「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2019年6月26日水曜日
(連載6)6-6プラスとマイナス
現代科学で物質の始まりをとりあつかう場合には、
「存在する」という「プラスの概念」を取りだすための
「マイナス」概念、
つまり反物質の創生を必要とする。
これは「何もない(0)」から「ある(+)」が生まれる為には、
「ない」の向こう側に同じマイナスの領域が必要だという
数学的哲学である。
その上で次元理論は
「マイナス」の概念は存在しないという結論を出した。
(現在、存在するとされている反物質は、
たとえ対消滅を起こさなくても
外部からのエネルギー供給をやめた途端、
勝手に消滅していまう人工物である)
なぜなら次元理論では、
次元世界をひろげるための創造は
「0の拡大」という方法をとるからである。
たしかに次元世界の概念も「数列」として理解すれば
わかりやくなるのは事実だろう。
私もここまでに1次元世界は数列世界であると明記してきた。
それはこの方が「とらえやすい」からであり、
つまりわかりやすくするための「工夫」である。
1次元世界を数列世界ととらえることによって、
以降のあらゆる次元世界でも数列は活用できるものとなり
「数列世界である方」が人間にとっては都合がよかったのだ。
これが「数学や物理学の原点」である。
けれどもこの場合の「数列」や「点」、「線」という概念は、
人間が発明した道具にすぎず、
この宇宙に数列世界が存在するわけではない。
実在する1次元世界にも「0となる起点」は存在するが、
これは「数列における0」ではなく
正しくは「点」それ自体であり、全ての点が0である。
「0という点」あるいは「点という0」
これこそが1次元世界の、
あるいはこの宇宙のすべてなのだ。
したがって「0という点」が連鎖するために
この世界は無限大に拡大する。
これが
「無が永遠に広がる状態(宇宙)」である。
そして「0という点」が構成する世界であるからこそ
1次元宇宙は無限大の長さをもち、
空間世界、時間世界、物質世界と、
あらゆる次元世界は無限大へと向かうのである。
これが存在が存在ではなく、
連鎖するベクトルとなる
等価原理(全てのものが永遠の無)である。
そしてこの「0という点」を確定させる唯一の存在が
「存在する無」というあらゆる存在にとっての「0」である。
全ての概念が0となることによって
無限大の0が生まれるのだ。
我々が勝手な解釈で世界に「1という点」をおいたとしても
「マイナス1」という値は、
認識上での概念として出現するだけである。
「マイナス1個のリンゴ」のように
「マイナス」の世界は存在せず、
概念世界としても実在するものではない。
したがって知識を探究する我々は、
数列や時間、そして空間、さらには物質世界、
これらの存在にたいする理解を
まずは正しくもつことが重要である。
つまり我々は
数字や数式によって理解することも大切であるが、
それ以上に数字や数式を理解することが必要なのである。
線や点、あらゆる単位、
それらは単に先人たちが作り出してきた
便利な「しるし」にすぎず、
それが知識のはじまりとなる訳ではない。
その後「数式」によってたとえ大発見がなされたとしても、
それは「しるし」を前提にした場合の捉え方にすぎず、
虚数世界やマイナス世界が現実に存在するわけではない。
けれども現実に「完全無」が実在すれば、
「無限大に広がる世界」は同時に創造される。
そして我々の宇宙「5次元世界」の場合には、
宇宙物理学があつかえる正しい数列は
「4次元時空」である。
この「時空」という数列は、
「5次元宇宙」のどこに起点をおくかによって
「どこまでも無限大に広がるもの」であるし、
「かぎりなく0へとつづくもの」でもある。
逆に「4次元時空」を5次元世界の起点としてとらえれば、
我々の「5次元宇宙」の方こそが
無限に歪曲した世界であり、
それはそのどちらにしても相対的に考えることしか
できない問題である。
無限大にひろがる「時空」が実在すれば
「物質世界」もまた無限大なのだ。
その結果我々の「5次元宇宙」は物質であふれ、
この宇宙は「5次元世界の空間」で満たされたのである。
これは膨張か定常か、の問題ではない。
我々の宇宙は永久の成長過程にある。
以上のように、我々の「宇宙は拡大している」。
次元理論が明かす我々の宇宙「5次元世界の空間」は、
「重力によって異なる空間密度が存在し、弾力をもつ容積そのもの」
なのだ。
2019年6月18日火曜日
(連載6)6-5宇宙は存在ではなくベクトルである
時間によって4次元時空から切りだされ、
核融合反応によって「空間穴」からも開放された「5次元世界の空間」は、
今度は我々の宇宙の「広がり」そのものを支える。
この「広がり」が「太陽風」である。
したがって我々の「5次元世界」には、
「完全なる真空」や「絶対0度の空間」はどこにもない。
(これは空間密度が0の状態、
すなわち4次元時空の持つ空間概念である)
我々の5次元時空の空間には、
少なからず物質と同じ概念、
「存在する」という固有の範囲がある。
これは「大きさ」として表すことができる
形や距離の概念である。
このように4次元時空では「点×線×面×空間」が
その構成要素であることに対し、
「時空×物質(大きさ)」で構築される新たな次元世界の発現が
我々の「5次元物質世界」である。
「点×線×面×空間×積(容積・体積)」
そして物理学者のなかには、
すでに「5次元世界」の実在を主張する人々もいる。
(彼らもまだ現実世界を4次元世界として認識しているが、
4次元世界が実在するためには5次元世界が必要だとする、
より正しい解釈を持つ。
ただこれは「世界の多重次元構造」を理解できない限り、
先立つ概念の特定が難解な問題である。)
今、次元理論によって明かされた
「空間波が空間から原子を創る」という現実の物理学。
それによってわかる事は、
ブラックホールの対の存在として期待される
ホワイトホール(存在するといわれるが未確認)とは、
じつは太陽などの無数の恒星群であるということである。
これまでの物理学では、
我々の宇宙は「4次元世界」とされ、
質量やエネルギーは増加しないということがその原則とされてきた。
だが次元理論の観点からすれば、
その前提も大きく異なる。
「5次元物質世界」も次元世界である以上、
無限大のひろさと時間を持つこと、
さらに無限大へと広がる世界であることは必然である。
これは原子が「存在する無」である以上、
その次元世界の起点が無限大の連鎖として
質量と無限大の空間の「物質世界」を
生み出しつづけることは当然の力学なのだ。
我々の宇宙では「質量と空間は増大する」。
無がベクトルであり
無限大の連鎖としてその概念を重ねる以上、
等価として存在する我々の宇宙も拡大する。
もちろん「質量保存の法則」や「エネルギー保存法則」などの
すでに知られた原理や法則も、
限定的にはまちがいのない事実である。
著者はそのことは否定しない。
けれどもそれらの原理や法則は、
物質世界である5次元世界の限定的な瞬間
(存在しない今)における考え方であって、
宇宙そのものである
「次元共有の大原理」にたいしても適応するものではない。
「時間の存在しない物理学」の方が
宇宙では特殊な捉え方なのだ。
無が拡大するベクトルである以上、
我々の宇宙のベクトルも拡大を続ける。
「次元共有の大原理」は逆に、
「5次元世界における全ての原理や法則を生みだす大原理」であり、
それは5次元世界の限定的な法則(人間が作成した考え方)から
創りだされたものではない。
そもそも質量保存の法則を第一に「信じる」のであれば、
ビックバン理論など最初から信じてはいけないだろう。
次元理論では最初に
「無が存在する事を理解して頂きたい」とお願いした。
けれどもそれ以外に宇宙には
理解するべき事など何一つないのだ。
全ては順を追って探求すれば、
誰もが理解できる現実である。
そして無という
ただひとつの現実から世界が始まるということは、
世界はひとつの力学に統合されるということである。
現在も物質と空間は
この宇宙のいたるところ拡大を続けている。
だからこそ次元理論(無は無限大に広がる完全無であるという理論)は
「宇宙統一理論」ともなりうるのである。
2019年6月12日水曜日
(連載6)6-4重力と引力
「重力が空間をまげる」という現象は
「空間穴が空間を引きつける力」である。
この原子自体が空間の重なりであり
その結果生じる、空間概念の欠落した「空間の歪み」。
元々原子の存在自体が空間を引き延ばして
空間に膨張圧を加えている。
こうして重力があるとは
物質があることとなり、
物質の周りには「空間密度の相違」が現れる。
そして先述の「重力波」という空間波も、
膨大な物質が大規模な重力をもつことによって発生する
「空間自体の収縮へとむかう流動現象」として
認識することができるだろう。
空間穴(物質)の持つ力学は
空間に作用する力である。
そして空間には、
物質世界の容積を持つ空間と
時空世界の容積のない空間の2種類がある。
これは容積のない空間を「歪み」が切り取ることによって
物質世界(空間)が生まれているのだ。
空間も本来はひとつである。
つまり物質概念のない「世界の入れ物」
時空においても空間は空間であり、
物質世界の力学の影響は受け続けるのだ。
物質世界の空間は収縮されるだけであるが、
時空の空間は物質によって常に流され続けている。
こうして大質量が持つ「引きつける力」も
本来は空間が質量に向けて収縮される力と、
質量に向けて流される力との区分わけが必要なのだろう。
これが重力と引力である。
このように「原子」とは、
「空間の重なりあった部分」であり、
4次元時空に浮かぶ「一つの独立した5次元世界」である。
あるいは次元理論でこれまで取りあげてきた
5次元世界の「次元世界の起点」、
「実体」、「存在する無の概念」、
それが「物質」なのだ。
したがって「次元共有の大原理」によって、
「今という存在しない時間」の次に創りだされる「実在する無の概念」は、
それが「原子」あるいは「物質」という「存在を確定された」
存在しない時空である。
そして「原子」が恒星の核融合反応等によって消滅するときに、
原子核内にとじこめられた「空間」はふたたび開放される。
けれどもその放出された空間は
すでに「空間穴」によって切りとられた
「時空に重なったままの空間」である。
それはもはや「体積をもつ5次元世界の空間」であり、
純粋な容積しかもたない4次元世界「時空」の空間とは
「ことなる次元世界の概念」である。
したがって我々の宇宙5次元「物質世界」は、
4次元世界「時空」に浮かぶ構造を創り出す。
時空は「形」の部分を持たない空間であり、
物質世界は「形」である。
物質世界の空間は
たとえ「形」から空間に戻っても
「大きさ(体積と容積)の概念」を与えられた空間なのだ。
この「大きさの概念を持つこと」が
物質世界に「存在する」という現象である。
このように「時空」に包まれた形状の
「体積と容積とをあわせもつ新たな空間概念」、
「物質世界」は出来上がる。
(この空間概念が、かつての物理学ではエーテルと呼ばれていたのだろう)
これが4次元時空と5次元世界が重なって同時に存在する
我々の宇宙の多重次元構造である。
こうして今はじめて
我々の宇宙の構造が解明されたのだ。
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