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2019年10月23日水曜日

(連載9)9-5次元世界の誕生と等価原理

次元世界のまとめ




0次元世界」


次元世界の起点(実体)は「存在する無」である。
この世界には何も存在しなかった、
という世界の起源が実体である。

実体の連鎖は世界を構築する力学である。

そのベクトルが「無が存在する」という現実から
この世界を「完全無」として無の連鎖する概念を生む。
ここに「無()は完全無(全・世界)と同一である」という
世界原理が誕生する。

無は「なにもない」世界が「存在する」という
2つの概念の複合体である。

全く異なる内側と外側の概念が「同じひとつの実体」であるために、
この世界にはその内外に無限大の概念があふれだした。
こうして世界には、
その内側と外側に無限大の奥行きが与えられている。

このように0次元世界は、
実体(実在する無の概念)の確定する概念世界である。

存在しないのに存在する無の無限大の連鎖「完全無」は
存在するのに存在しない現実世界の連鎖
(世界は存在ではなくベクトルである)と同じものである。

こうして宇宙では「概念の異なる同じもの」として
次元世界が分岐する。


かくして無と同じものとして存在する
最初の実体が点である。
体積も面積も長さもあらゆる概念を持たない、
けれども確かに存在する実体
それが点なのだ。

この点の概念が「存在する無」であり
最初の0次元世界である。
無と点が「同じもの」、
これが等価原理の始まりである。



1次元世界」


実体としての点が創りだす世界。
存在する無()は無限大の連鎖として完全無(線の概念)である。
このように線の概念世界は
連鎖する点と「同じもの」として発現する。

この「同じもの」の「異なる概念での枠組み」が次元世界であり
点の連鎖と線の概念は同じ力学によって構築された
異なる存在の起点である。
だが実体の連鎖としてのこの両者は「同じもの」であり、
ここに等価原理は広がる。

そして線世界の構成要素は「点」ただひとつであり、
これによって線世界は1次元世界(構成要素がひとつ)である。

線の世界における「あるのにない」の「実在する無の概念」は
「存在をもたないのに存在する」点の概念である。
こうして点は、線の部分を持たない(長さを持たない)実体として
存在する「モナド(ライプニッツの考える実体)」である。

存在する線世界()もまた、
面世界の実体(存在しない、実在する無の概念)
として新たな次元世界の起点(個・モナド)である。

こうして無(同じものとして実体)、さらにモナドは、
無限大の次元の階層を構築する。
全ては存在ではなく、存在する力学(連鎖)なのだ。




2次元世界」


実体としての線が創りだす世界。
存在する無()
その無限大の連鎖として完全無(平面の概念)と同一である。
このように面の概念世界は線の連鎖として発現する。

平面世界の構成要素は「線」と
線を創りだす「点」の2つであり、
これによって平面世界は2次元世界である(構成要素がふたつ)

面世界における「ないのにある」実在する無の概念は
(面積をもた)ないのに存在する」線の概念である。
つまり線の概念も、面積の概念世界における実体なのだ。
それは点と何も変わらない「同じモナド」である。

存在する面世界()もまた、
空間世界の実体(存在しない、実在する無の概念)
として新たな次元世界の起点()である。
こうしてモナドは拡大し、等価原理は世界を統括する。




3次元世界」


実体としての面が創りだす世界。
存在する無()は無限大の連鎖として完全無(空間の概念)である。
ここに空間の概念世界が発現する。

空間世界の構成要素は点、線、面の3つであり、
これによって平面世界は3次元世界である。
空間世界における「ないのにある」実在する無の概念は
(体積をもた)ないのに存在する」面の概念である。
また面は、空間の部分を持たない
(体積を持たない)実体(モナド)である。

存在する空間世界()もまた、時間世界(時間軸)の実体「今」
(存在しない時間、実在する無の概念)として、
新たな次元世界の起点()である。



4次元世界(時空)


実体としての空間が創りだす時間の流れる世界、時間軸の概念である。
存在する無(今という存在しない空間)
無限大の連鎖として完全無(時間軸)と同一である。
このように時間の流れる概念世界は
存在する無と同じものとして発現する。

全ては実体(存在しないのに存在するもの)
無限大の連鎖、完全無である。
完全無とはベクトルなのだ。

時間軸の構成要素は空間、面、線、点の4つであり、
従って時間の流れる空間世界は4次元世界である。
時空(時間をもつ空間)における「ないのにある」の存在する無の概念は
(時間軸の長さをもた)ないのに存在する」今という空間である。
またこの存在する空間は、
時間概念の長さの部分を持たない実体(モナド)である。

存在する時間世界()もまた、
物質世界の実体(存在しない、実在する空間概念)
として新たな次元世界の起点()である。




5次元世界(物質世界、原子と空間)


実体としての時空が創りだす世界。
存在する無(切りとられた時空・物質世界の概念)
無の無限大の連鎖として完全無(物質世界・宇宙)である。

実はこのように、次元世界の原則によって
原子は無の概念を持っている。
次元理論での物質は、
4次元世界から生み出されている。

物質もただの存在しない空間の構造に過ぎず、
その構造が力学を創りだし
この宇宙に物理法則を伝えている。

空間であるからこそ
原子(物質)は新しく生まれることも
消滅することも出来るのだ。

空間に時間が加わったもの。
そこから生じるイレギュラーな空間が原子の構造である。
つまり「力学を持つ空間」を
我々は「存在する物質」として認識している。

このように物質世界は、
原子もその宇宙空間も、
切りとられた4次元世界として無限大に拡大することが出来る。
誕生と消滅、すなわち「あるのにない」を繰り返す
無の概念を持つものが原子である。
従って物質世界の構成要素は時空であり、
物質世界(宇宙)5次元世界とするのが正しい。
(構成要素は時空、空間、面、線、点の5つ)

物質世界における「ないのにある」の実在する無の概念は
(物質として存在をもた)ないのに存在する」
切りとられた時空の空間概念(原子)である。
このために我々の宇宙は、
4次元時空に浮かぶ(4次元時空に張り付く)
5次元世界という構造を持つ。
またこの時空は、
物質の部分を持たない(存在を持たない)ために実体(モナド)である。

さらに存在する物質世界()もまた、
生命世界の実体(存在しない、実在する無の概念)として
新たな次元世界の起点()である。



この為に「物質世界で発現した力学の概念は、
つぎの次元世界(生命)にも同じ性質、同じものとして
同様に引継がれていく。」
(切りとられた空間の構造や・重力、核力などの力学、
および無限大に広がるその性質など
全ての概念が生命世界にも受け継がれたのである)

従って生命世界の構造が
物質世界と酷似するのは当然である。
生命世界は物質世界の力学を踏襲するのだ。







次元理論によって
「0次元」から「5次元世界」までをまとめてみると、
以上のように総括することができる。


世界のはじまりが「完全無」であるからこそ、
「無限大」の世界は生まれた。
そのために世界は「多重次元構造」をもち、
全ての次元世界は「次元共有の大原理」によって
統括されたのである。


このように0次元の「存在する無」から5次元世界の「宇宙」にいたるまで、
次元理論でいう「次元共有の大原理」に一切の例外はない。
だからこそ宇宙はシンプルなのだ。


いま「我々のこの宇宙が確かに存在する」という現実は、
いいかえれば「完全無が確かに存在する」その同じ結果である。








2019年10月15日火曜日

(連載9)9-4哲学を超えて





人間はビックバン理論の誕生以前までは、
この宇宙が不変であることを長らく信じてきた。
それは世界に終わりが来ないことを願う
「人間の望む世界の姿」である。

しかしビックバン理論は、
何通りかの世界の終焉を提示する。
それに対して人々は、驚きと無関心をもって
この世界を議論した。


けれども次元理論は「成長する宇宙」という
さらに驚くべき現実をここに描きだしている。
そしてこの「増殖する世界」という認識でさえも、
それは人々の理解をこえた虚像ではない。


この全ての原理は
我々人間に「理解することができる」現実である。
我々は思い込みを捨てて
ただ現実に目をむければ良い、それだけである。



世界には始まりも終わりもない。
正しい現実世界は
その永遠の中に始まりと終わりを無数に含むのだ。

全ての瞬間が始まりであり、終わりである。

存在するものは何処にもなく、
「存在しない今」という実体の無限大の連鎖が
世界の形である。

それは無の連鎖、完全無の力学である。




ではなぜ人間は、
その全てを「理解すること」ができるのだろうか。
あるいは理解することを望み、理解する努力を
続けるのだろうか。

もちろんそこにも正当な理由がある。

それを知るためにも、
そして我々が何者かを知るためにも、
「この現実の宇宙」からつづくさらなる次元世界の探究を
我々はすすめなければならない。




「人間」を含めた「この世界」の現実は、
全てが「あるのにない」という「存在する無」である。

これは哲学で終わらせてはならない。

無限大に存在する大宇宙が
さらに拡大して広がることができるのも、
原子という「次元世界の起点」が「無と同等の概念」をもつためである。


世界は「存在する無」として連鎖を続け
「無限大」へと向かう。

「無の概念」はいかなる場合でも無の無限大の連鎖として
「完全無の概念世界」である。


「無」が創りだす「存在する無限大」。
あるいは存在することのできない「無の概念」が、
永久に実在しつづけるために生まれた「次元世界」。


これらの世界は創世記や、詩文ではない。


「哲学」はあらゆる知識を理解したその後で、
我々が考えればよいのだ。
世界を学び、そして理解する我々には、
まずは「無」からはじまる「正しい知識」が必要である。



現実世界を正しく理解すること、
それが「科学」である。





ではこの章の最後に
次元理論がここまで展開した
無の概念世界から物質世界までの「多重次元構造」を
整理しておこう。


簡潔にすることによって次元世界の「共通項」は、
さらにつかみやすいものとなるだろう。


「次元共有の大原理」は
「全ての次元世界が同じひとつの世界である」
という世界の存在する理由である。

つまり実際には次元世界に「共通項」があるのではなく
「同じもの」として、世界はひとつなのだ。


世界に等価原理が現れるのもこの為である。


全てを現実世界のものとして、
世界の「多重次元構造」をとらえていただきたい。
その知識が今後もつづく
宇宙の深淵へと向けた探究の手掛かりである。




2019年10月9日水曜日

(連鎖9)9-3共有する次元世界





次元世界が並列して同時に存在するのは
それらが全て「同じもの」だからである。

それは等価と認識され、
あらゆる存在である。

点の連鎖は線と同じ、
線の連鎖は面と同じ、
面の連鎖は空間であり、
空間の連鎖は時間・・

これによって次元世界は
全てが同じものとして共有する。



「次元共有の大原理」
これが世界を統括する力学なのだ。



全ては無である ということ

「存在する無(実体)」は「完全無という世界」であり、
単独で存在する概念ではない(無の連鎖が完全無) ということ

無は「存在する」という概念(存在する無)を
共有する力学(連鎖)だということ

したがって世界は「多重次元構造」を持つ
(異なる枠組みの中にも同じものが入る) ということ

したがって次元世界の実体は、構成要素が1つ加わるごとに
次の次元世界へと昇華する(実体の異なる概念方向への連鎖) 
ということ (ここに等価原理が生まれる)

したがってあるひとつの次元世界の性質は、
以降の次元世界にも同じものとして引きつがれ、
その後のあらゆる次元世界においても同様に発現する 
ということ

したがって全ての次元世界は
単独で存在するものではない ということ
(全ての次元世界がひとつの同じ概念世界である)

したがってあらゆる次元世界は「実在する無の概念(実体)」であり、
無限大(完全無)への連鎖である ということ






いま我々の目の前に「この世界が存在する理由」は、
ただこれだけの事実(無が存在すること)に由来する。


そしてこれは
「この世界が完全無であることの証明」であり、
実体が世界へと拡大し新たな実体となる(無の連鎖)
「モナドの力学」の 科学的な根拠(等価原理)である。




この上記の次元世界の性質が
「あらゆる次元世界は概念を共有することによって同時に実在する」
という「次元共有の大原理」であり、
これは「世界原理」としてこれまで我々が認識してきた
あらゆる原理や法則の最上位に位置する。



つまり「次元共有の大原理」を一言で表すと
「この世界には何も存在しなかった」という
世界のただひとつの現実なのだ。



これまでの科学の「原理や法則」は、
人間がその探求によって「見つけだすもの」であった。   
 

しかし実際には
「世界に原理や法則がある理由」は
人間が発見するものではなく、
「世界原理」によって我々が理解しなければならない
「世界の存在する理由」なのである。



それを人間が創作する現状は
大きな間違いであり、科学としての愚の骨頂である。



既に我々はこの世界原理を知識として、
あるいは世界の全ての存在を理解して、
それを証明することができるはずなのだ。



次元世界のあらゆる「実在する無の概念」は、
「0次元」が実在するための必要条件(同じもの)として
「完全無」から生まれる(等価原理)。


そしてそれら全ての「次元世界の起点」が、
「無の集合体」として同じ実体である。


このように我々の大宇宙でさえも、
「完全無」が実在するための
次元世界のひとつにすぎず、
この宇宙の存在が現実世界をささえる
「全てのはじまり」となるわけではない。


この世界は多重次元構造をもつことにより
「あらゆる次元世界」を共有させながら、
(同じひとつのものとして存在する)
同時に実在するひとつの宇宙である。


そしてその「全てのはじまり」が、
世界の中心と全ての世界に同時に実在するただひとつの実体
「存在する無」であり、
それは未だこの世界を完全無として統括している。


したがって「次元共有の大原理」は
人智をこえた神秘の力ではなく、
それは単に多重次元構造がこの世界に実在するための
「必要十分条件」である。





前章までで主題としてきた「5次元物質世界」は
「4次元時空」と並列して発現しなければ
存在することはできない。


そしてその「4次元時空」の概念は
「3次元空間世界」概念に依存し、
3次元空間概念は、今度は2次元平面世界を
その世界の構成要素として
自らの存在の内側へと含む。



そのために全ての次元世界が
「無」が実在するためにそれぞれが必然的に存在する
「実在する完全無の概念」として同一である。


逆説的には世界がたしかに存在するという現実は
「無」が現実世界に実在する証明であり、
もし仮に「世界が存在しない」というのであれば、
そこが世界の起点となる「0次元世界」である。




つまり「あるひとつの次元世界」は、
常にひとつ前に実在する
別次元の概念世界にささえられた異なる現実世界であり、
同様にその次元世界の存在は、
つぎの次元世界の実在をささえる。


これは広さの中の長さのように、存在としてではなく、
その世界の「概念の部分」として(同じものとして)
存在そのものを支えるのだ。


それは結果として、
「ひとつの次元世界の存在は、全ての次元世界の実在をささえる」
ということである。


これまでの次元理論では、
次元世界の起源を「完全無」として位置づけ、
あらゆる次元世界は「無」を支えるための概念との
認識をもっていただいた。


けれども本当の次元世界は、
どの次元世界がかけても
その全てが崩壊する構造をもつ。
(同じものとして世界はひとつだから)



「次元共有の大原理」はその事実をあらわし、
全ての次元世界は
等しくこの世界の存続に不可欠である。


「存在するもの」以外の次元世界では、
全てが「実在する同じ概念世界」である。


そして「0次元世界」とは、
ことなる場所に実在する異次元世界ではなく、
たとえば5次元宇宙においてはその全てに「共有された要素」である。



このように「次元共有の大原理」は、
この世界の多重次元構造の全てを統括し、
同時にその全てにも同様に含まれている。



すなわち「実在する概念世界」は
この世界の向こうがわにあるのではなく、
世界のこちら側、つまり我々の世界を
現実に構築する要素(部分)なのだ。


次元世界の多重次元構造も
「存在する無」というひとつの世界の内側である。




そのために実在する全ての次元世界には、
共通の性質、および共通項がふくまれている。
この「次元世界の共通項」は以下の三つである。


*「無の概念」が生みだす新しい次元世界も、
 ひとつの同じ「無」であることに変わりはなく、
 そのために次元世界は、その全てが「無の属性」をもち
 「無限大」に広がる性質をやどす。
 (無の無限大の連鎖が全体の完全無という世界)


*あらゆる次元世界は「無」と同時に出現するため、
 「次元世界」自体にはじまりや終わりの概念はない。


*ひとつの次元世界を現実につくりだす
「次元世界の起点となる無の概念(モナド・実体)」は、
 常にひとつ前の次元世界によって生みだされた完全無の概念である。
 したがってある次元世界のもつ「特定の性質」は、
 つぎの次元世界以降にも同様に引きつがれていく。
 そしてその「次元世界の起点」となる概念も、
 やはり「無の集合体」であり「実在する無の概念」である。

(ライプニッツは実体としての「存在する無」が
現実世界を統括するモナドとして
同じものであることを読み解いていた。
哲学的、物理学的にも、
この世界の真理に一番近かったのは彼の思考だろう。)




このように次元世界の存在する理由が「次元共有の大原理」であり、
あらゆる次元世界に共通するただひとつの原理、
あるいは世界創造の法則である。


したがって、物理原理、生命原理、人間原理などの
あらゆる次元世界の内側にある原理、法則は、
実は全て同じひとつの「次元共有の大原理」である。
全てのもの大前提として、
「次元共有の大原理(ひとつの同じ世界)」は存在するのだ。





2019年10月1日火曜日

(連載9)9-2次元という等価な世界




「次元理論」の出発点となる概念は
「この世界には何も存在しなかった」
というただひとつの前提である。

世界にこれ以上の真実はないからだ。


したがってこの概念は、
我々の理解のおよぶ「知識の限界点」であり、
この理解が「あらゆる知識の原点」となる。


「無から全てが始まること」


その知識がモノとココロを統合し
存在する全ての概念を理解する大(超)統一理論である。



このように次元理論では、
「完全無の実在」をその「知識」として理解する。


この「実在する完全無の概念」が
現代科学ではまだ認識されていない「実体」であり、
それが同じものとして
数学でも理解されていない「点」である。


現代の我々はこの実体の概念に
それぞれの名称を与え、
そこから始まる科学を構築している。

科学による定義ではなく、
定義によって造られた疑似科学だ。



しかし次元理論は「実体の無限大の連鎖」を
「力学」として理解している。


そして「無の連鎖の結果」が生み出す
新たな概念(しかし同じ概念を持つ)宇宙の出現、
これが世界の持つ「多重次元構造」の仕組みである。


これによって「次元世界」は「現実に世界を構築する」。



我々の宇宙に次元世界があるのは事実なのに、
現代科学の認識では
まだ神話の時代から何も変わらない言葉遊びのみの認知である。


だがこの「多重次元構造」は
「次元共有の大原理」によって生みだされた
世界の骨組みである。
この世界の構造は「完全無」を理解することによって、
はじめて我々に明かされる「世界原理」である。



そこでこの章では
その「世界原理」をまとめて
整理しておく。


そうすることによって
「次元共有の大原理」が生みだす次元世界の性質と、
次元世界と次元世界の間に存在する法則性が明らかとなる。


これらの理解は
今後も現れる新しい次元世界の
「正しい知識」として、
科学の指標となるだろう。


我々が物質世界や生命世界、精神世界を
宇宙と同一のものとして理解していくためには
この正しい知識が必要なのだ。