「存在する点」は 体積も面積も長さも あらゆるものの部分を持たない。 あるのにない、ないのにある。 この点が実体(モナド)である。 「今という時間」は 時間軸の長さの部分を持たない 「存在しない時間」である。 あるのにない、ないのにある。 今という時間も実体(モナド)である。 実体は現実に我々の世界を構築する要素である。 この実体が「存在する無」なのだ。 「存在するのに存在しない」の概念。 実体が永遠に連鎖をつづける理由、 それは「存在する無」が「完全無」であるための 無限大の広がりである。 この「広がり」が宇宙に誕生した 最初の力学である。 点が「同じもの」として線に拡大すること、 これがアインシュタインの言う 等価原理である。
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2019年2月12日火曜日
(連載5)5-1実体の連鎖
第5章 時間と空間
この世界には何も存在しなかった。
「無が存在する」ということは、
「この世界は完全無である」というひとつの概念である。
これは
「存在する無」という「個の概念」が
「完全無」という「世界の概念」を同じものとする
単純な世界原理である。
(個と全は同一のもの)
このために「存在する無」としての
点の概念(個・0次元世界)は、
線の世界(全・点の無限大の連鎖・1次元世界)と同じものとして
同時に発現する。
(点も線も、存在を持たないのに存在する実体の
無限大の連鎖として、ひとつの同じ概念である。)
こうして次元世界の異なる概念は同時に発現する。
「点の無限大の連鎖」と「線」は「同じもの」だからだ。
しかし点と線は、それぞれが「異なる概念」であり、
同じ概念世界に同時に存在する訳ではない。
つまり線の中に点は存在しない。
「同じもの」なのに異なる存在を与えられた実体、
このそれぞれが連鎖することによって
異なる概念宇宙、次元世界が生まれる。
これが我々の宇宙が「多重次元構造」を伴う理由であり、
ひとつの始まりが宇宙を統括する
その原理である。
無や完全無、
点や線、
線と面、
面と空間、
これらは実体として「同じもの」である。
この同じものが
「どのベクトルの中に」存在するのか、
その力の概念が異なるだけである。
これも全ての実体が「存在する無である」という
世界原理(次元共有の大原理)である。
世界はひとつであり、その理由もひとつである。
これが「この世界には何も存在しなかった」
から始まる世界と、同じ現実である。
無が生みだした無限大につづく点の概念世界、
それが「1次元線世界」である。
「線世界」もまたそれでのみで完結する世界だが、
今度は1次元世界が2次元概念を生みだす
「次元共有の大原理」がはたらく。
次はその原理を追ってみよう。
線の世界は存在しない。
この線の概念世界も(1次元世界における)
無(点)の無限大の連鎖として完全無である。
すなわち線の世界も
「存在する無」として実体なのだ。
「存在する無」は無限大に連鎖して
「完全無」の世界を創り出す。
これは「個(無)と全(完全無)が同一である」為に生まれた
最初の力学(次元共有の大原理)である。
無が無であり続ける力。
この力学において、
線世界の概念(存在する無)はさらなる実体として
無限大の連鎖を続ける。
これは点の概念が線の世界を創り出したのと同様に、
「存在する無」として
永遠に連鎖する線の概念世界の発現である。
それが「2次元平面世界(完全無)」である。
無限大に連鎖する線世界と「同じもの」でありながら
面積の概念を持つ新しい次元世界。
この面積の概念は、
広さの概念として既に線(長さの概念)とは異なる宇宙である。
こうして平面世界は
新たに面積の概念を持って発現する。
広さとは、線の概念の無限大の連鎖によって
「つながった線世界」であり
それは既に「長さ」ではない。
これによって面積の世界に「線は存在しない」。
面の世界に存在するとは
面の部分を持つことであり、
すなわち「面積を持つこと」である。
このとき無限大に連鎖を続け、
面の概念を創り出したはずの線世界に
面積(広さ)の概念はない。
広さの概念における長さは「存在する」ものではなく、
概念としての面積の構成要素であり、
既にそれは面積の部分(同じもの)である。
このように長さの概念は「存在するもの」ではなく
「実在する概念(実体)」なのだ。
この時点で線(長さ)は、
広さと同じものであり
面積の部分を持たない(面積を持たない)モナドである。
面世界における線は実体であり、
存在する無、点、と概念を同じくする
「存在する無」である。
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