「存在は力学である」ということを
私は科学の真理として理解する。
それは同時に世界の本質が「無」であることを理解し、
「無」は存在ではなく「力学」であることを知ることである。
それによって現実に、
空間や時間にも
物質との間の等価性を見つけることが出来るのだ。
更には物質と命、
命と精神世界の同一性も
同じ等価原理によって理解することが出来る。
つまり我々が存在だと考える全てのものは「実体」であり、
この実体は存在ではなく力学そのものである。
この一つの力学が
全ての事象を統合する理解、
これが大統一理論である。
私はここまで順をおって
この力学による世界の統合を示してきた。
そしてこの章では
この力学による統合として自我世界の空間を考察している。
つまり自我(思考するあなた)は
存在ではなく力学である。
これは自我世界もその本質が「実体」であり、
「無」であることを意味する。
哲学や宗教として無を理解するのではなく、
無は科学として理解されなければならない。
「無」は人間が感情を捧げるものではなく
正しい力学の変化として理解するものなのだ。
その理解の後に哲学は持てばよい。
つまり「次元世界の起点」としての自我世界は「無」である。
理性と本能の間に存在する「無」、
あるいは知性と感情の間の「無」、
経験と希望の間に存在する「無」、
他人と自分、大宇宙と内なる宇宙との間の「無」、
その全ての力学を宿した実体が自我である。
これらの概念は全て同じ「無」であり、
「次元世界」であり、
ひとつの同じ世界である。
つまり一人の人間の一つの自我世界は
次元世界として存在する「ひとつの宇宙」である。
それは命や物質と同じく、
消えたり現れたりをくり返しながら、
全体としてはひとつの「宇宙」を構築する。
全てであり、完全な個であり、
「同じもの」、そして「ひとつ」、
その本質は存在する力学なのだ。
故に我々の自我は
他のあらゆる次元世界と同様に
「次元共有の大原理」によって生みだされた
「実在する無の概念」である。
このように次元理論による結論のひとつとして、
我々人間の「自我世界」も
他のあらゆる次元世界と同じ「共通の力学」である。
動物、植物、地球、宇宙、時間、空間、そして無。
我々の自我世界は、
これら全ての概念をその内がわへと包みこみ
それを共有する宇宙である。
そして自我世界が「広がる」ということは、
認識して共有すること、
すなわち「理解する」ことから始まる。
したがって「思考する本能」である自我は、
それ自体で第8次元世界以前の全ての概念を
「理解することのできる」唯一の存在なのである。
だからこそ冒頭でものべたように、
我々人間に理解できない現象は
この世界には何一つとして存在しない。
そして自我世界による「創造」も
「理解すること」がその始まりである。
そこから共有や融合は生まれる。
ゆえに自我世界は、
「次元世界」を理解することによってのみ
無限大に広がる「次元世界」である。
そして我々が「理解するための」次元世界であれば、
自我世界にとってのキーワードは
「出会い」ということになるのだろう。
しかしその考察は後の章へとゆずり、
ここではまだ自我世界の探究を急ぐことにする。