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2020年3月17日火曜日

(連載12)12-5存在は実体であり、実体は存在ではない





時間、空間、物質、生命、遺伝子、感情、
あらゆる「次元世界の起点」は
「変化する」ために実在する。

「とどまること」は実像であり、
それは「存在しない世界」にとっての現実ではない。
ベクトルにのって常に変化し、
存在しない実体であり続けることが
現実の世界の姿なのだ。


そして「確かにあるのにどこにもない」という
「無の概念」を保つことだけが、
無限大の変化に対応する唯一の手段である。


大と小は関係なく
全と個が同じものとして、
ただ繋がりを持ちながら
力学として実在する、
それが世界の全てである。



そこに創りだされるのは、
たとえば命の育むさらなる「可能性」であり、
あるいはその「多様性」が生む「更なる多様性」と
相互の「相乗効果」である。

時間が増すのと同じように
空間が広がるのと同じように、
拡大するあらゆる世界。


したがってその全ての現実が同じ「次元原理」であり、
生命世界ではこの次元原理が「生命原理」として発現する。



命をやどす全ての生き物たちが
精神世界を宿すのではなく、
生命世界という神秘の次元世界とは異なる領域で
精神世界は実在する。

したがって「精神世界」の構成要素は
「点×線×面×空間×時間×物質×生命」の7つであり、
これは第7次元世界に該当する。



つまり「精神世界」が実在するためには、
空間や時間、物質や命という概念は必ず必要であり、
逆に精神世界が実在するということは、
空間や時間、物質や命の概念が
必ずそこに「含まれる」ということなのだ。

すなわち「精神」とは、
それだけで「命」であり、
「物質」であり、
「時間」であり、
あるいは「空間」である。


つまり精神世界は「ひとつの宇宙」である。


「生命」が「精神世界」をもつという見方、
あるいは「精神世界」は「命」の概念に
ささえられるという視点。


第6次元世界も第7次元世界も
ともに実在する世界である以上、
そのとらえ方はどちらでも構わない。


けれども精神世界をもつ全ての生き物たちは、
その内がわに「命」という現実世界と
「精神」という現実世界の両方を
合わせもつ存在である。



このように精神世界は、
「次元世界」としては生命世界とは異なる領域で、
けれども生命世界と同時に
同じ「場所」に実在する概念世界である。


そしてそれを現実的に可能とさせる
生物の器官が「大脳」である。


けれどもより単純であった5次元世界の
「原子の発生原理」などとくらべると、
第7次元精神世界の発現にはより複雑化した理論が必要であり、
細部にわたるそのメカニズムの解明には
さらに多くの知識が要求されるだろう。


私にはこの大脳自体が、
0次元から第7次元世界までの全ての世界を共有する
「宇宙」であるとしか、結論づけることはできない。


あるいは重なってしまった小脳が大脳なのか、
やがて大脳の重なりが自我を生むのか、
自我の領域は脳を基盤とした新たな空間にあり、
その新しい空間が「私」とよばれるのか。

だとすれば私はどこからこの世界を見つめるのか、
それらの事象への興味は尽きないが
その考察は一先ずあとの章へと譲ることにする。



ここで大切なことは、
次元理論はそれらの出現原理の解明のためにも
最も不可欠で重要な知識なのだ。
その鍵はおそらく物理学、
それも原子の誕生の理解から始まる。




そしていかなる場合でも、
ひとつの次元世界の存在は必ず
次なる次元世界の創造へとつながる。


これも次元世界である以上、
全ての次元世界が共通してもつ「次元原理」である。
さらには「次元共有の大原理」の創りだす
「次元世界の目的」なのだ。





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