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2020年9月29日火曜日

(連載17)17-3個性は宇宙で多様性

 

 

 

 

第8次元世界(自我の成形される次元世界)では

おなじ遺伝子からでも異なる人格が生まれるように、

自我世界として「人間が個性をもつこと」は必然である。

 

 

歪みや振幅、差異などの、それぞれがもつ僅かな違いは

世界が拡大する為の変化であり、

これは宇宙が点や線として存在した当初からある力学的構造である。

 

 

自我世界にとっての個性も

それは個人ではなく全ての人間がもつ新しい視点、切口であり、

正に種としての人類の拡大はそこから生まれる。

 

 

このように自我世界の空間を広げ、

新しい次元世界を創りだす人間の原動力は「個性」なのだ。

 

 

 

人間が個性をもつこと、

それは次元世界として統括された世界における

拡大に至る構造であり、

人間の可能性そのものである。

 

 

 

このことからも言えるのは

人間に必要なのはこれまで人類が蓄えた

知識や経験を共有することと(これは先人たちの個性を受け入れることである)

新しい価値観を規制してはならない、という

自由とその責任を持つことである。

 

 

 

 

近年、生物の多様性をまもる活動が注目されている。

 

 

生態系をまもることの重要性は、

現代人にとってはもはや常識だろう。

 

 

「次元理論」がなくとも、自然界の多様性が

人間を含めたこの世界を守り育てるという認識は

周知の事実である。

 

 

生物の多様性を育てることは、

そのままで「この宇宙」を守る事と同じくらい

重要な原理の順守である。

 

 

それを我々は理解しなければならない。

 

 

これもおそらく、ここまで私につきあっていただけた

読者の皆さまであれば、十分に分かって頂けると思う。

 

 

世界がひとつの多様性を失うことは、

自我世界が欠けることとも等しく、

それはその先につながる可能性の欠如、

すなわち一つの宇宙の滅亡である。

 

 

もちろんこれまでも数多くの宇宙が消滅してきた。

だが新たに生まれる宇宙の展望の先に

我々の未来はどこかで必ず重なるはずなのだ。

 

 

宇宙や自然、生物たちのもつ「多様性」、

これこそが現実に存在する「実在する次元原理」であり、

自我世界の故郷である。

 

 

我々もその多様性なのだ。

 

 

  

2020年9月23日水曜日

(連載17)17-2個性は物理学の中心で




点に中心はない。


物理学的に
「点が存在する」
と定義された空間でも、
点は面積や体積を持たない為に
点は「存在するもの」の概念を持てないのだ。


そして点と点とを繋いだ線にしても
厳密には固定値としての存在はなく、
これは点と線で形付けられた面積や
体積の概念においても同様である。


現実世界と数学では
ここに大きな相違がある。


世界が「存在しない無」として存在する以上、
全ての存在する概念が「存在しない無」と等価で
同じものとして存在するのは明白の事実なのだ。



ここに空間は無と等価であり
「揺らぎを持つ」という事実が先行する。



次元理論においては、
最初に4次元「時空」(物質概念のない世界)より
原子(5次元世界の起点空間)を切りだしたのは
空間のゆらぎ「時間波」である。



そしてここに創り出された物質は、
今度は自身の重力によって次なる原子の誕生を加速し、
物質世界全体の広がりは支えられていく。



これが「空間の重なりが物質」だという、
新しい宇宙理論である。



しかしこの章での問題は
「なぜ時間波という空間の波が空間の重なりを生むのか」
という疑問である。





4次元時空における時間波は
おそらく宇宙で一番ちいさく、
正確な「波形」である。


しかしその「波形」によって
空間に重なりが生じるということは、
この時間波の「波形」の全ては
「完璧に同じものではない」
という事実を示している。


空間に「ゆらぎ」を生みだす以上、
時間波とは文字どおり空間の「波」である。


そこで空間には波紋としての「空間密度の変化」が広がる。


それが次元理論でとらえた「流れる時間」であり、
「永遠に連続する空間」の無の概念である。



流れる時間という「空間のゆらぎ」と
「連鎖する空間」が引き起こした「時間軸に対する存在のぶれ」。


これはいかに正確な時間波といえども、
全ての空間を完璧に均等間隔で区切ることは
不可能ということを示している。




実際問題として「波形」には、
「波の頂点」と「谷底となる部分」が必要である。


けれどもこの「それぞれの一点」は、
じつはこの世界の「どこにも存在しない一点」なのだ。


これはたとえば「物差し」を手もとに置き、
ある「一点」を探すことにする。


この一点を物差しのある目盛り()とし
そこを電子顕微鏡で拡大してみると、
そこにも完全にここが「点」だと断定できる部分が
果たしてあるだろうか。


これは最終的には、原子の地平線に舞いおりて
足もとにあるさらなる一点を探しつづけるという、
いわば終わりなき作業である。


そしてそのことが1次元概念における「点」が
「無」である所以でもあった。


この「存在しない点」を
記号として「存在させてしまう」のが数学であり、
これまでの科学的思考の限界である。


つまりたとえ時間波という「正確無比な波」が
世界を均等に分割しようとしても、
どこかの地点で時間波は必ず
「概算」として働く以外に方法はないのだ。


そのために時空世界における
数千、数万㎞という空間距離では
その誤差はほとんど現れないかもしれない。

けれども無限大につづく空間宇宙では、
時間波はいつしか存在しないはずの空間を分割してしまう。


「同じ時間波」が「同じ空間」を区切ったはずなのに、
そこに創りだされた「異なる空間」の出現。

あるいは「存在しない時間」。

そこに「空間のゆがみ」として
「空間の重なり」が生じた結果、
時間波は新しい弾き出された次元世界の概念「最初の原子」を誕生させる。



もしも全ての「時間波」が完璧に同じだったのならば、
我々の宇宙もまた
現実には存在できなかったはずである。



ということは当然、時間波によって生みだされた
次なる次元世界の起点「原子」においても、
我々には認識できないほどの「わずかな違い」は生じる。


「原子」というひとつの5次元世界に閉じこめられた
「時間波の生みだす原子振動(ゆらぎ)」が、
完璧に一致するものではないという現実が
ここでの証明である。


つまり新しい世界を創造するのは最初から
「同じもの持つわずかな違い」のみである。



こうして異質で他の「同じもの」とは異なる
「ゆがみ」から新しい世界は創世される。



それは「点が存在しない」ことから始まる。



生命世界、精神世界と次元世界が昇華するにつれて、
この「次元世界の起点」のもつ「わずかな相違」は
より顕著である。


存在しない同じもの。
存在出来ない同じもの。


そして4次元時空においては
時間波のもつ「わずかな相違」が
新しい5次元宇宙を創造したように、
各次元世界の起点がもつ「わずかな相違」、
これこそが命の石であり、進化の秘宝であり、
自我世界の創造までをも成しとげた
「新世界誕生の要因」である。



そして第8次元「自我世界」においては
「次元世界の起点の持つわずかな相違」、
これこそが全ての我々がもつ「個性」なのだ。





2020年9月16日水曜日

(連載17)17-1多様性と個性







17章 我々は何処に向かうのか(3)


  多様性と個性






次元理論で求める「人類の解」には
「共有と共存」を上げることができた。


世界が
「ひとつから始まる同じもの」として
同じベクトルである以上、
この宇宙に「異なるもの」は存在しない。


「無の連鎖」は変わらずひとつである。


この為に次元世界を越えて存在する
あらゆる概念も等価原理として、
物理学的には統合される。



世界はこのひとつの世界原理によって
共有されているのだ。



その世界原理の力学が
我々人間の解答である。




概念の異なる同じものが
存在の本質である。



それは実体でありモナドである。



生命はもとより
時間や空間、物質までのあらゆる存在が
我々と同じ「求める力学」であり、
それらは同じベクトルである。



この力学は無の連鎖をその中心とし、
拡大へと向かう同じ世界の欲求である。



世界はあなたを求め
あなたもこの世界を求める。



あなたが求める為に世界は存在し、
世界の求める力学があなたである。



それは融合によって
あなたと宇宙の双方が
その内外へと拡大する力学である。



あなたの中に世界があるのも、
世界の中にあなたがあるのも、
それは世界があなたであり
あなたが同じ世界であるための
ひとつのモナドの同じ現象である。



従って我々の間に窓はなく、
あなたが外側と思って見つめるのは同じあなたであり
あなたとは世界の内側にある同じ外側の世界である。



この為に全ての同じ存在は
ただ「異なる可能性」のみを模索して
新たな多様性を紡ぎ出していく。



この多様性の広がりが
世界拡大のひとつの方向なのである。





これによって我々人間の命題も
「共有と共存」以外に
もう一つあることが解るだろう。



前章では「植物の多様性」そのものが
植物の次元世界を広げるという例をしめした。




そして「次元世界における多様性」、
これが人類の二つめのキーワードである。



この「多様性の創造」を理解するためには、
もう一度第5次元「物質世界」における
「時間波による物質の誕生」まで遡り、
その仕組みを理解する必要があるだろう。



「多様性」の真意は、
原始宇宙から現実世界の拡大に寄与する
新世界創造の鍵なのだ。




2020年9月8日火曜日

(連載16)16-6宇宙にある意志




 
次元理論における「植物」は、
第6次元生命世界に属している。


植物には「脳」、つまり精神構造はない。


けれども植物たちは現在、多種多様な生態として
物質世界や生命世界、さらには精神世界、
そして我々人間の自我世界とも深くつながりを保つ。


彼らは虫や鳥、風、獣、ついには我々人間をも
その多様性によって包括した世界である。


彼らは世界の物質環境を生命世界へと変化させる。
したがって精神世界も
彼らの産物として捉えられるのかもしれない。


けれどもこの発展の中心には
「遺伝子」の存在が不可欠である。


この「遺伝子」は数学的にある可能性から
「生きのこる確率の一番高いもの」のみが
選択されてきたように解釈されている。


さらに「遺伝子自体は意志をもたない」
これも事実である。


けれども遺伝子には
概念的な「生きていたい、広がりたい」という
「唯ひとつの願い」がこめられているのも事実であり、
つまり遺伝子をもつこと自体が
生命世界の「意志」である。


この宇宙も生命世界も同じように
誕生した時点から
その目的のために存在する力学を持つ。


物質世界は存在ではなく
力学なのだ。
そしてこの力学が
世界世界の意志である。


つまり精神世界が意志をもつのではなく、
宇宙の意志の具現化として遺伝子は生まれ、
生命世界は発展したのである。


そのために彼らは、
同じ世界の同種やほかの次元世界とも共存でき、
「ひとつになりたい」「もっと生きたい」という
概念的なその意志を発現する。



遺伝子が変化すること、そして遺伝子を変化させること、
それも命の前提であり、これは彼らの「意志」なのだ。



つまり生物たちは遺伝子を複製する場合にも、
全くおなじ遺伝子は創造しない「能力」を持つ。
環境に合わせて周りの有機物を取り込みながら
それを自らの中にも拡大し、
周りの環境の中にも自らを拡大する、
それが遺伝子の力学である。



そして彼らの宿した「概念的な意志」は、
我々がたった今知りえたばかりの
「自我の本質」や「究極の自我」とも
全く同質である。




つまりあらゆる次元世界にやどる概念的な意志の力は、
自我世界の持つ「あなた」の根本的な願いとも
全く同じである。


同じ世界の同じ概念であるからこそ、
それは当然の出来事なのだ。
我々はその事実に気づかなければならない。


力学は意志と等しい。
我々の意志も世界の物理的力学と同質である。



したがって「究極の自我」によって
「自我が世界を求める」というだけではなかったのだ。


自我世界も
あらゆる次元世界から同様に「求められている」。


さらに視点を変えてみれば、
自我世界も次元世界の一部分であり、
「我々」は世界における異質な概念ではない。



この世界は、あなたと同じものである。



あらゆる次元世界におけるあらゆる存在は
「存在するために、融合するために」
その全てが成長をつづける。


そしてそのことだけが次元世界を広げ、
新しい世界を育むことにもつながる。

世界は拡大することが前提であり、
拡大への欲求そのものなのだ。



このように我々の自我世界も
全ての次元世界の延長線上に実在し、
だからこそ自我世界は
「彼ら」から「あらゆる全て」を
学ぶことができる。



自我世界にある「ひとつになりたい」という統合された「意志」。
命と命とが求めあう生命世界の「本能」。
そして物質世界のもつ「重力」。



この「重力」という言葉に集約される「融合するための力」が、
全ての次元世界の
あらゆる存在にとってのキーワードである。



我々人間は全てを別々に捉えてはならない。



そして人類とその自我世界における融合は、
「共有し共存すること」である。



私がここまであつかってきた「次元共有の大原理」は、
正に我々人間にとっての大原理だったのだ。



我々は「融合」するために最も適した
「ひとつになりたい」という「究極の自我」をもつ。


人類にとっての命題、
あるいは我々がむかう先にあるものは
常に「共有と共存」から生まれる新しい世界である。



それ以外に人間に道はない。



では我々は、
何と共存し、何を共有するべきなのか。

それは「世界」である。

世界とは宇宙であり、
地球であり、
自然であり、
生き物であり、
同じ人間である。


人間は、宇宙、地球、自然、そして人間とも
共有し共存する「次元世界」なのだ。




次元理論はシンプルであり
それゆえに我々がもつ無数の価値観と
ほとんどの思想を同時にささえる。


人間が存在することは常に「正しいこと」であり、
我々は人間の存在を悪へと変えてはならない。
自我に善悪はない。

その存在は常に正しい。

この世界は
「広がること、つながること」のみを望む。


我々は自らのつながる世界として、
より正しい世界を準備できるか否かという問題と
常に向きあう。



善や悪はそこに生まれるものであり
無論悪とは否定することであり
「共有や共存ではないもの」である。

そのためにも我々は
第8次元世界として「次元原理」を学び、
「自我世界」を広げつづけなければならない。




自我という次元世界にとって最も大切なことは、
何かを想うこと、誰かを想うことである。
誰かに思われること、
あるいは何かに想われることも同様であり、
これは「共有」である。


自我が次元世界である限り、
この結びつきの中にのみ
「我々人間」は存在する。


そしてその共有が「融合」へと変化した時、
それは新しい世界の「創造」である。


これに勝る存在意義など、
この世界の何処にも存在しない。
我々は太陽の中心に集まり、
そこから広がる新たな世界である。