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2019年10月15日火曜日

(連載9)9-4哲学を超えて





人間はビックバン理論の誕生以前までは、
この宇宙が不変であることを長らく信じてきた。
それは世界に終わりが来ないことを願う
「人間の望む世界の姿」である。

しかしビックバン理論は、
何通りかの世界の終焉を提示する。
それに対して人々は、驚きと無関心をもって
この世界を議論した。


けれども次元理論は「成長する宇宙」という
さらに驚くべき現実をここに描きだしている。
そしてこの「増殖する世界」という認識でさえも、
それは人々の理解をこえた虚像ではない。


この全ての原理は
我々人間に「理解することができる」現実である。
我々は思い込みを捨てて
ただ現実に目をむければ良い、それだけである。



世界には始まりも終わりもない。
正しい現実世界は
その永遠の中に始まりと終わりを無数に含むのだ。

全ての瞬間が始まりであり、終わりである。

存在するものは何処にもなく、
「存在しない今」という実体の無限大の連鎖が
世界の形である。

それは無の連鎖、完全無の力学である。




ではなぜ人間は、
その全てを「理解すること」ができるのだろうか。
あるいは理解することを望み、理解する努力を
続けるのだろうか。

もちろんそこにも正当な理由がある。

それを知るためにも、
そして我々が何者かを知るためにも、
「この現実の宇宙」からつづくさらなる次元世界の探究を
我々はすすめなければならない。




「人間」を含めた「この世界」の現実は、
全てが「あるのにない」という「存在する無」である。

これは哲学で終わらせてはならない。

無限大に存在する大宇宙が
さらに拡大して広がることができるのも、
原子という「次元世界の起点」が「無と同等の概念」をもつためである。


世界は「存在する無」として連鎖を続け
「無限大」へと向かう。

「無の概念」はいかなる場合でも無の無限大の連鎖として
「完全無の概念世界」である。


「無」が創りだす「存在する無限大」。
あるいは存在することのできない「無の概念」が、
永久に実在しつづけるために生まれた「次元世界」。


これらの世界は創世記や、詩文ではない。


「哲学」はあらゆる知識を理解したその後で、
我々が考えればよいのだ。
世界を学び、そして理解する我々には、
まずは「無」からはじまる「正しい知識」が必要である。



現実世界を正しく理解すること、
それが「科学」である。





ではこの章の最後に
次元理論がここまで展開した
無の概念世界から物質世界までの「多重次元構造」を
整理しておこう。


簡潔にすることによって次元世界の「共通項」は、
さらにつかみやすいものとなるだろう。


「次元共有の大原理」は
「全ての次元世界が同じひとつの世界である」
という世界の存在する理由である。

つまり実際には次元世界に「共通項」があるのではなく
「同じもの」として、世界はひとつなのだ。


世界に等価原理が現れるのもこの為である。


全てを現実世界のものとして、
世界の「多重次元構造」をとらえていただきたい。
その知識が今後もつづく
宇宙の深淵へと向けた探究の手掛かりである。




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