たな創造の事である。



これが「存在する」ということなのだ

 


 

このように「多様性」は

全てのベクトル方向への原動力であり、

新たな創造的次元世界の起点である。

 

 


そして自我世界における「多様性」も

それは人間の引き起こす重力の中心にあり、

これが「個性」である。

 

 

 

したがって「個性」とは

単に他人と自分との違いというだけではなく、

人間という次元世界における

最も重要なファクターである。

 

 


つまり個性の創造は

自我世界の広がりと可能性

そのものなのだ。

 

 

 

すなわち個性こそ人間であり、

人間とはまた個性である。

 

 

 

 

我々は確かに「お互いの個性を尊重すること」や、

「みんなは一人のために、一人はみんなのために」という

理念の尊さを教育されてきた。

 

 

けれどもなぜ、それは何のために必要だったのか、

その「解式」がここに示されたのである。

 

 

 

数の力が総合力となるのも

実際には多様性による世界の広がりがその真意であり、

個性を均一化することによる統合は

人間の利点を殺すことに等しい。

 

 

 

個性を尊重することや

他人の意見に耳を傾けること

自分の意志を持ち続けることなどは、

人間の権利というだけではなく

「人類の目的と手段」として、

我々が学ばなければならない人間本来の姿である。

 

 

 

 

もちろん人に喜んでもらいたいとか、

困っているときはお互いさま、

同情や興味や、空気を読んで、などの

これまで通りの一般的な解釈でも

問題はなかったのかもしれない。

 

 

現にこれまではそれらの「善意や道徳」だけが、

自我世界をささえてきた。

 

 

しかし「自分がされて嫌なことは他人にもするな」では

「やられたらやり返せ」を教えていることと

変わりはないのである。

 

 

拡大の為に存在する個性が

共有や共存の上に初めて認められることを

我々は忘れてはならない。

それは責任と同一の自由である。

 

 

我々は現実の世界を構築する、

世界の本当の原理を理解しなければならない。

 

 

 

 

次元理論は現実世界を

より深く理解するための科学である。

 

 

「根本的理解を得ること」

それこそが次元理論の真髄にあり、

世界の成り立ちから

つまり現実の自然世界をその模範として

自然の一部としての人間の在り方を学ぶ、

一元化された「学問の真の姿」である。

 

 

この統合された認識は

更なる人類の細分化と拡大に寄与する。

 

 

 

自我世界の次元世界としての命題「個性の創造」は、

最初に示した次元原理「共有と共存」と重なり、

次なる次元世界の創造を促す。

 

 

つまり自我世界における同化や融合は

「共有と共存」から始まるものであり、

「個性」とは融合するために必要な元素である。



 その元素が、エネルギーとしての重力を持つのだ。



個性はエネルギーである。

 

 

我々はそのベクトルが人間であることを

宇宙を通じて学ばなければならない。

 



 

 無論人間も根源的に宇宙にその解答を求め、

宇宙の真理も人間に

その真実を反射する。

 

 



結論としては、

「共有し共存する個性の創造」

これこそが第8次元「自我世界」のあるべき姿であり、

それは全ての次元世界に共通する世界の目的である。

 

 

 

 

 

 

 

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