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2019年10月9日水曜日

(連鎖9)9-3共有する次元世界





次元世界が並列して同時に存在するのは
それらが全て「同じもの」だからである。

それは等価と認識され、
あらゆる存在である。

点の連鎖は線と同じ、
線の連鎖は面と同じ、
面の連鎖は空間であり、
空間の連鎖は時間・・

これによって次元世界は
全てが同じものとして共有する。



「次元共有の大原理」
これが世界を統括する力学なのだ。



全ては無である ということ

「存在する無(実体)」は「完全無という世界」であり、
単独で存在する概念ではない(無の連鎖が完全無) ということ

無は「存在する」という概念(存在する無)を
共有する力学(連鎖)だということ

したがって世界は「多重次元構造」を持つ
(異なる枠組みの中にも同じものが入る) ということ

したがって次元世界の実体は、構成要素が1つ加わるごとに
次の次元世界へと昇華する(実体の異なる概念方向への連鎖) 
ということ (ここに等価原理が生まれる)

したがってあるひとつの次元世界の性質は、
以降の次元世界にも同じものとして引きつがれ、
その後のあらゆる次元世界においても同様に発現する 
ということ

したがって全ての次元世界は
単独で存在するものではない ということ
(全ての次元世界がひとつの同じ概念世界である)

したがってあらゆる次元世界は「実在する無の概念(実体)」であり、
無限大(完全無)への連鎖である ということ






いま我々の目の前に「この世界が存在する理由」は、
ただこれだけの事実(無が存在すること)に由来する。


そしてこれは
「この世界が完全無であることの証明」であり、
実体が世界へと拡大し新たな実体となる(無の連鎖)
「モナドの力学」の 科学的な根拠(等価原理)である。




この上記の次元世界の性質が
「あらゆる次元世界は概念を共有することによって同時に実在する」
という「次元共有の大原理」であり、
これは「世界原理」としてこれまで我々が認識してきた
あらゆる原理や法則の最上位に位置する。



つまり「次元共有の大原理」を一言で表すと
「この世界には何も存在しなかった」という
世界のただひとつの現実なのだ。



これまでの科学の「原理や法則」は、
人間がその探求によって「見つけだすもの」であった。   
 

しかし実際には
「世界に原理や法則がある理由」は
人間が発見するものではなく、
「世界原理」によって我々が理解しなければならない
「世界の存在する理由」なのである。



それを人間が創作する現状は
大きな間違いであり、科学としての愚の骨頂である。



既に我々はこの世界原理を知識として、
あるいは世界の全ての存在を理解して、
それを証明することができるはずなのだ。



次元世界のあらゆる「実在する無の概念」は、
「0次元」が実在するための必要条件(同じもの)として
「完全無」から生まれる(等価原理)。


そしてそれら全ての「次元世界の起点」が、
「無の集合体」として同じ実体である。


このように我々の大宇宙でさえも、
「完全無」が実在するための
次元世界のひとつにすぎず、
この宇宙の存在が現実世界をささえる
「全てのはじまり」となるわけではない。


この世界は多重次元構造をもつことにより
「あらゆる次元世界」を共有させながら、
(同じひとつのものとして存在する)
同時に実在するひとつの宇宙である。


そしてその「全てのはじまり」が、
世界の中心と全ての世界に同時に実在するただひとつの実体
「存在する無」であり、
それは未だこの世界を完全無として統括している。


したがって「次元共有の大原理」は
人智をこえた神秘の力ではなく、
それは単に多重次元構造がこの世界に実在するための
「必要十分条件」である。





前章までで主題としてきた「5次元物質世界」は
「4次元時空」と並列して発現しなければ
存在することはできない。


そしてその「4次元時空」の概念は
「3次元空間世界」概念に依存し、
3次元空間概念は、今度は2次元平面世界を
その世界の構成要素として
自らの存在の内側へと含む。



そのために全ての次元世界が
「無」が実在するためにそれぞれが必然的に存在する
「実在する完全無の概念」として同一である。


逆説的には世界がたしかに存在するという現実は
「無」が現実世界に実在する証明であり、
もし仮に「世界が存在しない」というのであれば、
そこが世界の起点となる「0次元世界」である。




つまり「あるひとつの次元世界」は、
常にひとつ前に実在する
別次元の概念世界にささえられた異なる現実世界であり、
同様にその次元世界の存在は、
つぎの次元世界の実在をささえる。


これは広さの中の長さのように、存在としてではなく、
その世界の「概念の部分」として(同じものとして)
存在そのものを支えるのだ。


それは結果として、
「ひとつの次元世界の存在は、全ての次元世界の実在をささえる」
ということである。


これまでの次元理論では、
次元世界の起源を「完全無」として位置づけ、
あらゆる次元世界は「無」を支えるための概念との
認識をもっていただいた。


けれども本当の次元世界は、
どの次元世界がかけても
その全てが崩壊する構造をもつ。
(同じものとして世界はひとつだから)



「次元共有の大原理」はその事実をあらわし、
全ての次元世界は
等しくこの世界の存続に不可欠である。


「存在するもの」以外の次元世界では、
全てが「実在する同じ概念世界」である。


そして「0次元世界」とは、
ことなる場所に実在する異次元世界ではなく、
たとえば5次元宇宙においてはその全てに「共有された要素」である。



このように「次元共有の大原理」は、
この世界の多重次元構造の全てを統括し、
同時にその全てにも同様に含まれている。



すなわち「実在する概念世界」は
この世界の向こうがわにあるのではなく、
世界のこちら側、つまり我々の世界を
現実に構築する要素(部分)なのだ。


次元世界の多重次元構造も
「存在する無」というひとつの世界の内側である。




そのために実在する全ての次元世界には、
共通の性質、および共通項がふくまれている。
この「次元世界の共通項」は以下の三つである。


*「無の概念」が生みだす新しい次元世界も、
 ひとつの同じ「無」であることに変わりはなく、
 そのために次元世界は、その全てが「無の属性」をもち
 「無限大」に広がる性質をやどす。
 (無の無限大の連鎖が全体の完全無という世界)


*あらゆる次元世界は「無」と同時に出現するため、
 「次元世界」自体にはじまりや終わりの概念はない。


*ひとつの次元世界を現実につくりだす
「次元世界の起点となる無の概念(モナド・実体)」は、
 常にひとつ前の次元世界によって生みだされた完全無の概念である。
 したがってある次元世界のもつ「特定の性質」は、
 つぎの次元世界以降にも同様に引きつがれていく。
 そしてその「次元世界の起点」となる概念も、
 やはり「無の集合体」であり「実在する無の概念」である。

(ライプニッツは実体としての「存在する無」が
現実世界を統括するモナドとして
同じものであることを読み解いていた。
哲学的、物理学的にも、
この世界の真理に一番近かったのは彼の思考だろう。)




このように次元世界の存在する理由が「次元共有の大原理」であり、
あらゆる次元世界に共通するただひとつの原理、
あるいは世界創造の法則である。


したがって、物理原理、生命原理、人間原理などの
あらゆる次元世界の内側にある原理、法則は、
実は全て同じひとつの「次元共有の大原理」である。
全てのもの大前提として、
「次元共有の大原理(ひとつの同じ世界)」は存在するのだ。





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