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2020年5月12日火曜日

(連載13)13-6「無」からの問いかけ




「無」は果てしなく無限大につづき、
そして永久に「無」であり続ける。


「この世界には何も存在しなかった」


これが世界の持つ唯一の事実であり、
無と同じものとして世界が存在する
等価原理である。


けれども「無」はつねに「存在」であり、
それは全ての概念と共有しなければ
実在することが出来ない。


だからこそ「無」は
世界から認識されてはじめて存在する。


つまり世界とは
「自我世界」と共有しはじめて存在できる概念なのだ。



「無」は存在しないのではない。
「無」は存在であることを求めている。
この求める物理学がベクトルであり「存在するもの」である。


従って「無」の本質と
「存在するもの」の本質は
同じ力学である。


無は「無として存在する」ことを、
この世界から理解されなければならない。
そしてそれを成せるのは「自我世界」という、
やはり我々人間でしかないのだ。


人間が世界を知ること。


それは、この世界
「自ら」の願いであり、
存在する理由である。


「自我世界」は
「世界を理解する者」とならなければいけなかったのだ。
それは同時に人間が「世界から理解される事」である。


それによって自我世界は、
さらに広がりつづけるための確信を
手に入れるだろう。


この世界と同じものとして、
全てをひとつの同じものとして。


そしてそれは、
あらゆる次元世界が確信をもって存在することに
つながる。


我々人間は
この世界に存在する全てのものの「願い」であり、
同時にその集合体である。




「あなた」のもつ本当の願い。
あらゆる「次元世界」がもつ共通の願い。
宇宙や太陽、大地、生命に宿った同じ願い。
「無」が創り出した根本的な願い。
それらは常に同じである。



自我世界が「実在する無の概念」であるということは、
「あなた」の存在が
「完全無」にも実在するということである。


あなたは無なのだ。


今ある「全て」の存在は
「あなた」自身の同じ願いである。



ではもう一度あなたに問う。


我々はなぜ、今ここに生きているのだろうか。






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